2017年7月10日月曜日

ファッション迷い道 ブランド



 おしゃれがしたくてしたくてたまらなかったアタシであったが、
亡母もまたおしゃれ好きだった。
当たり前の事だが、17か18のアタシが欲しい物と、母が欲しい物は全く違っていた。

おしゃれが好きな人にはいくつか特徴があるように思う。

1つは、洋服。何はともあれ洋服が欲しい。
もう一つは バッグと靴。
コーラルのお客様でも何人かいらしたけれど、もういいんじゃないの?
と思うくらいに、バッグや靴が欲しいようだ。

アタシは洋服が欲しかったが、母は後者だった。

舶来品なんて言葉は、もう使う人が居ないと思うが、今で言うインポートは、
当時、既に日本で買うことが出来た。

現代のように、若い世代が買うというレベルでは無くて、
お店に入る事すら躊躇われる敷居の高さだったと思う。

母は母なりに、娘であるアタシに着せたいものや持たせたいものがあったようだ。

ある日、一緒に出掛けた際に、そろそろ良いバッグを持ちなさいと買ってくれたのが
セリーヌのジャガード織りボストンバッグだった。
Cのマークと馬車が前面に織り出されてあって、値段は覚えていないが、
お高かったと思う。 正直なところ、好みでは無かった。
しかし、好きじゃないなんてことは言えなかった。

その数年後には、やはりジャガード織のグッチのボストンバッグを買ってくれた。
こちらは黒だった。

使ってみれば、なるほど納得の丈夫さと質の良さだった。

高い物には価格なりの良さがあるんだなと知ったが、
自分で買ったわけではなかったので、普段に持ち歩いていた。

このCと馬車の柄は、既に廃盤となり、オールドセリーヌとして探し求めている人は多いと思う。
グッチも、オールドグッチとして、やはり探している人が居るはずだ。
残念なことに、使いつぶしてしまった。

それ相応の人が、それなりの風格で身に着けるならば、高級ブランドの物を持つのも悪くはないと思う。特に歳を重ねてからの話だ。

高級ブランドは、必死にお金を貯めて買うものではないと思っている。
また、記念日だからと、ねだって買ってもらうものでもない。
あくまでも経済的に余裕のある人が、フラリと立ち寄って、
値札も見ずに「これ、いただだくわ」という世界だ。
紙袋やリボンまで取っておくほどの執着は薄気味悪い。

前の仕事場で、よくお洋服のリメイクを持ってきてくださるご婦人が居た。
総てエルメスであった。
白髪の髪を上品にまとめ、マンション内にはご自宅と衣裳部屋の二つを所有していらした。 
「沖縄に別荘を買ったから、そっちへ移住しようと思うのよ。
遊びにいらっしゃいな。貴女なら大歓迎よ。」

彼女にとっては、それらすべてが当たり前の事であったから、嫌味でもなく、
むしろ上品の極みであった。
ある日、1階でお目にかかったら、手にエルメスの革のグローブを山ほど抱えていらした。
「もう汚れたから捨てるの」  
まだまだ使えそうな物ばかりであった。

勿体ないな・・・拾いに行くか? 
そう思ったアタシは、まだまだブランドには縁が無いという事だ。
多分これからも無縁であろう。

ブランドに対しては、敷居を高くしておいて欲しいと思っている。
全く手が届かない、憧れる そういったブランドが減ってしまった。

余談ではあるが、このKさんが持ち込まれたエルメスの洋服にハサミを入れる時は緊張した。
そして、ミリ単位で計算されつくしたパターンを見た時に、
凄いなと思ったのを覚えている。
「歳を取ったら腕が上がらないの。全部前開きにしてね。」そうおっしゃった。
仕上がりましたとご電話を差し上げたら 
「おいくらかしら?10万持っていけばよい?」
「Kさん、10万のお直しなんて高過ぎよ。2万円です。」
「あら、随分お安いのね。手間暇かかったでしょうに」

物を作るには手間暇が掛かる。 
その手間暇に相応しい代金を支払うのは当たり前の事。
こういう考えもきっちりと持っていらっしゃったところが、豊かさの象徴だろう。

また次回。
ファッション迷い道、お楽しみに。









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早く着き過ぎた

銀座で休憩中。 早く着き過ぎた。 しかし、なんでイッセイミヤケのバッグ、行列出来ているんだろう。