立ちしまま 死に至る他なくば 夜もなほ恍惚として 金の向日葵
2、3年前だったろうか、まだ美容学校の増築が始まる前だから、もっと前かもしれない。
更地化された斜面に、一輪だけ大輪の向日葵が咲いていた。
ブログにも載せたと思う。
立ち入り禁止の金網に囲まれた更地の、ほぼまん中だった。
鳥がくわえた種でも落とし、それが芽を出したのだろう。
代官山にも向日葵ガーデンと呼ばれる一角があるのだが、そこは、咲かせる為に種を植え、町ぐるみで育てている。
夏の間に賑やかに咲く様子は、いかにも向日葵らしく明るい。
河野 裕子 さんの 短歌の向日葵は、 向日葵らしい明るさは無く、むしろ、孤高の花といった印象だ。
命の短さを受け留め、炎暑の中に焼かれている。
あの向日葵もそうだった。晩夏の頃には色も褪せ、じっと立っていた。自らの重さに耐えるように立っていたのだ。
太陽光に顔を向けている昼の向日葵の視線は外界に向かって生命力に溢れている。
夜に恍惚と立つ向日葵は、内を視ているのであろう。
人もまた、内なる世界を視尽くした時に、金色の光を放つような境地に至れるのかもしれない。
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