2017年8月6日日曜日
流々遍歴 原爆の日
八月六日に、そっと開いてみる本がある。
丸木位里の画文集と、画集 原爆の図 だ。
父が所有していた二冊である。
広島出身の日本画家であり、原爆の図 は有名だ。
画文集の方は、丸木位里が88歳の時に出版され、主に文章が書かれている。
丸木位里は、小学校までしか行っていなかったが、ずっと反戦の画を描き続けた。
その功績をたたえて、夫妻に、ボストンのマサチューセッツ芸術大学から、名誉博士号が贈られた。
その時に発行された画文集だ。
原爆の図 画集の方は、気楽に眺められるような画ではない。
広島に原爆が投下された八月六日、当時は妻の俊(洋画家)と共に、埼玉県に在住していた。
しかし、両親も兄弟も広島に暮らしていたから、夫婦で広島へ向かったのである。
ボストンでの授与式、シンポジウムの際の挨拶文が書き記されている。
「私は勉強をしてこなかったので、英語は一言も話せません。他の事をしなかったから、画を描くことに集中できたのかもしれません。アメリカで良い展覧会をしてもらって、光栄に思っています。皆さんにお目にかかれて嬉しいと思っています。
何故、原爆の図を描いたのかを話せと言われましたので話します。
戦争中は、絵描きは皆な、戦争画を描かされたんですが、私は戦争は反対だったので描きませんでした。けれど、広島に行って、大変なことを見ましたので、私は絵描きだから、これを描くより方法が無いと思ったので描きました。私じゃなくても、妻 俊じゃなくても、誰でもいいから、描き残しておかなければならないと、そう思って、原爆の図を描き始めました。簡単ですが、それだけにしておきます。」
夫妻は、1966年に、誰でも原爆の図を見られるようにと、自力で美術館を造り始め、翌年開館された。
アタシが5才の頃だ。
画を描いていた父は、丸木美術館へ行って、原爆の図の画集を買い求めたそうだ。
その時の事は、大人になってから聞いた。美術館では、丸木夫妻と随分話をして、そのお礼と言って、直筆で名前を書いてくれたのだそうだ。
この2冊はおまえが持って居な。あの世へは持っていけないから。
そうして、おまえもあの世へ行く準備をするときに、子供たちにあげればいい。
父は、殆どの書物を処分してしまい、アタシが欲しいという物はくれたが、父から渡されたのはこの2冊と、生涯の友はただ一人と言っていた方が書き残した一冊のみである。
七十二年前の今日、ヒロシマに黒い雨が降った。
今日のヒロシマに、台風の影響で、また大雨の予報が出ている。
黒い雨ではないが、ヒロシマには、雨では決して洗い流されない歴史がある。
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