余白という事について、ここ数日考え続けている。
余白、余裕、余力、余暇、余韻、余熱、余命
余を使う言葉は多い
余る(あまる) 余す(あます) こう書き並べてみると、元々は一杯で、
一杯のものを削ぎ落したり、或いは自然になくなったりして、結果として
余るのだという事にやっと気が付いた。
元々が無であったならば、余は生まれないという事だ。
そう考えると、 無というのは非常に空虚だと感じる
最初から何もないからだ。
削ぎ落としたり、消えた後に残った余白には、
削ぎ落されたものや消えたものの残像のような何かがあるに違いない。
経験や体験に置き換えてみたらどうだろうか。
より多くの経験や体験をして、懸命に生きたとする。
その結果、人生の終盤で生まれる余白は、
きっと懸命に生きたことを感じさせる余白に違いない。
だとしたら、やはり懸命に精一杯生きて、
削ぎ落すべきものを考えながら削ぎ、
自然に消えるものは追わずに、
どのような余白が遺せるかという事になるだろうか。
何が余り、何を余すか。
これも意識しながら進むことにしようと思う。
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