2017年7月29日土曜日
ファッション迷い道 ブティックのパート店長
20代の前半、暮らしていたアパートから数分の所にあった小さなブティックに、パート募集の貼り紙を見つけた。
商店街の外れで、一般の洋品店には無いようなおしゃれな雰囲気のお店だった。
時給は600円位だったと思う。
ここで働いてみたいと思い、そのままドアを押した。
ココドールというお店だった。
40代のご夫婦が経営していて、ママはこの店よりも更に奥まった路地にある狭い本店に居て、こっちは支店という事だった。
社長はご主人の方だったが、店番をすることは無く、売り上げだとか仕入れだとか、そういった経営の方をやっていた。
即採用された理由は、3店舗目の出店間近で、このお店の店長の女性が、新店舗の店長になる予定だからという事だった。
社長ご夫婦と店長が社員、パートはアタシ一人。
暫くは店長に仕事を教えてもらったが、新店舗オープンと同時に、このお店はアタシ一人に任されることになった。
9時半に出勤して、店回りの掃除、シャッターを開けたら、ショーウインドーをピカピカに磨いて、ドアを開ける。
店内から外へ出す いわゆる客引き商品を出してから、店の奥のカウンターに座る。
10時開店だった。
開店と同時に、社長が見回りに来るか、或いはちゃんと店を開けたか電話が入った。
ママも時々顔を見せてくれて、とてもお洒落な人だった。
有名ブランドの服は置いていなくて、今で言うセレクトショップだった。
当時は、マンションメーカーというのがあった。
小規模なメーカーが、こういった小さなブティック向けの洋服を作っていて、それをワゴンに積んで営業に回ってくるのだ。
そういったマンションメーカーの服と、社長夫婦が海外で買い付けた服や服飾小物を取り扱っていた。
随分と色々な事を教わった。
例えば、風の日よりも雨の日の方が売り上げが多い事だとか、顧客の好みだとか、一着も売れない日もある事だとか。
そのうちに、店内のディスプレイも任されるようになった。
好きにして良いと言うのだ。
「口開いた?」
これは午前中に必ず社長から掛かってくる電話だ。
何か売れたかという意味だ。
結構なプレッシャーだった。
「まだです」と答えるのは、ブティックのパート店長としての無能さを伝えるようなものだったし、「開きました」と答えられれば、社長は大いに喜んだからだ。
つまり、座っているだけでは駄目で、売らなければならない。
売るためにはどうするか?
そこである日、店内のショーケースからハンガーポールに至るまで、備品大移動で模様替えをしてしまった。
そこへママが現れた。「これ貴女がやったの?」
不味いぞ・・と思った。
店内をぐるりと一周して、ママは無言で本店へ行ってしまった。
ところがである。
その数日後に、社長から、社員にならないかと言われたのだ。
新規の顧客が増え、売り上げがアップしていたのだ。
(断ったけれど)
その頃、バブルの時代に突入していて、服はボディーコンシャスの流行真っ只中だった。
肩パットで強調した肩のライン、細く絞ったウエスト、着る肩パットまで売っていたのだ。
ディスプレイボディーに着せる服を選ぶのも楽しみだった。
暇な時間に、片っ端から試着をした。
「降ろす?」 これは、入荷した服を自分で買う事だ。
4割引きにしてくれる。
アタシは滅多に降ろさなかったが、一着だけどうしても欲しくて降ろした服がある。
それが ティエリーミュグレーの2ピースだった。
アップルグリーンだ。
強調された肩のライン、太いベルトで絞るウエスト。
ミュグレーはフランスのデザイナーだが、その後映像の世界でも活躍している。
造形的な服への憧れが強くなったアタシにとって、忘れられないデザイナーの一人となったのである。
それは、黒からの脱却でもあった。
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