2018年2月28日水曜日

元気でした

糠床は元気でした。 煎り糠と辛子と塩を足さなくちゃ。
3月から10月まで働いてもらわなければならないからね。

沢庵漬け

画像だけ見ると、やけにちゃんとした晩ご飯に見える。
里芋と蒟蒻と挽き肉の煮転がしが主菜。副菜には、菜花と人参のサラダ。汁物はキャベツと椎茸のあっさりスープ。
宮崎の沢庵漬けを添えたら、ゴージャスになった。
そして、この沢庵漬けが美味しかった。

しっかり干した大根の沢庵漬けで、かなりバリポリと噛み応えがある。ツボ漬けに近い沢庵漬けの方が好みなんだと、今更気付いてしまった。

元々が漬け物好きで、何種類かの漬け物があれば満足出来る。

食べたいのは、晩菊、野沢菜漬け、千枚漬、他にも色々。

そろそろ糠床も起こして、春夏は切らさないように糠漬けを漬け続ける。

昔、長野に行った時に、お茶と一緒に漬け物が出てきた事があった。

しみじみと日本なんだと思った記憶がある。

お汁粉を頼むと、小皿に漬け物が付いてくるし、日本人は漬け物と共に生きているのである。

北の、鮭が入ったやつは何という名前だったか、あれも美味しい。

急に心配になったので、糠床を覗いて来ます。

次は前脚か?

なんとか無事に、発作を起こさずにまるい公園から戻ってきた。

しかし次は前脚か?
着地するときに沈む。

右前脚を着く時に沈むのである。

また脚かもしれないし、腰かもしれないし、様子を見ていても判らない。

少しお腹も弛いかもしれない。

仕方がないさと思いながらも、ハラハラヒヤヒヤ疲れてしまう。

今日は比較的に過ごしやすく、朝はクリニックへ行ってきた。
特に変わった事は無いから、2ヶ月に1度にしたいのだが、薬を4週間分しかくれない。

融通がきくドクターも居るようだが、今の主治医は駄目。
絶対に4週間分しかくれないのである。

メンタルクリニックは、行くのが億劫に感じる方が良いと思う。
改善の証拠だからだ。

目覚めと寝付き以外の不調は無いから、2年前よりずっと調子が良い。

更年期を過ぎたのかもしれないが、パズーの調子が安定しないと、またまたカッタルクなってしまう。

布団の下に敷いているマットレスがヘタって来た。
フローリングに敷くなら、7センチ以上の厚みが必要らしい。

高反発と低反発ならば、小柄のアタシには低反発が良いらしいが、どんな寝心地か試した事は無いが。。

そのうちに買い換えを検討しよう。
ぐっすり眠れたなと思うことが少ないからだ。

人生の3分の1は眠っているのだから。
それに、じわじわ悪化している腰痛を食い止めなければならないのである。

腰が痛いのは、想像以上に辛いもので、なんとしても、ギックリ腰を阻止しなければならないのである。

2018年2月27日火曜日

ベトナムのサンドイッチ

根菜が挟んであるベトナムのサンドイッチを買った。

サイゴンは、南平台にあった頃に何度か行ったレストランで、店を閉めてしまった。

その後、移転したのかどうか確かめていないが、惣菜売り場に小さなスペースを構えている。

ベトナムに行った事は無いが、辛いわけでも油っこいわけでもないから、香草がダメな人以外は、美味しく感じると思う。

たまに無性にパンが食べたくなって、サンドイッチならばそれ1つで満足してしまうから、駅まで降りずに買えたら良いのにといつも思っているのである。

知らない国の何かを食べると、頭の中に新しい発想が浮かぶから面白い。

パンと大根しか無くても、サンドイッチが作れると言うような。

けれど、実践しないうちにすっかり忘れてしまうのである。

今日のサンドイッチを食べて、ナムルをパンに挟んだらきっと美味しいだろうと思った。

大きい姉さんと二人ならそれで済んでしまうのだが、Tの晩ご飯にサンドイッチという訳には行かない。 足りないからだ。

この同居の一番の苦労は、食に尽きる。
なにしろ、この間のもつ煮込みも、Tは2リットルの鍋を半分どころじゃなくて、殆ど食べてしまう。
翌日に残らない。
食と量との闘いなのである。

昔も、食パン1斤をお昼にすっかり食べ尽くしていたから、 いつも2斤買っていた。

債務返済18回目。 もう180万を超えた。勿体無いけれど仕方がない。
だけどやっぱり、勿体無い。
勿体無いなさ過ぎて、言葉が見つからないのである。

ごちそうさまでした。

今日は桜丘へ

職人さんに用事があり、今日は桜丘へ。

大きい姉さんが半休なので、留守を頼むことが出来た。

起業して最初にアトリエを構えたのが桜丘だった。滅多に国道を渡らなくなってしまったが、やはり馴染みの街は懐かしい。

もう桃の花が咲いていた。 桜丘の方が駅に近いから、再開発のスピードが分かりやすい。

高層ビルがどんどん上に延び始めている。

あの頃は、セルリアンタワーも無かったし、再開発の計画も進んで居なかった。

用事を済ませてから、東急東横店の地下を通り、マークシティーに入ってしまえば、もう屋内だけで道玄坂上まで帰って来られる便利さなのである。

裏の入り口で待ち合わせをしたら、パズーが降りてきた。
アタシを見付けて、全速力で飛びついて来る。もの凄い興奮で、尻尾が取れてしまうんじゃないかと心配になるくらいだ。

様子を見ながらゆっくり散歩を回って、今日は発作を起こさずに無事に戻る事が出来た。

地震も2日続いたし、気温差も激しいし、色々な事が重なっているのだろう。

昨年までは、桜丘へパズーを連れて行けたが、そろそろ難しいかなと考えている。ほんの5分でも、往復すれば10分長い散歩になってしまうからだ。

三寒四温で今日は温。
明日はクリニックへ行かなければならないのである。

2018年2月26日月曜日

中国酒

どなたかに戴いたと、大きい姉さんが持ち帰って来た中国酒。

中味がどのようなお酒かも判らず、ただ、焼き物の鮮烈なブルーど染め付けられた波が美しいので、ランプの下に飾った。

薬膳の料理用に使うようなものではないのかもしれないが、いずれはその用途にするしかないと思っている。

器が良い物は、大抵の場合、中味も良いに違いないのである。

これを花入れに使うならば、似合う花を選んであげなければと考えている。
四君子の蘭、竹、菊、梅が候補に上がるが、ふと、牡丹が良いのではないかと頭に浮かんだ。

大輪をポーンと投げ込んでも、花入れに負けない風格があって、きっと見映えがするに違いない。

そんな事を考えているだけでも心愉しいものだが、中味を使いきらなければ花を活けられないから、今年は間に合いそうもないのである。

それとも、お酒を別の容器に移し替えようか。
きちんと密閉しなければ、アルコールが飛んでしまうけれど。
或いは、中国酒の果実酒はどうだろうか。
眺めているだけでも綺麗かもしれない。
それならば、青梅だけではなくて、これから出回る旬が短い果実も使える。
そうしようそうしよう。
果実を選ぶのも愉しいはずだから。

今夜は簡単煮物と汁物で、心ここに有らずで食べ終わってしまった。

明日は発作になりませんように。

2回目は裸で

連日発作に見舞われた。

ブラウンのコートを着せて出たら、数分で発作。

また昨日と同じように戻ってきて、発作が治まって暫くしたら、外に出たがる。
バズーはうんちがしたいのである。

ブラウンのコートに何か付着しているのか?植え込みにかけられる薬品とか…。

判らないが、とにかく、何かが発作の引き金になっている。

それで、2回目は裸で出てみた。
アタシがじゃなくてバズーが。
そうしたら、最短距離の途中で、無事に排泄が出来たから、戻ってきた。

情けない話だが、二の腕が筋肉痛になっていて、これ以上は抱っこが出来ないのである。

ブラウンのコートを嫌いになりそうだが、洗濯好きな大きい姉さんが洗ってくれるらしい。

やれやれの連続発作。

過去にも連続はあって、2日続けてか、数日のうちに起こした事がある。

発作そのものは、昨日よりやや強めだった。

明日も要心しながら、裸で出ようと思っている。

まだ寒いが、バズーは毛皮を着ているようなものだから。

2018年2月25日日曜日

鶏そぼろと薬膳スープ

発作の後は落ち着いて、パズーはご飯を平らげた。
昨日とはガラリと変わり、今日は寒い。そういった気候の変化も、還暦のパズーには堪えるのかもしれない。

今夜はTは食事が要らないそうで、お手軽に鶏そぼろご飯と薬膳スープにした。

炒り卵の黄色が春らしい。
今日は、8キロのパズーを、抱っこしたまま歩ける距離のギリギリだった。結構重いのである。

昔は、赤ちゃんを抱っこしたりおんぶして歩き回れたのに、もうそういう体力が無いことに気が付いた。

よく二人も育てられたものだと、我ながら感心してしまう。

子育ての前半は体力勝負だった。後半は、稼ぎの闘いだ。
無事に育て上げる事が出来てホッとしていた所に、今度はパズーだから、頑張って体力を維持しなければならないのである。
パズーは幸せに思ってくれているような気がする。
半日以上も留守番しているペットが沢山居て、発作に気付かない飼い主もいると聞いた。

パズーは、地震がきても発作になっても、必ずアタシか大きい姉さんが居る。それが当たり前だと思っている。

いい加減に見えて、アタシは結構生真面目な性格なのである。
2~3時間の留守番なら大丈夫と思えない。
大丈夫だった事もあるが、それはたまたま大丈夫だっただけだと思っている。

6時間の留守番をさせたのは5年以上前で、小さい姉さんの結婚式の日だった。
ギリギリの時間に会場に向かい、終わった後の事は大きい姉さんに任せてタクシーに飛び乗った。
雨が降っていて、黒留め袖が濡れたが、そんなもんは洗いに出せば良い。

傘もささずに、和服の礼装で走った自分を思い出すと、今更ながら可笑しくなる。

披露宴を終えた小さい姉さんに「じゃあね、バイバイ」と言って、走ったのである。

大切な存在は少ない方が良い。
骨がおれるのである。

発作

散歩に出たのは良いけれど、パチリと撮った帰り道で、パズー発作。

昨年の5月始め以来だから、記録更新10ヶ月弱だ。

しかし、屋外での発作は1~2回程度で珍しい。

慌てるな落ち着けと、とにかく抱き上げた。

発作の時は、しっかり寄り添って、静かに声をかける事に決めている。

「大丈夫、大丈夫、心配なんか何もいらない。大丈夫、大丈夫……」

抱っこしたままゆっくり戻って、オートロックを解除。それから重いドアを2つくぐり抜けて室内へ。ゆっくり脱がせてから座った。
呼吸が戻ったら吐いた。
暫くして落ち着いたら、トイレ。その後はたくさん水を飲む。

片付けてから様子を見ていれば大丈夫。

あ~重たかった。

ご飯の支度を済ませたので、これからパズーと少し休むとしよう。

気分転換

少し春らしくカスタマイズ。

春らしさと言っても、そのイメージカラーは人それぞれ。
今はこんなイエローな気分。

季節ごと、年ごとに移ろい行くカラーが面白いね。

完全に自己満足遊びの世界です。

2018年2月24日土曜日

晴れ時々Hオトウ パワースポット導了尊


今日はうららかな日和。
ヤドリギも春の陽気だったようで、HオトウとSちゃんは揃ってお出かけ。

行き先は、車で40分ほどの曹洞宗の禅寺の導了尊。

調べてみました。

僧侶の修行の場であり、天狗説の言い伝えがある有名なパワースポットのようです。
何と600年の歴史があるのですね。

創建したのは了庵という優れた禅僧で、故郷が神奈川。その弟子に、道了が居たわけです。

創建の話を聞いた道了は、滋賀県から空を飛んで、創建の手伝いに来たわけです。
師弟愛が飛ばせたのですね、空を。
了庵亡きあと、道了は 天狗に姿を変えて、人々の為に尽力したのだそうです。

人々の為に頑張るところ、Hオトウに似てるじゃない?空さえ飛べれば、ヤドリギ天狗になれそうだし。

御真殿の脇の、天狗の履き物 デカい! 鉄製だそう。

ひと様、特に目上の方へに履物を贈る事はタブーと言われていますが、それは踏みつけるものだからという理由以外にも、実はとても深い歴史があって、差別の問題にもなるので、気になる方は調べてみてください。

そうは言われていても、下駄は別です。
左右一対でありますから、夫婦円満、夫婦和合の縁起の良いものなのです。

天狗と言うとお面が思い浮かびますが、こうして画像を見ると、とっても力強い 赤い下駄にパワーを頂けるような気持ちになるから不思議ですね。

さて、天狗の下駄といえば、一本歯です。

画像の下駄は二本歯の高下駄。 アタシは、このあたりに、道了という僧の人間味を感じますよ。

天狗と言うと浮世離れしてしまいますけれど、道了はしっかり歩ける二本歯の下駄で、親身に人々の為に尽くしたに違いないと思います。


Hオトウ、Sちゃん、夫婦円満のパワーで更にあちこちを飛び回ってね。
あ、恥ずかしがらずに、オトウの写真もね。

そのパワーからパワーを貰っちゃおうと思って居るんだから。

次はいつかな?次は何処かな?

晴れ時々Hオトウ、次回もお楽しみです。








集中稽古

たかが衣類なのだが、和服では、着心地の良し悪しを感じやすい。

それが、着物や帯のせいなのか、着方によるのかは大切なところなのである。

寸法が合っていれば、大抵の場合、着心地の悪さは、気付けの仕方に問題がある。

そんなわけで、今日は集中稽古になった。

自分で着てみて、どこが不満か聞く。

その不満を何故感じるかは、着付ける様子を見ていれば判るのである。

このまま進むと、必ず着心地悪くなるだろうなぁ、と思いながら、黙って最期まで見ている。

お太鼓が低い位置にきているのが、自分で着た方。 高い位置にあるのが、着せ直した方。

明らかに違っていて、やはり着心地も断然良く、着姿もキリッと粋に恰好良くなるのである。

この、着心地の良い方の感覚を身体で覚えて、そこに向かって頑張るしかない。

今日のコーディネートは、柔らかく軽い十日町紬に九寸の染め帯。
帯は、ちょうど大きい姉さんくらいの年だった頃に誂えたから、20年以上前の物。

優しい組み合わせで良く似合った。

仕事の事が頭から離れ、とても良いストレス発散になるようで、順調に後継者育成が進んでいる。

あれもこれも、伝えておきたいことが山積みだ。

元気なうちに、どこまで教えられるだろうか。

教えるのも頭を使うし、気晴らしにもなるが、これが結構くたびれる。

知りたい気持ちと伝えたい気持ちを合わせて、とにかく稽古を続けるしかないのである。

今から休憩します。

2018年2月23日金曜日

もつ煮込みの適量

前回作ったもつ煮込みが好評だったので、リピートしてみた。

根菜をたっぷり入れて。

実は、もつ煮込みを、外で食べたことがない。

お酒好きな人には、良い肴なんだろうなと、そのくらいしか知らなくて、一人前の適量が判らないのである。

我が家は晩酌の習慣は無く、家にアルコールが無い。 夏場に缶ビールくらいは冷えていても良さそうなものだが、それすら無い。
Tが転がり込んで来たときに、その事に気付いて訊いてみた。
思い出せなかったからだ。
「あのさ、夏にビール飲むんだったっけ?忘れちゃった」

答えは、「飲みません。アイスクリームがあった方が良いの」

そのようなわけで、夜はきちんとご飯を食べる。

もつ煮込みを主菜にして、だし巻きでも焼けば済んでしまう。

ひと様のお宅の晩御飯は、一体どんな感じなんだろう? 話に聞いても、なかなかイメージが湧かない。

イメージと想像とリアルには、どの程度の落差があるかということも、最近よく考える。
30~40代の家族をイメージしてみたが、他の人がイメージしている内容と、自分の中のイメージが合致しなかったからだ。
そこで我に返った。 周りにいっぱい居るではないか! 小さい姉さん家族を含めて、リアルな家族が溢れている。3分の1、或いはそれ以上が独身だ。大きい姉さんもその一人である。
若い。漠然とイメージした像よりも、圧倒的に若く、10年の落差がある。
もう孫がいる世帯にしても同じだ。自分を含めて、ヤドリギのオトウとSちゃんだって、立場は孫の居るジージとバーバだが、お爺さんとお婆さんではないのである。
Tが通勤電車で、席を譲られる事は皆無であろう。
もしも優先席に座っていたら、因縁をつけられてもおかしくは無い。
お歳を召されたなと感じるのは、70半ば辺りからだ。

イメージという曖昧な先入観。 リアルな姿をよく見なければ、大きな間違いに繋がるに違いないのである。

本音のお礼

ネギと牛蒡を買うのに、八百屋さんに立ち寄った。

街の商店での立ち話は珍しくないことだが、大して興味の無い話題に付き合わなければならないおばちゃんは、結構ストレスが溜まっている。

おばちゃんが話したいのは、天気の話でも野菜のことでもないし、町内の誰かがどうしたこうしたという事にもウンザリしているのである。

かといって、配達で飛び回っている息子では話し相手にもならないから、アタシが行くと話が止まらなくなる。

この人にならば、本音を話でも大丈夫だと思っているからだ。

何が大丈夫なのか?

家族でも町内でも、親しい友人でも、その関係に波風を立ててはいけないという 和を保つ心理が働く。
しかし、アタシとおばちゃんの間には、保たなければならない何物も無いのである。
それに、ただ聞くだけではなくて、おばちゃんは、アタシがアタシの考えを率直に述べるタイプだということを知っている。

寝たきりで入院中のおじちゃんをどうするか、1歩踏み込めば、入院費が馬鹿にならない金額であること、 早く死んでしまった方が楽なんじゃないかと思っていること、それがおばちゃんが本音で話したい事なのである。

当たり前だ。下手に延命されてしまえば、家族の負担は計り知れない。 おじちゃんだって、言葉が喋れたならば、きっとそう言うに違いないし、管に繋がれて生かされている今の状態から放たれたいと思っている。

次にヤマ場が来たら、延命は断りなねと言ったら、「そうだよね?冷たくは無いよね?誰だって嫌だよね?」そう言って、奥の調理場に走っていった。

本音を話せて、本音を聞けたお礼に、焼き立ての卵焼きと、少し葉が黄色くなったというだけで売れない三つ葉をくれた。

本来は、本音を語れる関係こそ身近な筈なのに、保たなければならない和 がそうはさせてくれない。

おかしな話だが、その和がどんな和なのか、保つ価値がある和なのか、それを語る相手がいない人の方が多いのである。

本音を聞いて、本音を返しただけで、アタシは何度もお土産をいただいてしまって、本当に恐縮している。

けれど、お土産が欲しくて本音を聞いたり話したりしている訳では無いから、恐縮しながらもいただいて来る。

お土産なんか渡さなくても、本音の付き合いが出来る人が一人でも居たならば、それは人生の宝に違いないと思っている。

2018年2月22日木曜日

眠れるスープ 最強

今夜は、豚肉と野菜の炒め物。
給料日前日に相応しい献立だ。

先日、黒酢を入れたスープを作ったのだが、大きい姉さんがこんなことを言った。

「酢を身体に入れるとよく眠れるのよ。ほら、あなたこの間作ったでしょ?酸っぱいスープ。あの日に気付いたの。」

それから時々、黒酢を飲んでいるらしい。

眠いけれど眠れないアタシは、それを聞いてまた作ってみた。

アタマがイイから、具材の野菜には、眠れる効果がある玉ねぎをどっさり入れた。 ダブル効果を狙うのである。

黒酢と玉葱の卵スープ。別名、 最強に眠れるスープ

果たして効果は?

味は、スーラー湯麺或いはサンラータンメンと呼ばれているやつから、辛味を抜いた味 。

辛味は好みで加えれば良いからだ。
唐辛子系の辛味を食べると、瞼が下がるような気がするから、寝る前に食すならば、七味や一味、豆瓣醤を入れれば、最最強になるかもしれない。

ここで、効果を楽しみにし過ぎてワクワクと興奮するのは逆効果なのである。

身体に酢を取り込んだ事を忘れる位でなくては、真の効果が判らなくなってしまう。

とても美味しいスープなのです、眠れる人も試してね。

チーム

朝から冷え込み、外に出たら、雨が雪混じりになっていた。

隣の呉服屋さんのショウウィンドウに、吊し雛が飾られ、3月が近いことを知る。

なにしろまだまだ冬の気温で、雪混じりだから、カレンダーを見ても春を実感しにくいのである。

一致しないという状態が苦手なアタシは、一致するまで合点が行かない。

気温、陽射し、植物の彩りや、人々の服装に表情。どれを見たり感じたりしても、明らかに春だと思えるまでは落ち着けないのである。

クロネコヤマトの若い配送担員が、注文したお肉を届けに来てくれた。
急に成長して、しっかり自信をつけた、あの若者だ。 代引きの代金を用意しておくのが間に合わず、午後の再配達をお願いした。
何時頃なら良いか、午後の担当は別の人であること、確かめて戻って行った。重い荷物なのに、悪いことをしたなぁと考えていたら、先程再配達してくれた。

先輩のベテラン配送員さんだった。

彼は本当に成長したね、と話しかけた。

年末の一番の繁忙期を乗り越えた辺りから、職場内でも、彼の成長ぶりが話題になったのだそうだ。
年が明けた頃から、急成長して、すごく助かっていると言っていた。

運び届けるだけではなくて、彼らにはセールスマンの一面がある。
ヤマトさんに頼もうと思ってもらえるような仕事をしなければならず、そう思ってもらえれば、特に企業などからの仕事が増えるとグーンと利益が上がるのである。
その分、仕事も忙しくなるわけだが、収入も上がる。

何が苦手なのかも判らず、先輩たちもハラハラとしながら見守っていたらしい。

あの若者にも、見守り続けた先輩達にも、早い春が来たわけだ。

適性を見極めつつ、必要な時に的確なアドバイスをする先輩達の暖かい気持ち、それに応えようと乗りきった若者。

チームで仕事をするには、相手を知り、焦らず待つ事が欠かせない。

そこに辿り着いた時から、チームプレーが始まるのである。

2018年2月21日水曜日

創造

長年、何の専門教育も受けず、洋服やら服飾小物やら、そんな様々を作って来たが、今になって、自分がやって来た事は何だったろうかと思っている。

目の前にはどの家庭にもあるような裁縫箱が1つあるだけだった。

作らなければならないものもなく、とにかく、1台のトルソーを手に入れたのである。

トルソーは、ただの人型をした土台であり、生身の人間で言えば裸だ。

そうして、たくさんの計測の平均値で作られており、あくまでも目安だった。

試しに、自分のシャツを作って見たが、着心地が悪かった。
何故だろう?
この何故という疑問を抱いた瞬間に、目の前に白いカンバスが広がった。

そうして、作る事は創る事で、想像力と好奇心、経験が欠かせない事を学び、一番後からついてきたのが技術だった。

更に、他人の物を作るようになった頃、一番時間をかけたのが、聞く事である。欲しいものはどんな物なのかを知るための
ヒントをかき集める作業だ。

無いものを創るわけだから、相手が想うオレンジ色のドレスと、自分が想うオレンジ色のドレスが、必ずしも同じとは限らない。 オレンジという色さえも、微妙に違っているかもしれないのである。

トルソーに何種かのオレンジ色見本生地をピン留めして見せる。

室内と太陽光の下では、印象も変わる。

夕焼けのようなオレンジと希望していた人が、それを見て、淡いシャーベットオレンジを指差すということも珍しくなく、ではその中間にしましょうという平均化は皆無であった。

仮縫い辺りで見てもらうと、膝が隠れる丈の予定がもっと長め、或いは短めにと変更になり、その工程そのものも経験となった。

曖昧にしておく事が出来るならば、完成間際まで、そこは曖昧のままが良い。
曖昧にしておくという事は、想像の余地を残せる事であり、変化の可能性が開かれているからだ。

クリエーターと職人の違いは、多分この部分なのではないかと考えている。

ディオールと私 本当に良い映画だった。
若い頃に観ても、良さは解らなかったろう。

何もない所から形を創る作業は、いかに想像と工夫をする余地を残すかという事に尽きると思う。

独創的な思考と想像力が、思わぬ発見に繋がったり、意外な完成を見る事に繋がる。

人の心を繕う作業もまた、同じことなのだと思っている。

さて、今年は何を観に行こうか?

あらすじを読まず、配役も調べず、感動も期待しない方が良い。

何が始り、どんな終結を迎えるのか、誰にでも、それを楽しみたいという気持ちが備わっているのである。

命頑張れ

今日は友人のお見舞いに行ってきた。

昨年暮れのプチ忘年会で会った時には元気だったのに、思っていたよりも悪いようで、殆ど話が出来なかった。

来てくれた事のお礼を言わなければと思うのか、必死に話そうとするので。

何にも喋らずに寝なさいよ、解った?と伝えてきた。

こういう時には、遠慮もマナーも無用である。

お互い様で、いつか、こちらが見舞ってもらう事になるかもしれないのだから。

気遣いをさせずに見舞うのは、なかなか難しい。
見舞われる方も難しいものだ。

だからと言って、見舞いにも行かずに知らんぷりは出来ない性分なのである。

ご家族が居ない一人暮らしは、今後もっと増えて行くだろうと思う。

体調が悪い時ほど、一人の辛さを実感するものである。

身動きが出来ず、ちょっとした買い物を頼まれていた。スマホの充電に使うコンセントのような物。

ナースコールしか無かった時代には、公衆電話が置かれていたが、今は病院に見当たらない。

元気で手さえ動かせれば、メールは書ける。
その為なのか、携帯やスマホ禁止にはなっていなかった。

1月2月は、我々世代から上は体調を崩しやすいのである。

5月を過ぎれば安定してくる。

それまで、命頑張れ。
命頑張れ。

無事退院の知らせを待っているんだから。

帰宅してから散歩に出たら、白い椿の苗木に一輪だけ開花していた。

何も変わらないいつもの景色の中に、一輪の白を見つけられる事は、実はとても幸せなこどだと思う。

この白い椿の花も、ささやかな命である。

どんな命にも必ず終わりが来る。
それがいつかは分からないから、懸命に生きる事こそ、生きる作法だと思っている。

2018年2月20日火曜日

豆腐肉

お世話になっている動物病院は、電車を乗り継いで行くと 幡ヶ谷で降りる。 渋谷区の北、本町は、独り暮らしを始めて最初に住んだ懐かしい街だ。

方向音痴のアタシは、幡ヶ谷に降り立っても、かつて住まっていた中野よりの地域がどちらなのか判らず、幡ヶ谷の商店街にあるお店で聴いてみた。
真っ直ぐ歩いて、時間にすると20分位だと教えてくれた。

当時は、その旧い貸間の近くに駅は無く、国鉄新宿駅からのパスを使っていた。 西口のバスターミナルから乗り込み、新宿中央公園を左に見ながら10分程で、左が渋谷区、右が中野区になる。

拠点が新宿で、住まいが渋谷、買い物は、通り向こうの中野の商店街に通っていたのである。

商店街というのは実に楽しく、大小様々なお店の間に、週替りの催事スペースもあり、一番おしまいの銭湯も賑わっていた。

地元の人だけが、あの和菓子屋の干瓢巻きが美味しい事や、奥の肉屋のカレーコロッケが絶品だという情報を知っていて、それは、今の時代のように、ホームページで宣伝などしなくても、半年も暮らせば判ることだった。
商店も、地元の人の為に商いをしていたから、その日に売り切れる分しか作らないのである。

各地の商店街が様変わりしたり無くなっている事は知っているが、記憶の中の名店は忘れていない。
麺のお店があり、饂飩から何から、生麺だけを置いていて、特に生冷麦は、冬場でもお昼過ぎには売り切れになる名物だった。

幡ヶ谷の商店街では、老舗の傘屋が有名で、それから、毎回通りかかる度に買おうかどうしようかと迷う手作り豆腐のお店がある。
パッキングされていないお豆腐を持ち帰れる自信が無く、まだ食べた事がない。
きっと地元の名店だということは、宅配便の伝票が山積みになっている事から窺える。
1度は買ってみなければと思っている。

この住まいの裏の商店街は、今は飲食店街になってしまって、大山鶏だけを扱っていた鶏肉屋さんが店仕舞いしてから、名店が無くなってしまい、残念な気持ちでいる。

今夜は、どこにでも売っている木綿豆腐と牛の切り落としを使って、お豆腐の方が多いから、豆腐肉。

幡ヶ谷のお豆腐を持ち帰る事が出来たら、先ずは冷や奴で味見をしなければと思っている。

無制限4500円

1度行ってみたいと思いつつ、前を通り過ぎるだけの中華料理店。

ランチタイムも夜も混んでいるから、味が良いのかもしれない。

相場が判らないが、時間無制限のオーダーバイキング飲み放題食べ放題4500円は安いような気がしている。

飲食店街には、ラーメン屋さんは数軒あるが、中華料理店専門店は他に見当たらないのである。

油を使う中華を好きなだけ食べろと言われても、そんなにたくさんは食べられないだろうから、採算は取れるに違いない。

賑やかに貼り出されているメニューを見ていたら、急に餃子が食べたくなってしまった。

餃子は、小振りで皮が薄いのが好みで、必ず酢をつけて食べる。
特に、カリカリの揚げ餃子が好きなのである。

ここ数日、眠くて仕方が無いのだが、年末に風邪を2回引いてからは、体調も良く、珍しくお腹の調子が良い。
お腹の調子が良いと、食欲も出るようで、特に揚げ物が食べたい。

残念ながら、今夜は煮物系。

最後に美味しい中華を食べたのは、孫のマコシンのお宮参りの時だった。

表参道の南国酒家。

あれからもう4年半!
やっと1ヶ月を越えたマコシンを囲んで、お参りに記念撮影に会食にと、賑やかで楽しい1日だった。

光陰矢のごとし、マコシンは今年もう5歳になるのである。

2018年2月19日月曜日

裸足じゃ歩けまへんがな

破棄潰した草履を整理して、普段履きの草履を今年は買おうかと、いつものショップのホームページを覗いてみたら…閉店。ならば次はあのお店と思ったら完売、仕方が無いから、品数は少ないが、3番目のお店を覗いたら、なんとこちらも閉店ではないか!

欲しいのは普段履きの草履で、当たり前だが、和服用。 好みもあって、材質にも拘りがあるのだが、これでは選ぶどころか、日本中を探し回らなければならない。

裸足じゃ歩けまへんがな。

草履や下駄が、スニーカーのように売れないのは解る。
売れるようなヘンテコなカフェ草履なる商品が出回ってしまうのも、致し方無い。

だからと言って、少数の正統派を見捨てないで下さいと言うのは贅沢だろうか?

あ~~イヤダイヤダ。何とか風、何とか系が溢れて、肝心の大本が消えていく。

昨日も、大正ロマン風らしき姿の和服女性を見掛けたが、あまりの田舎臭さに引っくり返りそうになってしまった。

柄足袋にカフェ草履、古着の原色柄銘仙をツンツルテンに着付けて、足首丸出し。 そこに、礼装用で、しかも60代以降の方向きの銀鼠色の道行きを着て、トマトケチャップみたいな色の口紅を分厚く塗っているのである。

世も末だよね。

実験豚ヒレステーキ

ブロックで買っている豚ヒレは、業務用で長さが40センチはある。

ヒレカツ3~4人前であろうか。

いつもは、繊維に対して直角に、繊維を切るようにカットするのだが、今夜は実験的に、繊維に沿って縦に切り分けてみた。

理由は、その方が大きく見えるからである。

結論から言うと、確かに大きく見えた。しかし、豚ヒレの繊維は、意外にも強いことが判った。

噛みきれないのである。
仕方が無いから、裂きながら食べた。

サラダは、大根と白菜とキュウリ。
お味噌汁は木綿とワカメ。
主菜に長ネギを加えて、給料日まであと3日。

今月は、ヤドリギ野菜のお陰さまで、野菜高騰不足を乗りきれた。

今日は、身寄りが居ない友人から連絡があって、入院している事を知った。1月10日過ぎから音信不通で心配していたのである。

掛かり付けの病院を知っていたので問い合わせたが、個人情報保護法でお答え出来ませんと言われていた。
入院の有無くらい教えてくれても良いだろうと思うが、とにかく駄目だと言うので、連絡を待って居たのである。

これからは一人住まいが増え、私の世代だって、いつ何があるか判らない。
守ってもらいたい個人情報はあるけれど、ベッドに横たわったまんま、連絡さえ出来ない場合はどうしろと言うのだろう。

近々、お見舞いに伺う予定でいる。

体感温度が麻痺

日向は暖かいような、日陰はかなり寒いような、体感温度が麻痺してしまったらしく判らない。

ショートカットにしたパズーも丸裸で散歩に出たら、今日は寒いね~と、同じマンション内で何頭かの犬を飼っている顔馴染みに話しかけられた。

ダウンにマフラーに毛糸の帽子に手袋の重装備だ。

なんだか暖かいか寒いか分からなくなっちゃったのよと答えたら、とにかくパズーに何か着せてやれと言われてしまった。

ダウンやコートから、スプリングコートに移行するのは何月だったろうか。
それすら思い出せず、クリーニングに冬物を出すならば、5月が間違いないだろうと思いながら帰ってきた。

短めさっぱりとお願いしたパズーのカットは、通常、サマーカットと呼ばれていて、これ以上短くは出来ないギリギリ。
だからピンク色の地肌が透けている。

パズー、今日は暖かい?寒い?

首をかしげるばかりでワンとも答えてくれないのである。

2018年2月18日日曜日

ミッドナイトカレー

布団に転がるのは早いが、実際に睡眠に入る時間は、アタシが一番遅いのである。
日付けが変わる前に寝たためしが無い。

二人が帰宅して、一通りの家事を済ませると、食後の眠気はどこへやら、寝付けなくなってしまう。

昨夜は、真夜中の1時過ぎに思い立ち、いつもは起きてから作るパズーの野菜スープを煮た。

明日はスープを煮て、それから…と考えていたら、今作っちゃえば楽じゃん!と思ったのである。

そしてついでに、カレーの下準備もやっつけてしまう事にした。

じゃが芋剥いて玉葱刻んでと進め、鍋が煮たってから弱火にしておしまい。
火は40分で勝手に消える設定になっている。電化キッチンありがとうとか言いながら、Tのイビキと、大きい姉さんの寝息、圧力鍋がシュッシュという音を聞きながら、暫く台所に座っていた。

毎日とは行かないが、こうすると翌日の時間に無駄がない。
焦らずに済むのは重要な事だ。

今夜はミッドナイトカレー。ルーは控え目だが、ニンニクも生姜も一晩経って、深い味がする。

夕方、Tからご飯は要らないとメールが来た。
日曜日は大姉の帰りも遅く、食べない時もある。

うまく行けば、明日もミッドナイトカレーで済むかもしれない。

あ~、楽チンで美味しかった。

日本らしさって何だろね

児童公園に隣接する、外国人向け宿泊施設がオープンしていた。

turntable という名前の飲食店には、日本人が座っていたから、誰でも利用可能なのかもしれない。

これから、このような施設が激増して、様変わりして行きそうな気配を感じている。

日本らしさって何だろ?

ここから10メートル位歩いたところにある、黒い外壁のレストランの前で、記念写真を撮っている外国人をよく見掛けるのである。

ドアの木の感じが日本らしく見えるのか、配色が面白いのかは分からないが、他にも日本らしさを感じさせる建物は沢山あるのに、何故か此処が人気のようだ。

そんな事を考えながら、パズーと歩いていたら、レンタル着物ショップに併設された、和装小物のお店の中で、欧米の男性が仕立て上がりの浴衣を選んでいた。

興味があったので見ていたら、女性用には、白地に黒の松葉と楓柄、自分が着るのか、男性用は、白地に黒の細かい格子を買った。

藍や華やかな色の物には興味が無いらしい。

モノトーンならば、特に日本らしいわけではないから、もっと別の感性で選んでいるのだろう。

昔、故ダイアナ妃が来日した時の事を思い出した。
二種類の振り袖が衣桁に掛けられていて、どちらも贅をと技を尽くした上物だった。

片方の大人の色使いの物は、京都からダイアナ妃への贈り物として準備され、赤い方は観賞用だったと記憶している。

ダイアナ妃が、赤い方が良いと言って、そちらを差し上げる事になったジーンをテレビで見たのである。

ところが、この記憶を確かめようと調べたが、この件についての記述も画像も無く、今は赤い方を羽織った画像だけが残っている。

あのニュースを見たときに、渋目の方を製作した方は、さぞかし落胆したろうと思った事も覚えていて、赤い方を作った方は、一気に人気が上り、今でも有名な友禅士として名を残している。

オーストラリアから来ていた女性に、浴衣の着付けをお教えした時の事も思い出した。

いくつかの浴衣を見せて、どれが好きか訊いてみた。
彼女は静な雰囲気の水色の浴衣を指差した。

何故これが好き?と畳み掛けると、彼女は COOLと答えた。
英語は苦手だが、彼女が涼しげだからという意味でCOOLと言ったのではなく、こっちの方がカッコヨクテステキ!という意味なんだということくらいは解った。

来る東京オリンピックで、一儲けしたいと企んでいる皆さま方、思い込みの 日本らしさだけでは勝てませんよ。
COOLじゃないとね。

2018年2月17日土曜日

消え行く老舗

最後に銀座へ行ったのが、債務整理の為に弁護士さんの事務所を訪ねた一昨年の事。

歩き回る心のゆとりがあるはずもなかった。

手垢がついた物は処分して、そのうち銀ぶらでもしたいと調べたら、必ず立ち寄っていた、和装小物の くのや さんが閉店していた事を知った。

百貨店内とネットショップは続いているようだが、 暖簾をくぐる時のワクワクした気持ちは、もう味わう事が出来ない。

更に昔、とても手の届くお値段では無かったが、和装バッグの老舗、白牡丹 が店を畳んだ時と同じくらいのショックである。

街が変わり行くのは仕方のない事ではあるが、銀座らしさを支えていた老舗が消えるのは淋しい。

店内は決して広くは無かったが、小間物や帯締めなど、お土産として買える小物を選ぶ時の楽しさは、着物好きにとっては特別な時間だった。

チラッとホームページを覗いて見たが、あの楽しみは味わえないのである。

実店舗には、お店の風格のような空気が漂っていて、品揃えや並べ方にも個性が溢れている。

ネットショップは便利だが、あの空気感と匂い、たまたま同じ時間にお店を見て歩いている人々と、笑みを交わすような触れあいも無いのである。

ショッピングカートに、品物をクリックして入れてみても、衝動買いは防げるが、面白味は無い。

あ~つまらないツマラナイ。
日本がどんどん味気なくなって行く。

オチャメ魚

美味しいと評判の居酒屋さんで、いつも見かけるオチャメ魚のイラストが気に入っている。

毎日書き換えられているのだが、毎回、このオチャメ魚が登場する。

くりっとした眼の感じが愛らしい。

ここは、魚が美味しいと評判で、何年か前に数回入った事があるのだが、確かに美味しく、そしてさほど高くない。

チャージやお遠しも無く、良心的だからか、いつも混んでいるのである。

安定して集客しているお店は、看板もユニークで、このオチャメ魚のようなオリジナルのイラストを見て歩くのも、結構楽しめるものだ。

ササッと、こんなイラストが書けたら良いのにと思うのだが、全く才能がない。

練習しても描けるようにはならないから、見るに徹する事にしている。

今日はバタバタ忙しく、またお弁当を買ってきた。
乗っているのは塩鮭で、オチャメ魚じゃないけどね。

寒の名残り花

ゆうパックを運んできてくれた配送の方が、今日は暖かいと言っていた。

そうかと、マフラーも巻かずに出たら、肩をすくめる寒さだった。

荷物を運んでいる人の言うことを信じてはいけない。
あの人達は、汗をかくほど体を使っていて、こっちは暖かい室内に居るのである。

暖かいと言われたら決して暖かくはなく、寒いと言われたら、それはかなり寒いということを肝に命じよう。

マンションの室内には、隙間風も入らず、ついつい窓からの日差しに惑わされてしまう。

まるい公園は日陰で、見上げた空を写してみたら、寒の名残り花が咲いていた。

写った花弁は、ちょうど椿のような紅色をしていた。

オリンピックの男子フギュアフリーで、注目の羽生選手が連覇て金メダル。 テレビに釘付けの人が多いせいで、街には人が少ない。

安定した演技と集中力で、彼は氷上に執念の花を咲かせた。

実に美しいジャンプだった。

季節にも、人にも、最後の花を咲かせる力が秘められている。

意識して残しておかなくても、自然に湧き出てくる底力なのだと思う。

2018年2月16日金曜日

お助けモヤシ60円

大束で買い求めたセロリと豚の塩コショウ炒めがメイン。

副菜には、お助けモヤシ60円を3袋で、パプリカと一緒に胡麻酢サラダに。

モヤシは、パズーのおやつでもあるので切らした事がない。

3袋も!と思われるかもしれないが、湯引きして絞ると、大した量ではなくなってしまうのである。

生のモヤシを、パズーがあまりに美味しそうに食べるものだから、アタシも生で摘み食いする事がある。

甘くて美味しい。

だからといって、生のモヤシを盛り付けて出すのは抵抗がある。

しかし、以前に誰かに連れていってもらった焼き鳥屋には、キャベツというメニューがあって頼んでみた。

出てきたのは、千切りにもしていない手の平くらいの生キャベツ数枚。
それに塩が付いていたか、タレだったか。 とにかく、そのまんまキャベツだった。

そして、それが美味しかったのである。

時々その事を思い出す。

生のモヤシを出してみるか?
そのまんま出してみるか?

もしもOKで問題なければ、お助けモヤシは大助かりモヤシになるし、多分、3袋は多すぎるだろう。

腹持ちは悪いけどね。

寒暖

いよいよ三寒四温の季節到来である。

昨日の暖かさに気を緩めたら、今日は寒い。

昔、どなただったかは思い出せないが、良い花屋の選び方を教えてもらった事がある。

切り花が、バケツなどに常温で並べられていて、冷蔵庫の花数が少ない方が良いのだと。

花でも何でも、温まったり冷えたりと、寒暖の差が激しいと、消耗して傷みが早いからという理由だった。

そう言えば、収穫された後に、冷蔵便で運ばれてきた梅の実で漬けた梅干しの出来が悪く、色々工夫しても上手く行かなかった。
それで翌年、収穫からずっと常温で運ばれてくる梅を使ってみたら、その年の梅干しは、とても良い出来だった。

人間が、寒暖の差が激しい春に体調を崩しやすいのも、変化に対応出来ずに疲れてしまうからだろう。

商店街の花屋の店先は、常温で賑やかに咲いている。
もうクロッカスが並んでいた。

最後に八百屋さんに寄ったら、おばちゃんが、頭痛がすると座り込んでいた。
毎日吹き抜けの土間で働き、日に何度も、倉庫のように大きい2畳はあろうかという冷蔵庫を出たり入ったりしているせいだろう。

もう花粉も飛んでいて、あちこちから、体調不良の声が聞こえてくる。

安定するのは4月半ば。

あと2ヶ月は油断禁物なのである。

2018年2月15日木曜日

鼓と冊子

ふわりとした風合いの、この生成り地の着物は、越後の十日町紬で手織り。
織り出されているのは、鼓と冊子の柄である。

背丈があり、裄も長い大姉と共有出来るのは帯だけで、着物はどうにも寸法が合わない。

自分で買い求めるから、見立てをしてくれと頼まれたのである。

背丈があるということは、このような大きめの柄が飛んでいても、柄が隠れてしまう事が無く、逆に 着物が見える面積をぐっと引き締めてくれて着映えがする。

1度も袖を通していない仕立て上がりの保管品を、お安く譲っていただいた。

年齢を選ばないから、20年は着られると思う。

さて、大きい姉さんは、果たしてどのような帯を合わせるだろう。

こればかりは好みがあり、合わせ方のコツくらいは教えるが、そこから先は黙っているつもりでいる。

人の想像の世界に踏み込むのは野暮というもので、決めるまでの楽しみを奪ってはいけないのである。

しかし、自分だったら…と、人の着物で帯合わせを楽しませてもらうのは邪魔にはならない。

だから、着物好きが増えると、楽しみが倍増して行くわけだ。

大きい姉さんと同じ歳の頃、アタシは既に2児の母であり、大きい姉さんはもう10歳、小さい姉さんも小学校に上がっていた。
入園から卒園、入学式などは、いつも着物と決めていて、普段もよく着物を着ていたのである。

従姉妹の婚礼に列席するために、初めて白生地から染め誂えた訪問着の柄が鼓だった。

流石に赤いと思うものは、惜しむ事無く生徒さんにお譲りしたのだが、織りの着物は未だに現役で着ている。

変わったのは、移ろっていた好みで、今は迷うことなく定まっている。

洋服は、普段もよそ行きも山のように着て破棄してきた。そう考えると、着物は実に経済的なのである。

春陽気

午後の散歩に出たら、ポカポカ春陽気だった。

途中でダウンを脱ぎたくなるような暖かさ。

そして、目に違和感があったから、もしかしたら花粉かもしれないと思った。

既に、ヤツガシラを鍋にかけて出たので、帰りにキュウリを買った。

初キュウリで、春夏になると食べたくなるから、ワカメと玉ねぎで胡麻酢サラダに。

ほっくりヤツガシラには、人参と挽き肉と、ひと口結び白滝を一緒に。

この暖かさで油断してはいけない事くらいは判っていても、必ずある寒の戻りが堪えそうな気がして怖い。

毎年、春が一番不調なのである。

昨年の今頃は、外壁の修繕工事だった事を思い出した。

パズーと二人で、はつりの騒音に耐えながら、自力内装リフォームでペンキにまみれて居たのである。

そう考えると、あっという間にまた春が来るような気もするし、やはりまだまだ先は長いような、複雑な気持ちになる。

債務返済同居開始から2年。 折り返して、残り1年10ヶ月。

今年を丁寧に乗り切れば、来年はカウントダウンに入る。

その後も行き長らえていたら、この苦しい数年をどんな気持ちで振り返るのだろう。

とにかく、毎日ご飯が食べられている事に感謝感謝である。

1999年 父の命日



お父さん

驚いたことに、平成は30年になって、それも再来年には新しい元号になります。

お父さんは昭和5年生まれだから、あのまま生きていたら88歳の米寿という事になります。
更に驚く事に、日本は長寿大国になって、お父さんと同じ年齢の人たちがウジャウジャと元気に生きているのです。

同級生の両親は、結構ご健在で、皆なが介護で頭を悩ましているのです。
私にはその心配が無いから ありがとう。

このあいだ、自分が死んでしまったら、心の中の親父はどうなるんだろうという内容の短歌を見つけました。

私も50代の半ばを過ぎて、ふと同じことを考えることがあります。

人は死んでも、誰かの心の中に生きていて、心の中で会話が出来ると、お父さんが病の床で話していたことは事実で、確かに度々思い出したり、子供たちとの話題に上っています。
だから、私が居なくなっても、多分、お父さんはまだ誰かの心の中には生きるはずで、その頃には100歳を超える事でしょう。

私は昨年、自分が納まるお墓を買いました。
質素な納骨堂です。

多摩霊園は、もう満員御礼なのよ。
お父さんは戒名を拒否して俗名。お母さんは戒名を貰って、さてどうするかと悩んでいるところです。

お父さんは、もっと長生きしたいという気持ちを持っていなかったし、私も同じで、長生きする年月よりも、年月の中身に興味があります。

ただ、お父さんのように、画を描いたりする才能もなく、何もかもが中途半端な感じです。今更どうすることも出来ないから、このままでいいやと思うようになりました。

部屋が狭くて、こんなデッサンしか飾れないんだけれど、そのうち壁を空けて、あの梅林の油彩を飾るつもりです。

あの画はいいね。
静かな色調で、だけどどこかに強さがあって、良いなと思って保管しています。

そうそう、子供の頃は本当に嫌だったけれど、昨年から玄米食にしました。

強制されると美味しくない物が、自主的になると美味しく感じる。
同じ玄米なのにね。
粗食はとても良くて、身体が軽く感じます。
頭の中は、ご存知の通り軽いままですけれど。

ではまた来年の命日にね。











2018年2月14日水曜日

お勧めセロリ

セロリは、好き嫌いが分かれる野菜かもしれない。

香りが苦手と聞いた事があるが、そのクセのある香りが好きならば、是非お勧めしたいのが、セロリのサラダ。

筋など取る必要は無い。
根元の方から、1ミリ厚さに斜め切りしてゆく。

刻んだら塩をして、暫くするとしんなりするから、後は流水で洗い流してよく絞る。

今夜は人参の千切りも加えて、フレンチドレッシングで和えた。

このセロリは、一夜漬けにしても実に美味しいのである。

主菜は、鶏もも肉と長ねぎの甘辛煮。

スープは、白菜とくこの実の薬膳スープ。

今日は大きい姉さんが半休で、2回目の着付け教室だった。

人に何かを教えるのは、我が娘であっても、結構エネルギーが要る。

何を難しく感じているか、どこに手間取っているかを見極めて、どう教えるのが良いかを考える。
これが、その人によって違うし、性格も関係するのである。

何度もお稽古をしていると、その人のおおよその性格や、はたまた、暮らしぶりまで見える事がある。

紐1本結ぶ仕草に、色々な事が見えるのである。

お稽古代は請求していないが、煙草を買ってくれた。

さすが母娘、あちらさんもこちらをお見通しという訳なのである。

暖かバレンタイン

今日は暖か。

バレンタインのチョコレートを貰えた方々はおめでとうございます。

貰えなかった方々は残念でした。

アタシは夜中にチョコレートデニッシュを食べました。

バレンタインだというだけで、パズーのコートがチョコレートに見えます。

チョコレートはお菓子の王様だと思っていますが、差し上げた回数は少なく、いただいた事の方が多いです。

つまり、あまり興味がありません。

ですが、例えば学校とか職場で、貰える人と貰えなかい人が居るのは、見ていても辛くなりますね。
だからと言って、義理で配るというのも馬鹿げていると思いますので、初心に戻って、本当にあげたい人があげたい人にだけあげるのが良いんじゃないかと思います。
こっそりね。

何でもあからさまになるとツマラナイ。

密かな方が楽しめると思います。

ちゃんちゃんこを納品しました。
とても喜んで下さったようです。

チョコレートのひとつくらい添えれば良かった。
気が回りませんでした。

今はチョコレートを食べたい気分ではなく、お菓子ならば、お煎餅が食べたい。

どこまでも天邪鬼です。

2018年2月13日火曜日

大根とケチャップ

大根おろしにケチャップを入れて食べるなんて人は聞いた事がない。

しかし、大根にケチャップが合うかどうかは試してみなければ判らないのである。

今夜は、豚とビーマン、2色のパプリカに大根のケチャップ炒めを作ってみた。
大根は短冊切りにして。

結果はどうだったかと言うと、美味しかった。

炒めているうちに、大根は半透明になって、カモーンケチャップ状態になった。

ケチャップの他には塩コショウだけで仕上げる。
そして盛り付ける。食べる。

何故美味しかったのかと言うと、大根は半透明になっただけではなくて、まるで入っていないかの如く、味も主張せずに収まってくれたのである。

あまりの存在感の無さに、大根が入っていることさえ忘れてしまった。

しかし、量は増えて大成功。 ボリューム満点だった。

お味噌汁には里芋と長ネギを。

ものは試しの一汁一菜。

時々、無性にケチャップ味が食べたくなって、余ったお餅をチンして、ケチャップ餅を食べる事もある。

玄米でチキンライスを試していないのだが、炊き込みや炒飯には、やはり白米が向いているから、最近のアタシはケチャップ不足だったのだと思う。

怪我のような

ピョコピョコと、右前脚を着くときに痛そうなパズー。

怪我のようなもので、脚先から血が滲んでいた。

表側なのか裏なのかは判らず、試しにゴム靴を履かせてみたら、ウーウーと怒る。

しかし、なだめすかして外に出たら、靴を履いている事を忘れて歩き出した。

ピョコピョコしないで歩いている。

歳のせいなのかもしれないが、地面に着地するときに、脚指が開いた瞬間が痛いに違いない。

アスファルトの道は、平らなようでも、結構ごつごつとしている所があって、こういう時には、なるべく平らな表通りの歩道が良さそうだ。

道玄坂を進み、コメダ珈琲がオープンしたのを見ながらまるい公園を回ってきた。

帰ってから靴を脱がせてみたら、血が出ていなかった。

暫くは悪化しないように気を付けなければ。

今日は寒く、街に人が少ない。

日本人が寒がりなのか、東京人が寒がりなのか、半袖に革ジャンだけで楽しげに歩いているのは外国人ばかりだ。

外国人の男性カップルが、仲良さそうに腕を組んで歩いていて、パズーの赤い靴を見て笑っていた。

2018年2月12日月曜日

江戸紅型

本だての藍染で染められた紅型(びんがた)の小紋を持っていて、数週間前から、合わせる帯を考えて楽しんでいる。

紅型は、琉球の染め物であるが、内地でも染められていて、京紅型と江戸紅型がある。

琉球の紅型は、糊を置いて染める手法で、江戸紅型は、型紙を用いるという違いと、色柄が落ち着いた物が多いという特徴がある。

灼熱の陽光の下では、原色に近い琉球の紅型でハイビスカス等が染められていると映えるのであるが、ここは東京。

振り袖や、帯くらいはなんとかなるが、好みから言うと、やはり江戸紅型なのである。

まして、正藍で、藍から染められる濃淡がホレボレするほど深く美しい。

50代になったら着ようと思い、帯の事は考えずに居た。

簡単に決めるならば、無地の帯で間違いないが、それではつまらない。

想像するのはただなんだから、思う存分楽しむ。

この時間が、組み合わせを決めて着る当日よりも、ずっと愉しい時間なのである。

あっちの帯、こっちの帯を乗せてはため息をつき、無い物は頭で想い描く。

遠目に無地に見えるくらい細かい型紙を使って染める江戸小紋が好きで、小紋には、型紙を使わない物もたくさんあるのに、何故か伊勢型等の型紙を使った染めに惹かれる。

型紙は、反物の長さがあるわけではなく、短い物を使う。
下手をすれば、型紙を置き換えた時の筋が染まってしまって、その時点でお釈迦になってしまう。

型紙を載せ替える作業に、1ミリのズレも許されない。
その緊迫感に魅せられているのかもしれない。

さてどうする?
どんな帯を締めようか。

出掛ける予定も無いから、当分は魅惑の世界で遊ぶ予定なのである。

振替休日

さーて月曜日だ!と思って外に出たら、あちこち店休。

祭日かぁ。何の日?

帰宅してカレンダーを見たら、振替休日だった。 建国記念日が昨日だったらしい。

カレンダーは、休みが赤で普段は黒。
何の休みかを殆ど意識した事が無いのである。

二十四節季は気にしているが、休日とは関係が無い。
それに、休日を休日らしく過ごす事はないのである。
実際に、今日もいつもと変わらない。

駅方面の再開発工事が、上に伸びてきて、道玄坂の向こうに見える。

また寒さが戻り、今日はパズーも短距離散歩。

夜は、牛丼と白菜のごま酢サラダに、野菜出汁に野菜を入れたスープ。

野菜出汁があるということは、パズーの野菜スープ作ったからで、今日も台所仕事は忙しく、アタシに振替休日が欲しいくらいなのである。

2018年2月11日日曜日

毎月1回手羽飯

月に1回のペースで手羽飯。
どこが気に入ったのか、実は自分でもはっきりとは判らないのだが、手羽飯を食べていると、頭が空想の世界に飛んで行くのである。

どこの国の料理と決まっていないが、どこかの国で、それも庶民が食べているに違いないと思える味がする。

似たような物を、絶対に食べているに違いないのである。

安価な手羽元を柔らかくなるまで煮て、有り合わせの野菜を添えて、煮汁までスープにして食べる。
余すところ無く食べるという部分が、とても庶民的な感じがする。

おおよそ、ある一部分だけを食べるのは、庶民の食事では贅沢なことで、無理矢理ふくらましたフォアグラとか、取り出したキャビア等がそれにあたるだろうと思う。

玄米菜食は粗食が基本なのだが、食材の値段を考えると、庶民的とも言えない。

無添加や無農薬は、手間が掛からないだろうというのは見当違いで、むしろその逆になっている。

そう考えると、その日に一番安く手にはいった食材を、丸ごと食べてお腹を満たす事が、一番粗食と言える。

毎日違う物を食べられるだけで、それは大いに贅沢な事なのである。

そもそも、何故、毎日違う物を食べようとするのだろうか。

栄養の偏りを防いで、より健康にということだろう。

それが可能な時点で、食にも困るような世界のどこかの貧困に喘ぐ人々からかけ離れている。

明日、一口のパンが食べられないかもしれない人々が居て、明日は何を食べようかと選べる人が居て、この落差は埋まる事がない。

手羽飯を食べると、そんな事を考える。

全く何も考えずに、全てが当たり前になってしまうより、考えた方が良いに決まっている。

一人前200円そこそこで、明日が充分に生きられる。

ありがたく、ごちそうさまでした。

やっと仕上がり ちゃんちゃんこ


 立春を過ぎてしまったが、やっとちゃんちゃんこが仕上がった。

昔の人は背丈も小さく、ちゃんちゃんこは背縫いの無い一つ身だった。
その寸法だと、現代人には少し窮屈なのである。

反物を無駄なく、更に着やすくと工夫して、肩下がりをつけたり、衿に緩やかなカーブを入れたり。

電卓片手に割り出した寸法なのでオリジナル。

まだかまだかと待って居て下さるに違いので、明日発送。
今やっと、添えるお手紙を書き終えたところである。

この手紙も好評で、作り手の気持ちや、ちょっとした和の世界を読んでいただき、興味を持っていただけるようにと書いている。

台所仕事をする女性は、半纏よりもちゃんちゃんこの方が着やすいかもしれない。

男性の場合は、反物幅が広い分、更にゆったりと出来上がる。
表地には凝れないが、裏に凝る楽しみがある。

一着作ってみようと思って居る。


2018年2月10日土曜日

今年初の海鮮丼

Tは新年会、大きい姉さんが休み!
条件が揃った~~

と言うわけで、今年初の海鮮丼。
なんてったってワンコイン。

アタシはバクダン丼というのにした。

充分に美味しかった。

人に何かを教えるのは、簡単なようで難しく、エネルギーを消費する。

たかが着付けであるが、理解力を含めて、この人はどんなタイプの生徒さんなのかを、見極めている。

ずっとマンツーマンでやって来た理由もそれで、その人に合ったペースと教え方が大切なのである。

1度教えたことを、2回目のお稽古で、どのくらい覚えているかも、人によって様々。

教え方も、着付け学校とは全く違い、着付けの道具も一切使わない。

教わる側の大きい姉さんも、結構くたびれたらしい。
いつもは使わない部分の頭を使い、使わない筋肉を使う。

人は、背面で何かをする事は滅多に無いわけだが、帯は背中で結ぶからだ。

姿見必須だが、背面での感覚を覚えてしまったら、あまり鏡を見なくなる。

自分の場合は、2~3回見る程度で、後は頭の中で見えない部分の想像をしている。
その想像と動作が一致した時が、着付け教室の卒業になる。

それからは趣味の世界の着物塾。
卒業が無い世界だ。
コーディネートをはじめ、話題が尽きる事は無いのである。

日本人です。
着物を着ましょう。

撤収

横浜中華街の、1つ前の駅でした。 撮影は無事に終了し、撤収後に東横線直通で帰宅。 眠いぞ! Tファミリーは、相変わらず仲良しでほのぼの。