2017年7月31日月曜日

ささ身のチーズ蒸し焼

フライパンにトマトを敷き詰めて、開いたささ身を並べ蒸し焼。
火が通ったらチーズとコーンを乗せて、蓋を閉めて3分。
薄い塩味で柔らかく美味しい。
副菜は、キャベツ、レタス、水菜、キュウリのグリーンサラダをサウザンドレッシングで。
サウザンドレッシングは、マヨネーズとケチャップに塩コショウ、最後にすし酢を足せば簡単に出来ます。
お味噌汁は、小松菜と油あげ。
一汁二菜 を、なんとか今日もひねり出しました。

ゲームのコンテストは、無事にエントリーしたのですが、ルールが変わってしまい、今とても混乱しているところです。
公平にするための改善のような気もするし、そうでは無い変更もあったりして、お先真っ暗。

仲良きこととは

仲良きことは美しき哉

これを読んだのは、随分と子供の頃だった。

父母のどちらかが、誰かの結婚式に出席して、引き出物を持ち帰った。

当時の引き出物は豪華版で、品物の他に、折り詰め、赤飯、鯛の塩焼き、紅白の菓子など盛り沢山だった。

何かしら美味しい物にありつけるので、楽しみに待っていた。

興味は食べ物だったわけだが、その時の引き出物の品は大きな土鍋で、この土鍋の蓋に、野菜の絵と 仲良きことは美しき哉 と書かれてあったのだ。

文字が書かれた土鍋を初めて見た。

様々な本を読むようになってから、これが武者小路実篤が、晩年好んで書いた言葉だと知った。

書いてばかりいないで、たまには人が書いたブログを読んでみるかと、最近あちこち覗くのだが、たいして面白くもなく、或いは更新がストップしていて、結局はまた、書いてしまう。

そんな中で、ママ友とのあれこれを綴った女性のブログに目が止まり、遡って読んでみた。

リーダー的存在の人物がいるらしく、歯向かえない事だとか、同じママ友グループの中に、輪を乱す人が居るらしく、不平不満タラタラだ。

空気が読めないとか、でしゃばりだとか、上から目線で腹が立つとか、そういった怒りが書き連ねられていた。

それでも彼女は、3日と空けずに、そのママ友グループとお茶やらランチやらをしている様子だ。

つまり、端から見れば、仲良しママさんグループという事になるのであろう。

仲良き事の状態が、昨今は変わってしまったのではあるまいか。

この女性は、リーダーの事も、グループの人々の事も、一人として好きとは思って居ない様子だ。

何故、属して居るのだろう。
言いたいことも言えず、言われた事に腹ばかり立てているならば、さっさと抜けてしまえば簡単なのに。

自分の言葉で本音を言って、自分の耳で、相手の本音を聞く。そうしたやり取りの中で、友情と言うのだろうか、良き人間関係が作られて行くはずだ。

寄り固まっていれば仲良き事だと思ったら、それは大間違いのコンコンチキなのである。

輪を保つ事のみに神経を磨り減らし、言いたい事も、遠回しの言葉を選びえらびビクビクと言わねばならぬとは、全く奇妙な仲良きグループだ。

武者小路実篤はこうも言っている。

「君は君 我は我なり されど仲良き」

そして自身については、

[私は一個の人間でありたい
誰にも利用されない
誰にも頭を下げない
一個の人間でありたい
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかはり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい]

こう述べている。
一個の人間としての自信がある者同士は、かなり辛辣にやりあっても、その友情は壊れない。

このような関係こそが、美しいのである。

お互いをいびつにしてしまうような関係は、美しいはずもなく、むしろ醜いと思うのである。

ピカソ


 母の命日に活けたカラーの花が、とうとう残り1輪となった。

水切りして、毎日水を替え、夏場にしては10日間、良く咲いた方だと思う。
1輪、また1輪と、朝になるとお辞儀をするように枯れていった。

花にも枯れ方というのがあり、干からびるような枯れ方もあれば、このカラーのように、ギリギリまで立っていて、お辞儀をして さようなら と果てる花もある。

そういえば、このクリームと紫のカラーの名前を調べていなかった。

ピカソという名前だった。

巻きつくような花弁のカーブ、独特なパープルのグラデーション。
次々と生まれる品種改良された花々に、誰が名前を付けているのだろう。

このピカソは、確かに、芸術的な造形の美しさがあって素敵だった。

パブロ・ピカソにおいては、ゲルニカなどの、落書きのような絵画を思い浮かべる人が多いと思うが、それは多分、代表作として教科書などに載っていたからだろうと思う。

実際には、世界でも類を見ない程の数の作品が遺されている。
何しろ、10代になった頃から描き始めているのだから、その作風の変化も興味深い。

物の見方、考え方、人は生きてゆく中で、これほど変わって行くものかと驚かされる。

明日に延ばしても良いのは、やり残して死んでも構わない事だけだと言ったそうだ。

凡人には耳に痛い。
日々雑事に追われ、なすべき何かさえ明確にならないまま進んでしまうからだ。

兎にも角にも、アタシは、3年以上かかりそうな何かの製作を再開しなければならぬ。

そう思いながら、今日も半日は、家事に追いまくられて過ぎ去ってしまった。

このピカソのように、生き尽くして、さようならとおじぎをして、サッパリと人生を終えたいものだと思う。





じわりじわりと



 ベランダで日焼けをさせている BREE。

じわりじわりと色が濃くなってきている。

日焼けで温度が上がると、革の内部のオイルが表面にジワッと浮き上がり、コーティングされていくという事らしい。

何日もかけて魚を焼くように、裏に返し、またひっくり返しを繰り返している。

均一に焼けるかどうか不安があるのだが、時間をかけるしかない。

アタシはせっかちなので、「急いては事を仕損じる。」と呟きながら、空を見上げているというわけだ。

雨にあたると、シミが出来てしまう。
夕立に気を付けなければ。

顔のシミは全く気にならないのだが、生まれたてのこの赤ちゃんのようなヌメ革は、優しく扱ってやらなければ。

綺麗に焼けたら、先ずはボールペンを入れて・・・
他にろくな筆記具は持っていないのだけれど。



2017年7月30日日曜日

叉焼丼

中途半端に保温されたご飯を、お弁当のおにぎりにしようかと思ったところへ、今夜は晩御飯不要だと、Tから連絡が。
ならば新たに炊かなくても足りちゃうわという事で、野菜入りの叉焼丼にしました。

叉焼と申しましても、ヒレを使いましたので、脂っけは有りません。
お若い方は、ロースで作ると良いかと思います。

お味噌汁はワカメと大根、丸1日漬けた糠漬けは、酸味が強くなって、アタシはこの古漬けの方が好きなのです。

本日も二人ともに出勤です。

休日なんだなと思える日が全くありません。
従いまして、今日は日曜日なんだという事に、散歩中、八百屋さんがお休みで気付きました。

本当は、アタシにも、今日はお休みだーと思える日が必要なんじゃないかと思っています。

ご馳走さまでした。

頑張りたいの コンテスト



 突貫工事の投稿でお伝えしたが、その後数日かけて、出来た!
ゲームの外観コンテストの国だ。

下の画像がほぼ完成だったのだが、 島 という感じに欠ける。

国の名前を ラフレシア 野生の島の夢うつつ としたのだ。

そこで 背景を変えることにした。
海の背景をいくつか持っていて、その中からどれが良いと感じるか、嫌がり呆れる大きい姉さんにつきまとって意見を聞いた。

そうして完成したのが 上の画像。

下の画像で見える四角いマスが、小さい建造物のマス。
大きい建造物は、このマスを4つ使う。
更に特大建造物には6つ使う。
(建造には、大きさによって時間がかかりますが、お金はかかりません)

今回は、野生に関連した特大建物が無かったので、大と小の組み合わせ。
特大があればもっと良かったけれど仕方が無い。

右上端っこにマスが空いているように見えるが、これは、上に浮かぶ 積乱雲 を建造するのに、4つのマスを使っていて、積乱雲は空中建物だから、地表は空き地になるというわけだ。

エントリーは明日の夕方4時なのよ。
そのタイミングを逃さない事。
それから、朝、昼、夜と、1日3回変わる 時間設定を(夜は国も夜になるのですよ)
どの時間帯に固定するか、或いは固定しないか決める事(真ん中の滝は、夜光るんです)
そして、エントリーの翌日から、自分の国を8時間に一回アピールする事。(アピールすると、ユーザーが投票する際の画像に、数時間最新の国として目に入りやすくなるから。

このコンテストは、ユーザー名が表示されないので、普段お世話になって居るお仲間さんからの 頑張ってね投票は望めません。
結構、公平なやり方なのね。

とにかく、頑張りたいのコンテスト。
賞品は無いけどさ。







見える脳

13回というのは、ギックリ腰を経験した回数だ。

最初は23の時であった。もう立つことも歩く事も出来なくなって、タクシーの運転手さんに担いでもらって病院に運んでもらった。
ギックリ腰で救急車を呼ぶのは躊躇いがあったからだ。命に別状は無い。

なんとか受付を済ませて、医者から「ギックリ腰ですね」と言われ、理学療法科へまわされた。
移動は車椅子だった。

理学療法科で、脂汗を滴しながら施術を受け、腰痛体操を教わり、ギックリ腰になりそうだと思ったら、膝裏からふくらはぎ、足裏までを、丁寧にマッサージするよう教わった。
ふくらはぎは、第二の心臓で、血行を促すというような説明だった。

その理学療法士の男性は、いかにも楽しそうな様子で、あれやこれやと喋り続けていた。

痛みを堪えながら「はい解りました。ワカリマシタ(少し黙ってはくれませんか?一生のお願い)」と繰返す方の身にもなってちょうだいよと思ったが、驚いた事に、ほんの3、40分後には、寝かされたベッドから自力で立ち上がれ、帰りは歩く事が出来て、スタスタと階段を昇って帰宅したのである。

その理学療法士さんの話を、最近思い出した。
「手というのは、これまた見える脳と呼ばれていてですね…」

右手は左脳、左手は右脳に関係していて、両方の手を使うと良く、また指を動かす事も、意識的に行うと脳に良い影響があるというような内容だったと思う。

両親の世代の方々をはじめ、今までお目にかかった方々の中で、手先、つまり指を使う仕事や趣味を持っていらした方々は、長寿であり、往々にして穏やかで知的な方が多かった。

意識的に指運動をされていらした方も居た。

アタシは右利きなのだが、携帯は左で使う。
また、縫製の作業では、右手と左手を駆使する事も度々だ。
そうして、少し疲れたなと思うような時に、無意識で手のツボを圧していたりするのだ。

元々の[おつむ]の出来が、あんまり良くない方だから、本能的になんとかしようとしているのかもしれない。
それに、指先を使って造る作業をすると、気分が安定する事も、経験上間違いないと思う。正に手は見える脳なのだ。

ギックリ腰の方はというと、あの理学療法士さんの教えを守らなかった間に何度も痛い目に合い、10年少し前に13回目の苦痛を味わってから猛省し、腰痛体操とマッサージを継続中だ。

独自のストレッチ体操やツボ圧しも、自分を実験台にして試している。
あちこちにガタが出始め、弱点も丸見えだ。

人様を実験台にしてはいけないが、自分が実験台ならば、誰にも迷惑はかからないと思っている。

*画像
高村光太郎 [ 手]
(東京国立近代美術館所蔵)

2017年7月29日土曜日

無性にパンが食べたくて

牛の赤身ブロックを、じゃが芋やらブロッコリーやらトマトやらと、煮込みスープにしました。
そうしたら無性にパンが食べたくなってしまい、土砂降り雷鳴ザッブザブの中、マルエツまでパンを買いに行きました。

ヴィロンやドゥマゴのパンは確かに美味しいけれど、あっという間に数千円。
マルエツの自社工場焼きのパンは、普通の食パンよりは高いけれど、ほどほどのお値段の割りにそこそこのお味で気に入っています。
フランスパンは好みが分かれるようで、とにかく硬く焼かれているのが良いと、パン好きなNさんが言っていました。

本場で食べたのが忘れられないのだとか。
本場のを知らないアタシには、マルエツのフランスパンで十分なわけです。
ご飯も糠漬けも用意してありますが、今夜は煮込みとフランスパンで満足マンゾク。

スープは少しのコンソメに塩で味付け。
あっさりな夕御飯でした。

ファッション迷い道 ブティックのパート店長


 20代の前半、暮らしていたアパートから数分の所にあった小さなブティックに、パート募集の貼り紙を見つけた。

商店街の外れで、一般の洋品店には無いようなおしゃれな雰囲気のお店だった。

時給は600円位だったと思う。
ここで働いてみたいと思い、そのままドアを押した。

ココドールというお店だった。

40代のご夫婦が経営していて、ママはこの店よりも更に奥まった路地にある狭い本店に居て、こっちは支店という事だった。
社長はご主人の方だったが、店番をすることは無く、売り上げだとか仕入れだとか、そういった経営の方をやっていた。

即採用された理由は、3店舗目の出店間近で、このお店の店長の女性が、新店舗の店長になる予定だからという事だった。

社長ご夫婦と店長が社員、パートはアタシ一人。
暫くは店長に仕事を教えてもらったが、新店舗オープンと同時に、このお店はアタシ一人に任されることになった。

9時半に出勤して、店回りの掃除、シャッターを開けたら、ショーウインドーをピカピカに磨いて、ドアを開ける。
店内から外へ出す いわゆる客引き商品を出してから、店の奥のカウンターに座る。
10時開店だった。

開店と同時に、社長が見回りに来るか、或いはちゃんと店を開けたか電話が入った。

ママも時々顔を見せてくれて、とてもお洒落な人だった。

有名ブランドの服は置いていなくて、今で言うセレクトショップだった。

当時は、マンションメーカーというのがあった。
小規模なメーカーが、こういった小さなブティック向けの洋服を作っていて、それをワゴンに積んで営業に回ってくるのだ。

そういったマンションメーカーの服と、社長夫婦が海外で買い付けた服や服飾小物を取り扱っていた。

随分と色々な事を教わった。
例えば、風の日よりも雨の日の方が売り上げが多い事だとか、顧客の好みだとか、一着も売れない日もある事だとか。

そのうちに、店内のディスプレイも任されるようになった。
好きにして良いと言うのだ。

「口開いた?」
これは午前中に必ず社長から掛かってくる電話だ。
何か売れたかという意味だ。
結構なプレッシャーだった。
「まだです」と答えるのは、ブティックのパート店長としての無能さを伝えるようなものだったし、「開きました」と答えられれば、社長は大いに喜んだからだ。

つまり、座っているだけでは駄目で、売らなければならない。

売るためにはどうするか?
そこである日、店内のショーケースからハンガーポールに至るまで、備品大移動で模様替えをしてしまった。

そこへママが現れた。「これ貴女がやったの?」
不味いぞ・・と思った。
店内をぐるりと一周して、ママは無言で本店へ行ってしまった。

ところがである。
その数日後に、社長から、社員にならないかと言われたのだ。
新規の顧客が増え、売り上げがアップしていたのだ。
(断ったけれど)

その頃、バブルの時代に突入していて、服はボディーコンシャスの流行真っ只中だった。
肩パットで強調した肩のライン、細く絞ったウエスト、着る肩パットまで売っていたのだ。

ディスプレイボディーに着せる服を選ぶのも楽しみだった。
暇な時間に、片っ端から試着をした。

「降ろす?」 これは、入荷した服を自分で買う事だ。
4割引きにしてくれる。

アタシは滅多に降ろさなかったが、一着だけどうしても欲しくて降ろした服がある。

それが ティエリーミュグレーの2ピースだった。
アップルグリーンだ。
強調された肩のライン、太いベルトで絞るウエスト。

ミュグレーはフランスのデザイナーだが、その後映像の世界でも活躍している。
造形的な服への憧れが強くなったアタシにとって、忘れられないデザイナーの一人となったのである。
それは、黒からの脱却でもあった。











メリーゴーランド

メリーゴーランドと言う名前の朝顔。

品種改良で、花弁に白が入るようになったそうだ。

なんともノスタルジッグな響きのメリーゴーランド。

そういえば、豊島区にある遊園地 豊島園に設置されているメリーゴーランドは、今年で110年を迎える歴史ある遊具だ。

15歳の時に、ボーイフレンドと乗った記憶がある。
初めてのデートというやつだ。
当時は、デートって何だろう?
よく解らないが、何故遊園地なのだろうと、そんな事を考えながら、映画を観て、豊島園のメリーゴーランドに乗った。

ベンチに座って居ると、これまたお決りのように、ボーイフレンドは、両手にソフトクリームを持って走ってきて、並んで食べた。
楽しませてくれようとしている気持ちは伝わってきたのだが、アタシは頭の中で、陽が暮れないうちに帰りたいと、全くもってボーイフレンドに失礼な事を思いながら、メリーゴーランドの馬を見ていた。
更に、ガールフレンドとしてはあまりにも可愛いげ無く、ソフトクリームはバニラではなくて、チョコレートのミックスが好きなのに…と、ご馳走してもらっている分際で、そんな事まで考えていたのだからヒドイ話だ。

あのメリーゴーランドが、カルーセルエルドラドという名前で、ドイツで手造りされ、ヨーロッパ各地のカーニバルを巡り、アメリカの遊園地に設置されていた頃には、ルーズベルト大統領も乗った名品だと知ったのは大小姉さんが生れた後の事だった。

二人も、ゆっくりと上下しながら廻るカルーセルエルドラドに跨がって、母親のアタシの前を通り過ぎる時にだけ、思いっきりの笑顔で手を振っていた。
その笑顔を [写るんです]という使い捨てカメラで撮りながら、次はソフトクリームを食べさせなければと、アタシはお決りの事を考えていたのだ。

アメリカの遊園地が閉鎖され、暫くは倉庫に保管されていたカルーセルエルドラドを、豊島園が買い取って修復してから動き出したのが、1971年の事だった。

2010年には、機械遺産に認定されている。

メリーゴーランドに、連続して何度も乗ろうと思わないのは何故だろうか。
何周か廻るだけで、ある種の満足感を得てしまうような気がする。
ジェットコースターのようなスリルも無く、単調と言ってしまえばそれまでの事だ。

だが逆に、1度は乗ってみたい遊具である事も確かだ。

朝顔の名前がメリーゴーランドということ知っただけで、頭の中のカルーセルエルドラドが、思い出の世界を廻っている。

そのうち、孫のマコシンがもう少し大きくなったら、一緒に乗ってみようか。
身長110センチ以上でなければ、一人で乗せてもらえないのだ。

思いっきりの笑顔で手を振ったら、母親になった小さい姉さんが、撮影してくれるに違いない。
写るんですじゃなくて、スマホで。

2017年7月28日金曜日

アジアンな献立

さてさて、大きい姉さんから託されたお土産のラペットゥを使って、手羽元とキャベツに混ぜ合わせ、鷹の爪、塩少々を加えて、赤米入りご飯に添えてみました。

せっかくですので、アジアンを意識してみました。 ラペットゥには、ライムを絞って酸味を。ライムもミャンマーの代表的な果実です。

手羽元をボイルした汁は、春雨と長ネギを入れた味噌スープに。

デザートは、八百屋さんで売っている、ナタデココ入りマンゴープリンです。

ラペットゥライスは、想像以上に美味でございました。
食べながら、非軍事民主化運動でノーベル平和賞を授賞した、アウンサンスーチーさんの聡明な姿を思い浮かべたり、ミャンマーの現状を思ったり。

観光は可能なようですが、まだまだ治安には問題があるようですし、昨年からの報道が気になるところです。

アジア圏では、混ぜて食べる食文化がありますが、そういった意味では、和食はだいぶん、独自の発展をしてきました。

たまには異国を想いながら食事をするのも楽しいものです。

ラペットゥは、まだ日本では手に入れにくいようですが、高田馬場には、リトルヤンゴンと呼ばれる地域があり、ミャンマー料理店が20軒ほどあるようです。
混沌とした地域ですが、食べに行ってみてはいかがでしょうか。

かき氷

添加物無しの美味しいかき氷

こんな所にかき氷屋さんがあったっけな?と、いつもは曲がらない路地に入ってみた。

一般のお宅の閉められた玄関のドアに、「食べたい人は呼んで下さい」と貼り紙がしてあった。

メニューはかき氷とラムネに冷やしトマトと書いてある。
かき氷のシロップは、無添加のお手製のようだ。

夏季限定の即席自営業だろうか。

子供の頃は、かき氷と言えば、イチゴにするかメロンにするか迷ったものだ。
食べている途中で、手のひらの真ん中がキーンと痛くなり、全部食べきれた事が無い。

母と入った甘味処には、イチゴやメロンの他に、アンズがあって、迷い無く注文した。
母もアタシも、アンズ色のかき氷が運ばれて来るのを数分待った。

運ばれて来たのは、アンズ色ではなくて、透明なシロップがかけられたかき氷で、てっぺんに、干しアンズが1つ乗っけられていた。

母の表情が曇り、多分アタシも同じように残念な気持ちの顔になったのだろう。 二人とも、それが可笑しくておかしくて、笑いが止まらなくなってしまった記憶がある。

歳を重ねたせいなのか、今かき氷を食べるのであれば、イチゴでもメロンでもなく、宇治金時だ。
餡が添えられ、甘いミルクがかけらたのが良い。

大きい姉さんが休みの日に、買ってみるか。
宇治金時があったかどうか確かめれば良かった。
無かったら、またひどく残念な気持ちなってしまうに違いない。

ご家族様へ


 もう一通の封書が届いた。

ご家族様へ

ご家族とはTのことだ。
義姉が入院している病院からの連絡である。

Tの姉は還暦を越えている。
メンタル疾患での入院歴は、既に30年なのだ。

内容は、高齢になり、メンタル以外の疾患のリスクが高まっている為、他疾患での受診や入院の際には、家族であるTが付き添い、入院手続等をしてくださいね・・という内容だった。

実際に、メンタル疾患で命を落とすことは殆どない。

現状では既に、若干の内臓疾患の傾向があるようなので、病院としても放って置くわけには行かないわけだ。
何度も面会してほしいと連絡が来ていて、この夏こそと思ったら来ない。
きっと困っているに違いない。


姉自身は、福祉のお世話になって居るので、出費がものすごく嵩むことは無いと思う。
が、保険適用外の医療は実費だ。
故郷までの旅費や滞在費、その他諸々の出費は覚悟しなければならない。

アタシがではなくて、Tがである。

それは明日かもしれないし、来年かもしれない。

何れにしても、備えあれば憂いなしと言う。

この備えが、Tには無いのだから、一体どうするつもりなのだろうか。

読んだTは、この手紙をポ~ンと机に放り出したまま、やはり昨夜もテレビを見ていた。


勿論、アタシの事を知ってはいるが、姉はアタシの事が大嫌いなのだ。
度々、恨み節の手紙が届く。

アタシが莫大な借金を抱えて、それを仕方がないから一緒に返してやっていると、Tはそのように説明しているからだ。

これは非常に不愉快に感じるが、特に被害は無いから黙っている。

姉にとっては、Tが唯一の肉親だ。

気の毒な事なのである。




ある男の物語り 逆説的手法で導き出された答え


Tの職場では、年に1回、メンタルヘルスチェックが行われている。

結果は自宅に郵送されて来る。

まず、客観的に診た身体の不調感。
全く問題なく、絶好調の100%に近い。

マイナス思考、心配や不安、それらを含め、全て平均を上回る値だ。

職場での孤立感と、飲酒のトラブルの二点が、平均より若干下回っているが 、気分の安定傾向に至っては、これも100%に近い。

2枚目は仕事への活力の傾向だ。

自分自身への評価は高いが、粘り強さ、仕事に対する取り組み方、几帳面さ、全てが平均を下回っている。

3枚目は、職場の環境だ。
この仕事が自分に適していて、更に、職場で評価されているという満足感が非常に高い。
平均を下回っているのは、チャレンジ精神と、将来への不安だ。

最も低かったのが、家族との関係であった。

最後にアドバイスが書かれている。

[慣れ親しんだ物以外への興味が低い。 芸術等へ関心を向ければ、より楽しい生活になる。
面倒に感じる事を避けて、誰かがやってくれれば楽だと思っていたら、経験も自己管理も出来ない。自分の事は自分でやりましょう。
マイペースは決して悪くは無いが、スピードが求められる仕事に対応出来るようにする事も必要。]

以上だった。

Tは、お正月の3日から、1日も休みを取っていない。
風邪で半休した日が1日あったきりだ。
おまけに、早く出かけて、帰りはほぼ九時過ぎなのだ。

通常ならば、過労死だ。

にもかかわらず、身心ともに好調であり、疲労感も無く、気分が安定しているわけだ。
それなのに、仕事への活力が低い。
相反する非常に奇妙な結果だ。

逆説的手法で考えてみることにした。


Tは職場が好きで、とにかく出勤する。
休む方がストレスなのだ。
たまには休めば?と言っても、休まないので言うのを止めてしまったくらいだ。

しかし、仕事が忙しいわけでもなく、特に意欲的なわけではない。
職場が好きなのと、仕事が好きなのとは、通常はほぼ同じなのだが、Tは、職場に居る事が好きなのであって、仕事が好きなわけではないのだ。
むしろ、誰かがやってくれれば楽だと思っている。

休みが無いわけだから、当然、家に居ない。
家族との関係の値が低いのは当たり前だ。

つまり、Tにとっては、職場が家なのではないだろうか。
上司や同僚、部下が家族だ。
そして、家庭は職場なのだ。
アタシは上司であり、大きい姉さんは、ライバルのような同僚だろう。

家庭という職場では、細かいお金の計算もあり、規律が厳しい。
お風呂に入る、着替える、食事をする、片付ける、寝る、全て仕事なのだ。
債務返済プロジェクトチームに配属されてしまったような感覚だろうと思う。

こう考えると、今回の結果に納得が行く。

通常であれば、成立しない状態だ。

何故成立するのか?

それは、職場が、Tの在り方を認めているからだ。
そのくらい、特殊な職場だという事になる。
実際に、Tがギャンブル依存症だと知っている人が職場に居るが誰も咎めない。
極端に所持金が少ないことにも気付いている筈だ。
それでも、飲みに誘い、度々飲み代を立て替えてくれる人まで居る。

温か過ぎる目で見守り、給与までくれるのだ。

ギャンブル依存症を克服する為には、共依存者に対抗する必要がある。
共依存者から自立しなければならない。
Tが対抗しなければならないのは、職場なのではないだろうか。
あまりにも甘やかし過ぎだ。

Tが、ギャンブル依存症を自覚し、底を経験するとしたら、この職場を退職した時だと思えて仕方がない。

職場という大切な居場所と家族を失う事になるからだ。

家庭という職場の方も退職だ。

もしも再雇用があったならば、それは約8年先という事になるのである。

ラペットゥ


 お土産だ。

大きい姉さんが貰って来た。

ミャンマーの食材だ。

袋に日本語は一切書かれていない。

調べてみたら、ミャンマーの代表的な食べ物で、ラペットゥという物のようだ。

食べるお茶に豆などを加えた物で、発酵食品のようだ。

このままお茶うけとして食べられるようだが、せっかくだからサラダのようにしてみようと思う。

その前に味見をしなければならない。
辛すぎなければ良いのだが・・・。

唐辛子系を食べると、アタシは何故か瞼が閉じてしまうから。

2017年7月27日木曜日

豆な献立

今夜は、豚と自家製凍み豆腐、緑豆、人参、しめじの薬膳煮。

キャベツとパプリカのコールスローサラダ。

トマトの卵スープ。

糠漬けも。

煮物には、紹興酒と松の実、ニンニク、五香粉を使っています。

食費に占めるたんぱく質(お肉や魚)の割合が高いので、お豆腐や納豆、豆類をうまく使うようにしています。

特に緑豆は、夏に有効。
身体の熱を逃がす効果があるんですね。

豚肉を少な目にして、お豆腐と緑豆を使いましたので、今夜は豆な献立になりました。

緑豆は小豆に食感が似ていてクセもありません。

緑豆の冷たいお汁粉を、夏の間に作ってみようかなと思っています。

家はアタシも大きい姉さんもTも、全員が体重の増減なく、今のところ健康です。
3人とも、やや痩せ型なのです。

なかなかダイエットが進まない方は参考にしてみてね。

空腹を我慢するダイエットは辛いでしょうけれど、そんなに苦しまなくても、簡単に減量出来ますから。

生ぬるい


20度も差があるらしい。

真冬と真夏の、水道水の温度差だ。

野菜を洗っていても、蛇口からは生ぬるい水しか出てこない。

ふと、平櫛田中(ひらぐし でんちゅう)の像を思い出した。
明治生まれの田中は、100歳を過ぎてなお、彫刻を創り続けた人だ。

転生 と名づけられた像は、生ぬるい人間を食べた鬼が、あまりのまずさに、その人間を吐き出している姿だった。
かなり不気味な像なのだが、力強い。

「人間いたずらに多事 人生いたずらに年をとる いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」

という言葉を遺している。

やる気の塊のような人だったのだと思う。
自分に厳しかったであろう。

生ぬるさとは無縁に生き、まるで炎を吐くような勢いだ。

きっと、漫然と生ぬるく生きている人との温度差は、20度以上だったに違いない。

人生の温度について考えずにはいられなくなる。




突貫工事


 猶予は5日。

秋だと思っていた、ゲームの世界の 外観コンテストの告知があった。
エントリーは31日。

意表を突かれた。。
なんと、今回のテーマは 野生 と来た。

更地は1つあるのだが、全く別の国を作る予定だったのだ。

野菜なら思いつくのだが、野生か、、焦る。

エントリーしない選択は無い。
何故かというと、ゲームはほぼ無課金でやっているので、数あるイベントの中で、上位入賞可能なのは、この年に2回の 外観コンテスト位なものだからだ。

城・雪景色・秋・花  過去4回のコンテストでは、何れも300位以内(ユーザーは2000人ほどだから結構上位なのよ)ではあったが、どうしても100位以内に入りたい!!

本音は 最多拍手賞か優秀賞、いや、準優勝、いやいや ユニーク賞でもイイから、とにかく、無課金ユーザー代表として 頑張りたいのだ。

入賞すれば、殿堂入りとして、国の画像が遺せるし。

野生とくれば、多分みんなは、アフリカとか、とにかく動物、或いは植物で攻めてくるはずだ。

先ず、所有している風景を確認。
色々迷た挙句、中世代の風景を マレーシアに見立てることにした。

幻の世界一大きい花 ラフレシアを中心に、なんとか熱帯雨林の野生国を・・創れるのか!

頑張ってみるが、実際にコンテストが始まって、他の方々の国を見ると、ガックリとした気持ちになる。

そうなのだ。
アタシの作創る国には、欠けている物がある。

ダイナミックさと発想力だ。

とにもかくにも突貫工事開始。

ガンバリまっす。

*海の部分に配置したのは 海老です。




金色(こんじき)

立ちしまま 死に至る他なくば  夜もなほ恍惚として  金の向日葵
 
2、3年前だったろうか、まだ美容学校の増築が始まる前だから、もっと前かもしれない。
 
更地化された斜面に、一輪だけ大輪の向日葵が咲いていた。 
ブログにも載せたと思う。
立ち入り禁止の金網に囲まれた更地の、ほぼまん中だった。 
 
鳥がくわえた種でも落とし、それが芽を出したのだろう。
 
代官山にも向日葵ガーデンと呼ばれる一角があるのだが、そこは、咲かせる為に種を植え、町ぐるみで育てている。
夏の間に賑やかに咲く様子は、いかにも向日葵らしく明るい。
 
河野 裕子 さんの  短歌の向日葵は、 向日葵らしい明るさは無く、むしろ、孤高の花といった印象だ。
 
命の短さを受け留め、炎暑の中に焼かれている。
 
あの向日葵もそうだった。晩夏の頃には色も褪せ、じっと立っていた。自らの重さに耐えるように立っていたのだ。
  
太陽光に顔を向けている昼の向日葵の視線は外界に向かって生命力に溢れている。 
  
夜に恍惚と立つ向日葵は、内を視ているのであろう。
人もまた、内なる世界を視尽くした時に、金色の光を放つような境地に至れるのかもしれない。
 
 
 
 
 

2017年7月26日水曜日

真面目な献立

今夜は、サーモンと白菜、エリンギのホイル蒸し焼き。
ニンニクの芽を入れた金平ごぼう。
6種の野菜出汁のお味噌汁です。

緑黄色野菜、葉野菜に根菜、海草もキノコも、しっかり摂取の真面目な献立になりました。

野菜出汁にはカボチャが溶け込んでいて、麦味噌仕立てです。

1日1食腹八分目。鶴ツル飲むな、よく亀よく噛め。

1日1食になって17年経ちますが、胃腸が休息している時間が長いので、睡眠時間は短めで良いのです。頭も冴えます。

1日1食の人は結構いらっしゃるようです。

GACKTさん、 京本政樹さん、 ビートたけしさん、 タモリさん、 水谷豊さん、オバマ元大統領さん、 ビル・ゲイツさん、
三枝 成彰さん等々。
何故か男性に多い。
あ、忘れてた、大きい姉さんも、いつの間にか1日1食になったようです。

痩せたいからという理由だと続かないようで、女性より、かなり忙しそうな男性が多いですね。

随筆とエッセイ


 日本の名随筆という本がある。

数年前に、犬 というのを買って読んだら、これがとても良かった。

小説と違って、短い随筆集なので、中断しなければならない苦痛が無い。

この名随筆は、テーマごとに分かれた一冊になって居り、全部漢字一文字の題名になって居る。
2冊目は 悪 というのを買った。

実は、全部で100冊あるのだ。

100冊を楽しんで読もうと思っていたのだが、なかなか時間が取れずに、まだ2冊目の悪で止まっている。

そういえば、随筆とエッセイはどこが違うのだろうという疑問があったのだが、解決した。

随筆とは、本当にあった出来事の見聞や感想を自由に描いたもの。
エッセイとは、出来事の描写ではなく、書き手のパーソナルな心の様子を描いたもの、告白的なもの。

なのだそうだ。

アタシの場合は、読んでみて面白いのは随筆だ。
書く方はどうだろうか。

エッセイに近いだろうか。

どちらでもない所が、ブログの面白さかもしれない。

さて、悪を読むか。

3冊目は、心 にするか 命 にするか 娘にするか。
なにしろ100冊だ。

選ぶのもまた楽しみな事なのである。


鍋洗い 


 まだ明け方かと思ったら、外は雨で日差しが無いだけだった。

起きだしてから、一杯の珈琲を飲み干し、そのまま台所仕事だ。

今日は余ったカレーを冷凍したり、パズーのスープを煮たりと、鍋洗いで半日が過ぎてしまった。

雨が都会の街を洗い流し、アタシは室内で鍋を洗っている。

水に縁がある一日か。

ついでに、ヘデラの葉っぱに霧を拭いてやって、よっこらしょと台所の片隅で一息入れていたら、さっき洗ったばかりのステンレス鍋が、サングラスをかけていた。

なかなか似合っていて可笑しい。

こういう日は、もう何かをしようとしないで、ゆっくり本でも読めば良いのだが、そう思った途端に、今度は注文しておいた食材が届いた。

仕方がないから、冷蔵庫に顔を突っ込んで、振り分けながら保存した。

そういうアタシを、ニコリともせずに、サングラスの鍋が見ている。


2017年7月25日火曜日

カレー再び

昨夜は食べない人多く、カレー再びとなりました。
サボったような気持ちがイヤなので、パスタで。
サラダも作りました。

パスタは、このように水に浸けた状態で、1週間前から冷蔵庫に入っていました。
作る予定が海鮮丼になったからだったかな。

この状態で、沸騰したお湯で茹でるのが、1番早く、1番美味しいのです。2分もあれば生パスタ。10日くらいは保存出来ますので、今週はパスタ食べるかなと思ったら、水に浸けておけば良いのです。マカロニ等も同じよ。
長いパスタは、半分水に浸かっていれば、自然にこのように全体が沈んでくれますので、無理に折ったり、水の分量を増やす必要はありません。

水道光熱費節約です。

夏の思い出スカート



 マコシンが自分で選んだダブルガーゼです。
スカートを作ってあげる約束は覚えているかな。

ヤドリギのバーバが連れて行ってくれた水族館。
お魚をミシン刺繍した 夏の思い出スカートです。

久々のオリジナル MAKOSSA タグも付けて、近々、ハサミと一緒に送りましょうね。



走る




25日。
Tの給料振り込み日だ。
走る。ATMへ一目散に。

これは、月に一回のATM参りの時に使っている返済用ポーチ。
販売の為にデザインしたのだが、何個か作った時点でとん挫している。
大・中・小 の三種類を製作予定だった。

小ポケットは被せになっていて、被せるとジッパーが隠れてセカンドバッグのようになる優れものなのだ。
まさか自分が使う事になるとは、当初は思っていなかった。

大きい部分に、通帳とカード、払い込みの用紙を入れて走る。
上のポケットにはお釣りの小銭と領収書を入れる。
そしてまた走り戻ってくる。

走る理由は、パズーが留守番になるからだ。
留守番は短い方が良い。
(大きい姉さんが遅い出勤の日は走らない)

今日は走る日だった。

朝から大汗だ。

そして、債務の返済。

11回目、準備完了。
あと一息で3分の1。

ファイト!ファイト!

曖昧な言葉

何か良い言葉は無いものか。

Tが、貯金をスロットマシンの餌代にして失った時にかける言葉だ。

ギャンブル・病気等の言葉を使うのを止めている。

戻された通帳を見れば、使途は一目瞭然だが、それも訊かない。

先日は、「いつ和歌山に帰るの?」と、帰る事が出来なくなった事を知らない大きい姉さんが、キッチンでTに訊ねていた。

そのような時には、大きい姉さんにLINEで伝える。 「ギャンブル。残高ほぼ無し。帰省出来ない。スルー」
目の前に居るのに、声に出して話せない場合に、LINEがこんなに便利だとは思わなかった。

しかしだ。Tに対して無言と言うのは不自然だ。
無視されたと思わせるのは良くない。

実は、通帳とカードを渡してから2日経った頃、アタシはTがギャンブルに行ったと気付いていた。
大きい姉さんもだ。

帰省の予約が取れ、シェーバーを買ってきたら、「良かったね」と言うつもりだったが、それは無いと判って、通帳とカード返却の期日だけ決めたわけだ。

今回は、「帰省出来ないね。また預かるね」とかわしたのだが、しっくり来ない。

それからずっと、また同じ事がおこった時にかける言葉を考えていたのだ。
Tの貯金は、小遣いの余剰とボーナス時に、一時的に増える。

スニーカーもボロボロ。自分で買いに行くと言うかもしれないし、また帰省する気になるかもしれない。
それが、どの位本気なのかは判らないが、見ている限りにおいては、減った分を、ギャンブルで戻そうという気持ちの方が強いようだ。

という事は、また残高が無くなる可能性の方が高いわけだ。

あなたはギャンブルに使ってしまうから、スニーカーも帰省の予約もアタシがやりますよとは言わないと決めた。
鬼のような形相になるからだ。

肯定でもなく、否定でもない言葉。

そこで思いついたのが

「残念だったね」だ。

非常に曖昧な言葉だ。
共感や励ましとも取れるし、場合によっては嫌みにも聞こえるだろう。

だから、あくまでもサラッと言わねばならない。

サラッと「残念だったね」と言えるか?

言える。
アタシは言える。
言えてしまうのだ。

今回の 行けなくなっちゃったねも、サラッと言った。
Tは翌日、自分の小遣いで、ジャスミンティーとアクエリアスを買ってきた。大きいボトルだ。

これは、Tからのお礼だ。
詰問しないでくれてありがとう。大きい姉さんに言わないでくれてありがとう。ギャンブル依存症じゃないと信じてくれてありがとう。 ひっくるめて、優しくしてくれてありがとうのお礼なのである。
今後も、残高ゼロになっても、同じように対応してくれるに違いない!ありがとう~~~。なのである。

Tは、人を自分の味方か敵かで判断する習性がある。若い頃からだ。
時に厳しい助言でも、根底に期待が込められている場合がある。
しかしTには、厳しさしか伝わらない。、根底の期待を察する事が極端に苦手だ。

残念だったねとサラッと言うアタシの気持ちは、きっといつまでも判らないだろうと思う。

そのかわり、飲み物のお土産くらいは買って来る事が増えるかもしれない。
その時は、ありがとうと言おう。
サラッとではなく、丁寧に。

Tの上機嫌は続いている。

2017年7月24日月曜日

あれから10年

街灯で見えずらいのですが、10年前の2007年6月19日に起こった 松濤温泉シエスパ爆発事故の現場です。
表のBunkamura通りからは判りませんが、裏道からは、歪んで鉄骨だけになった建物が、未だそのままの状態で残っているのが見えます。
その時、アタシは、南平台町にあった仕事場に居ました。
マンションの5階です。
その仕事場の窓ガラスが、爆風でガタッと音を立てました。
慌てて屋上に上りましたら、煙がもうもうとあがっていました。

この住まいの方が現場に近く、すぐに大きい姉さんに電話を入れました。、
そして、急いで仕事を切り上げて、帰宅しました。

松濤温泉シエスパは、東急デパート本店からすぐの所にあります。

実は、パズーは、東急本店の屋上にあるショップに居たのです。

パズーを連れ帰ったのは、事故の2日前の6月17日でした。

もしも数日遅かったら、パズーは、かなり大きな爆音を聞いたかもしれません。

あれから10年。まだ裁判が続いているようです。

明らかに作り過ぎ

カレー、明らかに作り過ぎ。
圧力鍋の場合、煮ている間に水分が蒸発しないんだから、ソコントコを考えた水を入れないとだめなのね。

冷凍致しましょう。

よしず

マルエツの店先に並べられた野菜や果物を、直射日光から守るために、よしず が立て掛けられていた。
よしずに水を含ませて立てると、隙間から入る風は、2℃ほど下がると聞いた事がある。

簾も同じ効果があるが、違いは材質だ。

提げて使う簾は竹。立て掛けて使う よしず は、葦だ。

パスカルの言葉を思い出した。

人間は考える葦である

葦は、風が吹けばしなって倒れ、決して強くはないが、風が止めば、また起き上がる植物だ。
弱く見えても、実は強い。

人間も、時に葦のように弱く倒れはするが、思考によって確かな知恵や精神力さえ備える事が出来たならば、必ずや起き上がり、考える事が出来る分、葦よりも強しといったような意味だろうか。

人の強さは、やはり考える続ける事で、より高まるに違いない。

玄関の廊下

ブラウス完成。
袖先部分はシャーリングで、捲らなくても落ちないようにしました。

2台のミシンとアイロン台を、以前は作業スペースに並べていましたが、スペースが足りないので、玄関の廊下をアイロン台置き場にしました。

ボディーもあるので、あっちに行ったりこっちに来たりと大忙し。

おまけに、「電気のツカイスギデス」と警告音声が。 仕方がないので、途中で作業をストップして、カレーを作りました。

ここはお風呂以外はキッチンもオール電化でIHなのです。

今から休憩。
お散歩は陽が暮れてからに致しましょう。

2017年7月23日日曜日

スペイン風オムレツ特大

山盛りの玉葱とキャベツ、じゃが芋、挽き肉の具を作ったら、特大のスペイン風オムレツが焼けました。
ひっくり返すのに一苦労してしまいました。
スペインにオムレツという料理があるのかは知りませんが、 ケチャップとマスタードで美味しくいただきました。
こんなに大きくなくても良かったけれど。

デュランタ タカラヅカ

今年も鮮やかに咲いていました。

デュランタ タカラヅカです。
裏通りの鉢植えは、年々花付きが良くなっている様子。

タカラジェンヌが、紫の袴で正装している姿から名付けられているんですね。

実際のタカラジェンヌの袴は、もっと落ち着いた紫ですが。

花言葉はというと、[あなたを見守る・独りよがり]

今のアタシには微妙な花言葉です。

独りよがりといえばTは、その傾向が強いですね。
そのTを見放してはいませんが、見守るっていうのとも違う。
見張るでもないし。

見届けようとしている感じでしょうか。

今夜は職場に泊まるのだそうです。

むーめーじん 44


 振りそうな空模様なので、早めに散歩。

学園祭で賑わっている美容学校の前を通り過ぎようとしたら・・

「ちわっす!」
と威勢の良い声が・・・

 わお。びっくりした~

 「なーに?メイクコンテスト?」

 「学園祭でお化け屋敷やったんすよ。な!」
 「すんげーウケたよな。ウケまくり~~」

 「なんかあんまり怖そうじゃないよ(笑)」とアタシ。

 3人とも19歳。 美容学校の同期生なんだそう。

 「じゃ、あれだね、将来はヘアスタイリストだね?」

 「バリバリっすよ。俺ら、ちょー一流のスタイリストだもんな。」
 「マジかよ、お前無理っぽくね?」

 「カットさせてもらえるようになったらさ、誰を一番先にやってあげたい?」

 「オレ、カノジョ。お前は?」
 「オレもカノジョ。いねーけど。。」
 「オレ、オフクロかな。」
 「オフクロ?マジかよ!」

 3人とも、楽し過ぎて卒業したくないんだって。
 青春ってやつか。
 カノジョでもオフクロサンでも、きっと喜ぶだろうさ。
 立派なヘアスタイリストになりなよ~。





 

動かそう



 オートクチュールの事を書いていたら、急に ミシンを動かさなければと思った。

ミシンだけじゃなくて、裁ちハサミも、頭も、手先も動かそう。

眠らせておいたのは、イタリアのアンテプリマの生地です。
テロっとした艶のあるサテンです。
スベスベしていて縫いにくいので、手を付けずにいました。
優しいサーモンピンク地に、ボルドーとオレンジ、イエローの花が上品よね。

パターンを起こして、裁断、縫製。

多分、大きい姉さんが着ると思うので、鋭角のVネックにボウを付けたブラウスに。

ここまで4時間。
今日はここまで。
明日には仕上がると思います。

マコシンと約束したスカートも作らなければいけません。
きっと覚えていると思うから。





ファッション迷い道 オートクチュール



 既製品、DCブランド、街には、お金さえ出せば、様々な材質やデザインの洋服を手に入れることが出来るお店が並ぶ時代でしたが、それと同時に、オートクチュール つまり、オーダーメイドの洋服を着る人も、まだまだ存在していました。

つい2年くらい前まで、この近辺にも 好きな洋服を作ってくれる路面店がありました。

そういうお店の特徴は、洋服ではなくて、 生地が陳列されていたことです。

洋裁学校を卒業した方が、大抵は一人で経営していて、顧客が居たのです。

アタシの母も、既製品を着ましたが、行きつけのオーダーメイドのお店にも出入りしていました。

タカ先生という女性が営んでいて、生地が山積みでした。

私も何着か作ってもらったことがあります。

先ずは採寸です。
そして、何を作って欲しいのかを伝えます。

思い出に残っているのは、2着のワンピースです。

1着はルビーのようにオレンジ味の無い赤で、無地でしたが、凹凸のある膨れ織という生地でした。
もう1着は、やはり赤でしたが、細かいペーズリー柄の生地で、若干の伸縮性のある記事でした。

10代のアタシには、生地と縫製の代金を捻出する事は出来ませんでしたので、母が作ってくれました。
普段着ではなくて、よそ行きです。

劇団に所属していたころ、ちょっとしたパーティーなど、よそ行きが必要なシーンがあったのです。

無地の方は、ウエスト切り替えで、スカート部分はギャザーが寄せられ、膝丈。
袖の型部分もギャザーで、ふんわりとした長袖が、手首のカフスでキュッと締められ、そこもギャザーです。
とても気に入っていました。

柄物の方はAラインで切り替えは無く、やはり膝丈でしたが、膝の裾に向かって、緩やかなフレアーがきれいで、こちらも気に入っていました。

既製品の場合は、ショップに並べられた服を試着して買うわけですが、オーダーの場合は、時間がかかります。
採寸、仮縫い、補正と、少なくとも3回は呼ばれます。

当たり前の事ですが、仕上がった洋服はジャストフィットで、大変着心地の良い物でした。

既製服は、服に身体を合わせる。
例えば、アタシは身長が低いので、ベルトなどで丈を調整して着ます。
オートクチュールには、その心配がありません。

画像の本は、仕事でデザインを考える時の参考書のようなものです。

一番の魅力は、世界で同じ服を着ている人が誰も居ない、オンリーワンという事です。

オーダーメイドの経験が無い人の方が大半の時代になりましたから、アタシは両方を経験出来て、作る側にもなれた事をとても良かったと思っているわけです。

ファッション迷い道、次回は ブティックで働らいた時の事です。
お楽しみに。






撤収

横浜中華街の、1つ前の駅でした。 撮影は無事に終了し、撤収後に東横線直通で帰宅。 眠いぞ! Tファミリーは、相変わらず仲良しでほのぼの。