2017年7月17日月曜日

匂いガラス


 夏になると思い出すことがある。

祖父に貰ったガラスの欠破片の事だ。

母方の祖父は、母にとっては養父であったが、手先が器用であった。

戦時中は、日本の戦闘機の部品を作っていたらしい。
夏休みになり遊びに行くと、戦争や関東大震災の時の事を、克明に教えてくれた。

ある日祖父は、小さな池があった庭先で、分厚いガラスの破片をくれた。

「木にこすりつけて匂いを嗅いでみろ」と。

ポポーの木の幹に、そのガラスをこすりつけて鼻に近づけると、甘い香りがした。

庭を掘ったらまだ見つかるかもしれないと言われて、アタシは夢中で土を掘り返した。

祖父から貰ったガラスの欠片は、鋭い角は無く、まるでガラスの石のような感じであった。

それが墜落した戦闘機の風防ガラスの破片であり、実際にはガラスではなくて、アクリルだと知ったのは大人になってからである。
匂いガラスと呼ばれていた。

先日、孫のマコシンが、このアクリルで出来たカラフルな貝殻の玩具を持ってきた。
ヤドリギのバーバに買ってもらったにだと言って、星の形をした容器に大切に並べていた。 宝物だと言っていた。

アクリルを使った製品は家具まであり、アタシも部屋のDIYでアクリル板を使った。

平和なアクリルの使い方だ。

明治生まれの祖父はもう他界してしまった。

匂いガラスは、もう何処を掘り返しても見つからないであろうと思う。
地中深くに埋もれているのかもしれない。

擦ると甘いにおいがする破片は、悲しい使われ方をした時代があったのだと、伝えることが出来る人も居なくなって行く。

いつか、もっと大きくなったら、孫にも 匂いガラスの話を教えてあげたいと思う。

匂いガラスは手元に無くても、言葉で伝え続けることは可能なのだから。





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