2015年3月31日火曜日

サラダが美味しい季節です

今日は、蒸したササミを裂いて、千切り野菜と混ぜたサラダ。
これから夏にかけて、サラダが美味しい季節です。 ササミは茹でるより蒸した方が断然味が良いよ。

むーめーじん14

マイバスケットの前を通りすぎて、踏み切りに向かおうとしたら 「おーい。こっちだよ〜」
ん?
神泉駅踏み切り近くで、靴修理の仕事をしていているサンワのオジサンだ。

「なんだよぉ、見掛ける度に手振ってんのにさぁ。たまには話し相手になってくれよ。え?ブログ? 知り合いじゃダメなの?載せてくれよ。」 と立候補。
「あれから6年だよ。真夜中にさ。胸踏んづけられてるみたいな激痛でよ。10分くらいで治まるからほっといたんだよ。 そしたら女房がよ、あんた変よって病院に引っ張って行かれてそのまんま入院さ。息子が大学でさ、まだ稼いでもらわなきゃ困るんだって言われてよ。カテーテル。 酒だろ?タバコだろ?好きな揚げ物とかよ、全部ダメだって言われて参ったよ。靴職人はもう30年以上だな。親父のあと継いだの。昔はさぁ、皆な物を大切にしてたから繁盛してたんだぜ。今はな…捨てちまうから。閑古鳥さ。
今年65になったんだよ、俺。 息子も社会人になったし、潮時かなと思ってさ。くそジジイって言われるまで生きたくないからよ。酒もタバコも復活した…」

昔は、直した靴を10日ですり減らして持ってくる営業マンもいたんだって。
息子さんが社会人になった途端、奥さんは好きにすれば〜って言って炊事止めちゃったそう。もうお払い箱さとケラケラ笑ってました。 そうだよね、買っては棄てる時代になっちゃったよね。だけど、元気なうちは頑張って。オジサンの修理は丁寧で頼りにしてる人もいっぱいいるんだからさ。

黄衣こうえ

探していたイエローの生地入手。イタリア製の綿麻で難あり。更に、この色売れないからって理由で安くしてもらっちゃった。 黄緑と迷っていましたが、山吹の花を見ていたら、絶対イエローだよな。イエロー着るしかないでしょって気分になったのです。
昨日のワンピースを仕上げてから、早速取り掛かりました。
テーラーカラーのスプリングコート。衿幅とか、直線に近いAラインとか、頭の中にイメージが出来上がっていて、とにかくチョキチョキ裁ってバンバン叩く(ミシンで縫うことを、衣装屋は叩くと言います)。
ボタンさえあれば、明日には出来上がっちゃうんだけどなぁ。
黄衣(こうえ)とは、仏教では無位の僧侶が着るんだよ。
無位。良い言葉だ。分をわきまえ、欲を出さず、難あり生地の黄衣を着て歩くつもりです。

マーブル

どうしても欲しくて、輸入待ちしていた生地が入りました。イタリアのコットンで、多色のマーブル柄。これ、きれいなワンピースになるよ〜。 楽しみε=ヾ(*~▽~)ノ

2015年3月30日月曜日

20度超えると

気温が20度超えると、たちまち春服が必要になって来るわけで、これは毎年の繰り返し。今夜はA子ちゃんご来店。気に入った物があって良かったね〜

スーパーストレッチ

インパクト大の大人っぽい花柄は、薄手のスーパーストレッチ素材。ロングカットソーにしようかと思ったけれど、取りあえずはワンピース丈で。短くするのは簡単だからね。

満開

古木の桜満開。木肌は貫禄だよ。
若い桜にはない風格です。

2015年3月29日日曜日

ミルフィーユラザニア

昨夜から眠くて眠くて仕方ない。
今日は炊事をサボってデパ地下行ったら、話題のイタリアン店が出店してました。
ミルフィーユラザニアってのが美味しいらしく、確かに美味しそうではあったんだけと… 5センチあるかないかのキューブ型にカットしてあって1680円!! う〜ん(--;) これでお腹いっぱいになるわけないしなぁと思ったので買いませんでした。 680円だったら買ったかもしれない。いや、どうかな。 そんなわけで、隣のお店のパスタ買っておしまい。 佃煮食べながら、やっぱり和食だよねと思ったね。

カリカリチーズスティック

これ、マルエツのお総菜売り場のヒット商品。 多分、賞味期限がギリギリになると、奥でお総菜にして売るんだと思うのですが、シュウマイの皮にプロセスチーズ巻いて揚げただけ。美味しいんだよね。 マルエツのお総菜は、コロッケでも何でも、作りたてで意外に美味しいです。

2015年3月28日土曜日

ブラウジング

被れるワンピース完成。長く着られる七分袖。幅広ベルトの先に細紐を付けて調節出来るようにしたので、ブラウジングして着丈を変えて着られます。次は右のボディーに掛けた生地を使おうかと思ってるけれど、明日になったら気が変わるかもしれません。

嫌がってる

先週末の予定だった桜祭りが延期だそう。
昨日今日で八分咲きだから、来週末には散るかもよ。
ドンチャン騒ぎ、桜の身になってみたら、嫌がってる気がする。

2015年3月27日金曜日

佃煮!

草履とバッグをお貸ししたら、返品の荷物に佃煮が。
あれば便利だけど、自分ではなかなか買わないので嬉しい。お茶漬け食べたくなっちゃった。

もやし

もやしやセロリの野菜炒めお手軽メニューです。もやしって買った日に使い切らないとすぐいたむよね。
和牛って言っても判らないくらい柔らかくて美味しいオージービーフは、ネットでリピート。 レビューを書いたら、オマケに豚肉が入ってたので得した気分満点です。

楽チン服トローン

タックの寄せ方を変えて、被れるタイプのワンピースに着手。
とろみのあるコットン生地は真夏でも大丈夫。 楽チン服トローンと着て、サンダルとバッグは軽めのブラックでね。

わん毛

気になっていたパズーのバリカンかけました。顔回りもカット。羊毛ならぬわん毛の毛玉だよ。 結構大人しくしてるんです。
今年は既に2回発作が来たけど、指や耳は気を抜かずに手入れしてます。

2015年3月26日木曜日

むーめーじん13

退屈そうなパズーと夕方散歩。少し遠回りして松涛の桜が植えられたお宅の前で、まだ三分咲きの桜を見上げていたら、来た来た来た〜 予感的中。

「まだまだだわね。こちらのお宅の桜はあたくしも楽しみにしてるの。あたくし?そこの角を曲がった所のピンクの家に一人暮らしよ。ご存じ? あら嬉しいわ〜。 そうなの。建て替える事にしたの。あたくしね、咽頭ガンと食道ガンで去年手術したのよ。ほら、まだ傷が目立つでしょう。 なんとか命が助かったから、もう持ってるお洋服もバッグもお靴も毎日どんどん着て使う事に決めたのよ。だってそうでしょう?もったいないとお思いにならない? 今ね、東急さんにカツラ取りに行ってきたの。抗がん剤で抜けちゃったから。 あたくしね…」

止まらないおしゃべり。 Bunkamura通りを越えた松涛と神山町は高級住宅街。お買い物は車の方が多いので、あまり人には会わないのです。 経済的に恵まれた人々もむーめーじんのお一人。今日はシャネルのバッグだけど、特に決めてはいないそうで、気に入ったら買うんですって。
新築されるお宅の1階は、衣装部屋と応接間になさるそうで、それまでは伊東の別荘で過ごされるんだって。絶対に遊びにいらっしゃいねとご招待していただきました。 67歳だそう。 「楽しみにしてるわ。ごきげんよう〜」 と去って行かれました。 経済的に恵まれているってことも、1つの幸せだよね。 もう、着こなしだとかセンスだとかは二の次。思う存分楽しむのが良いよ。 またお目にかかれるご縁がありましたら、是非、クローゼット拝見させていただきます。スゴいんだろうなぁ。

小さな願い

あまり陽の当たらない路地裏。この文字は小学生くらいかな。
小さな願い、叶うと良いね。

第二弾

春夏生地、第二弾入荷。 2時までに来る予定が今。
棚に積み上がっていると嬉しいけれど、半月すると無くなっちゃう。
次回便は4月上旬予定。
今年は、ちょっと透け感のあるジョーゼットも使いたいと目論んでいます。 まだまだ風が冷たいけど、5月に入ると半袖が日常になってくるから。
自分用のはまだミツカラナイ。

笑ってる

散歩が楽しいらしく、マンションに戻っても、足を踏ん張って帰りたがらないパズー。まるい公園では走り回って笑ってる。
ビルの日陰で寒いんだよ((+_+))

2015年3月25日水曜日

ドスンドスンおばさんの思い出

人の記憶というものが、いつから語れるだけの象になるのか、アタシは脳の専門家ではないので判りませんが、思い出を綴っていて気付いたのは、2歳後半くらいからの記憶は、かなりはっきりとしているのではないかということです。
ブログでタコヤキと呼んでいる妹は、アタシと2歳9ヶ月違いなのですが、アタシは、母がタコヤキ出産の為に産院に入院している間の事や、退院してきた母が、助産婦さんと話ながら、木のたらいでタコヤキを沐浴させていた事をはっきり覚えているのです。(バナナを買って父と産院にお見舞いに行ったら、もっとマシなもん持って来いと母が怒ったり、退院後になかなか目を開かなかったタコヤキを、母と助産婦さんが心配して、このまま目が開かなかったらあんまさんにすれば良いさと話してた事など。)ドスンドスンおばさんは、アタシが覚えている中で、一番最初にアタシに恐怖という感情を与えた人です。2歳後半から3才くらいで出会いました。
ドスンドスンおばさんは、雨の日にだけやって来ました。真っ赤な傘をさして、玄関からではなく、狭い庭の向こうのガレージから歩いてきて、ブロック塀の真ん中辺りに一列飾り穴が開いていて、その穴から部屋の中をじっと覗くのです。それはいつも、年子の兄と留守番をしている時でした。住んでいたアパートは、坂の途中に建っていましたので、部屋は1階でしたが、庭から見下ろすガレージは半階くらい下に見えて、そこに大人が立つと、ちょうど塀の飾り穴に顔の位置がきます。そして、ドスンドスンおばさんがさしていた傘は、塀の上に浮かんで見えました。
たまたま通りかかった知り合いが、このガレージ側から声をかけてくる事も珍しくはありませんでしたし、祖父母でさえも、玄関をノックしても留守だったりすると、母が昼寝でもしていて気づかないのかもしれないと思い、このブロック塀から部屋を覗いていたようです。 留守にする時には、庭側の窓はきっちりと閉めていましたが、たまに窓を開けたまま、母は昼寝をしていました。
その日は雨で、アタシは幼稚園に通っていた兄が買ってもらったBブロックで遊んでいました。高くつなげて積み上げると、兄が怪獣の玩具で破壊するといった遊びです。 その時に、突然部屋が揺れました。窓ガラスもガタガタ音を立てて、箪笥の上に並べてあったこけし人形が倒れて落ちました。天井からは、円形で紐が下がっている蛍光灯がつけてありましたが、それもゆらゆら揺れました。兄とアタシはびっくりして、辺りを見回しました。 その時兄が「外に誰かいる!ほら!」と言ったのです。アタシは兄が指をさしたガレージの方を見ました。塀の上に真っ赤な傘が浮かんでいて、飾り穴から見ず知らずの女の人がじーっとこっちを見ていました。飾り穴は小さくて、目しか見えませんでしたが、その見ず知らずの女の人は、此方を凝視したまんま足を何度も踏み鳴らすのです。
兄が「窓を閉めろ!早く!」と言ったので、アタシは我にかえって必死に窓を閉めて、ねじ式の鍵を何度も回しました。 暫くしてそっと見てみると、その女の人は赤い傘をさしてガレージの出口の方に向かって歩いていなくなりました。部屋の揺れも収まりました。
大きな体をした人でした。 兄は「あの人が足を踏み鳴らしたから揺れたんだ」と言いました。アタシは、またあの人が戻って来るんじゃないかと恐怖に怯えました。
帰宅した母に話すと、斜め上を向いて考えていましたが、結局誰だったのかは不明でした。
暫くは忘れていたのですが、また雨の日の留守番がやって来ました。兄は「今日もドスンドスンおばさんが来るかもしれないから窓を閉めよう」と言いました。それをきっかけに、その女性の呼び名はドスンドスンおばさんになったのです。 恐怖を思い出したアタシは、きつくきつくねじ鍵を閉めました。
アタシは早く母が帰って来る事を願いながら、なるべく窓に近付かないようにしていました。 部屋の中で一番安全なのは押し入れの中かもしれないけれど、夜になって布団を出さなければ、押し入れに隠れる隙間も無いから、そうしたらトイレに逃げようなどと考えて、遊びに熱中出来ませんでした。
ふと窓の方に目を向けましたら、柳通りの方から赤い傘が近付いて来るのが見えて、アタシは「来たよー来たよー!ドスンドスンおばさんだよー」と叫んで、2畳あるかないかの狭い台所に走り逃げました。赤い傘は、また塀の上に止まって、ドスンドスンおばさんは穴から部屋の中を見て、何度も何度も足を踏み鳴らしました。
兄も「ドスンドスンおばさんだー」と言って、ふた間しかない部屋を走り回っていました。 雨の日の留守番では、それから何度もドスンドスンおばさんが現れては帰って行ったのです。
アタシはその頃からずっとオネショが止まず、兄が、晴れて恐怖の時間を過ごさなくても良い日にまで、「今度ドスンドスンおばさんが来たらやっつけよう」などと、恐怖を思い出させる事を言うので、雨音が聞こえる朝は憂鬱でした。
正体不明であったが故の恐怖でしたから、アタシは今まで生きて来たなかで、自分が何者なのかということを含めて、特に初めて会う人などには、不必要かもしれない情報まで開けっ広げに話す習慣がついています。
人が恐怖を覚えたり、警戒心を持ったりするのは、目に見えないとか、よく判らない…つまり、存在を信頼出来ない時だと思います。 ドスンドスンおばさんは、そういった意味で未知なる恐怖でした。もしもドスンドスンおばさんが、「おばさんはコレコレこういう者で、こんな理由であなた達を覗いているんだよ…足を踏み鳴らす理由はね…」と自己紹介でもしてくれていたとしたら、もしかしたら雨の日の留守番を楽しみにする事が出来たかもしれないわけです。
ドスンドスンおばさん、貴女はいったい何者だったのでしょう?アタシは今、10階という高い所に住んでいるので、もう来られませんね?足も踏み鳴らせません。ですけれど、もしももう1度いらっしゃる事がありましたら、アタシは歓迎します。ぜひとも名乗り合って交流しようではありませんか。
この思い出につきましては、地震でも起こった日に、幼いアタシが恐ろしくて、ドスンドスンおばさんという妄想の人物を記憶にすり替えたと思われても仕方がないのですが、アタシは本日、兄に電話をかけて確認しました。以下は兄との会話です。

アタシ「あのさ、アタシ今ね、子供の頃からの思い出を書いてるんだけどさ、ちょっと聞きたいんだけど ドスンドスンおばさん覚えてる?」
兄「おぅ、あの人でしょ?雨の日に来て部屋をガタガタ揺らした。覚えてるよ。雨戸まで閉めてもその隙間から覗くんだよね。雨戸ガタガタさせてさ…。俺はさ、ほら、ちょうどあの頃テレビで大魔神ってやってたじゃん。その冒頭のシーンとかぶってさ…泣いたよね〜」
記憶してました。3才歳上の兄いわく、実はタコヤキも居て大泣きしていたんだとの事です。窓ガラスだけじゃなくて、一緒に雨戸も閉めたそうです。
雨の日だった事も一致しています。書きながらふと思いました。ドスンドスンおばさんが母だった可能性はないだろうかと。 仮定として、考えられる理由は、面白かったからという事になってしまいますが、そうであってもそれほど驚かない、つまり、そういう事をやってもおかしくはない母でした。聞く術が無いのが残念です。

注※ 文中に、あんまさん と言う言葉を使っていますが、これは盲人に対する蔑称と受け取る向きもあり、あまり使わない方がよい言葉とされている事を承知のうえ、あえて使っています。庶民の間で使われていた普通の言葉として。

色の名前

エメラルドグリーンとか若草とか、ミントだとか、緑色を表す呼び方は様々あるけれど、1色ではない生地の場合はどう説明したらうまく伝わるか迷うことがたびたび。
今作っているワンピースは、グリーンにイエローとベージュが入っていて、うまい表現がないかな…と思いながら台所に立っていたら、ありました。
春キャベツ色。柔らかさも一緒に伝わるかな。袖、ファスナー、ベルトまでで、明日に持ち越します。

くせ者

今日はアタシの受診日。 映画観ただけでひどく疲れたと話したら、行けないより行けた方が良いって。そのかわりに、間隔を空けろって。最もなアドヴァイス。
寝るための睡眠導入剤は要らない(そのうち寝るんだから)と言ったら、薬が一種類減ったんだけど、調剤薬局での支払いは120円安くなっただけ。つまり、くせ者は坑うつ薬のりフレックスなんだよね。ジェネリックも無くて高い!
低空飛行続行ですが、りフレックス1錠目指して気長に治療します。

2015年3月24日火曜日

大根などの煮物

大根などの煮物です。他に豚ロースとちくわぶと葉ものも一緒に煮ました。豚ロースと大根の煮物って書けば、少しは美味しそうに感じるかもしれないけど、実は一番好きなのはちくわぶなんですよね。

ダルい日に着る服

今のアタシみたいに、肩が凝っちゃった時とか、ダルくてやる気が起きない日用のワンピース。
ゆるゆるストーンとしていて締め付け感無くて、だけどおしゃれはしているように見える。 ウエストも、共布ベルトで調節可能にする予定。切り替えがバストより上なので、ヌーディーカラーのシューズがあったら、スラッと背が高く見えると思います。
それにしても昨日の夕方から寒い。花冷えってやつだね。

ポイント

ボタン付けだけで午前中終わっちゃった。2個づつ付けるとポイントになるだけじゃなくて、衿開きの調節がきくんだけど、ボタンが2倍、付ける時間も2倍だね。肩凝った。

2015年3月23日月曜日

男前になるぞ〜

T家の健ちゃん、無事にお宮参りを終えたそう。ケープが似合って嬉しいです。
しっかりした顔つきだね。男前になるぞ〜。
Mちゃん、2児の母になって輝いてるね。キレイになった。 ホント、落ち着いた大人のキレイさだよね。

ポンポンペイン

先日、ゲームの掲示板に ポンポンペイン!って書き込んでる人がいて、初めて聞く単語だったので大きい姉さんに訊ねました。

アタシ「ポンポンペインってどーゆー意味(?_?)」
大姉「ポンポンはお腹でしょ?ペインは?」
アタシ「麻酔」
大姉「あのね、ペインってのは英語で痛いって意味なの。お腹痛いって言ってるんだよ、その人は。」

へ〜っ。若い人が使う言葉って面白いね。
で、本日アタシは、リトルポンポンペインなので野菜スープです。 通じる?

細いベルト

シャツカラーのワンピース、明日ボタンホール開けて仕上げ。
共布のベルトじゃなくて、靴かバッグと同じ色の細いベルトをして着てもらいたいね。
極細2本もカッコイイかも。
衿を2つ作りました。これは後々、クレイジー(色んな生地を使った)シャツに使う予定。 無地やチェックやストライプの見頃に衿はピンドットって感じでね。ボタンも全部違うのを付けたりして。 いつになるかは未定。

また一店

珈琲と軽食の店トシが閉店。また一店消えちゃった。
隣のタバコやのおじさんに聞いたら、オーナーさんの高齢化が進んでいるからだそう。
立地が良いから、すぐに新しいお店が出来るんだろうね。
また居酒屋かな。
アルコール出さない喫茶店とか、パン屋さんなら良いのに。
トシは、Tカメラマンと入ったことがあって、レトロな雰囲気の良いお店だったのに残念。

2015年3月22日日曜日

しんちゃんの思い出

小学校入学で、アタシは1年2組になりました。担任は阿部先生という女の先生で、いつもキリッとしたスーツを着ていて、眼鏡も左右がつり上がった形だったせいか、とても怖く感じました。入学してしばらくした図工の時間に、細い竹の棒を使って紙の鯉のぼりを作る事になりました。その竹の棒が余って、阿部先生はいつも片手にそれを持ち、黒板の字を指すのも、誰かに問題を答えさせる時も、その竹の棒を使っていたので、アタシには竹の棒が鞭のように見えました。
いたずらっ子は、よく廊下に立たされたりもしました。青という漢字が書けずに、アタシは居残りをさせられまた。(この居残りは屈辱的な記憶として残っていて、人に何かを教える立場の人がどうあるべきかを考えるきっかけになりました。)この1年2組に、しんちゃんが居ました。 しんちゃんは特別に目立つ男の子ではありませんでしたが、アタシの母方の実家の隣がしんちゃんのお家だったのです。祖父母の家には庭がありました。玄関脇に、ポポーと言う果物がなる木があって、アタシはよくポポーを食べさせてもらいました(ポポーを聞いたことが無い方も多いかと思いますが、アタシは5〜6年前にネットで見つけて取り寄せました。それまではポーポと記憶していました。) 玄関から東に向かって細い通路があり、右側は盆栽が並んでいました。通路を抜けると小さな池のある庭に出ます。決して広い庭ではありませんでしたが、柿の木が植えられていました。その柿の木にハシゴが掛けられていると、アタシは落っこちないように気を付けながら登
りました。(母が子供の頃、この柿の木の実を取ろうとして、枝ごと落ちたと聞かされていましたから) 柿の実をもぐためではなくて、しんちゃんのお家が見たかったからです。
しんちゃんのお家の庭は、光るような緑の芝生が広がっていて、そこには真っ白なブランコもありましたし、滑り台もありました。全速力で走り回れるくらいに広かったのです。芝生の庭の奥にあったお家も白くて、近辺の木造住宅とは全く趣が違い、外国のお家のようでした。幼稚園時代に、テレビでブーフーウーと言う人形劇をやっていました。子豚の3兄弟それぞれが、わらの家、木の家、石の家をつくり、わらと木の家は狼に吹き飛ばされてしまうのですが、丈夫な石の家は狼に負けなかったので、アタシはしんちゃんの白いお家は多分、石の強い家だろうと思いました。アタシは、ハシゴの上から、しんちゃんのお家や庭を見るのが好きでした。時々、その芝生の庭にしんちゃんが走り出てきて、向かい合って座れるブランコで遊び始めたりすると、アタシは見つからないようにそっとハシゴから下りました。そして、もう少し眺めていたかったのにという残念な気持ちと、覗いている自分を恥ずかしいと思ったりもしました。しんちゃんのお父さんは、仕事で外国に行く事もあるらしく
、祖父は隣の坊っちゃんと呼んでいました。
しんちゃんは、皆と同じ給食を美味しそうに食べていましたが、しんちゃんの外国みたいなお家や庭を知っていたアタシは、もしかしたらしんちゃんは、お家では外国みたいなご飯を食べているかもしれないと考えたりしました。朝御飯は、卵かけや納豆や焼き海苔じゃなくて、パンと紅茶なんじゃないかとも想像していました。
とにかくアタシは、自分からしんちゃんに話しかけることは無かったし、しんちゃんから話しかけられた事も無かったと思います。
2年生になった夏休みの事です。 その頃には、家に黒い電話や四本脚のテレビなどが揃っていました。母が電話に出て、「本当なの!!」と大きな声を出して、しばらく話してから電話を切り、アタシの方を振り返って言ったのです。「しんちゃんのお母さんが亡くなったんだって。お母さん行かなくちゃならないからね。」と。 その電話は、多分、クラスの連絡網だったのだと思います。
母は夕方には黒の洋服に着替えて出掛けて行きました。
6〜7歳でも、死んでしまうということがどれだけ大きな出来事かは知っていました。
兄が捕まえて来たカブトムシだって、金魚だって、死んでしまえば動かなくなりましたし、、ハエ捕りリボン(ハエを捕まえる粘着シートで、室内にぶら下げてありました)に張り付いたハエだって、クモの巣に引っ掛かった昆虫だって、みんな死んでしまえば甦る事はありませんでしたから。
アタシがお祖母ちゃんと呼んでいた母方の祖母は、祖父の後添えさんで、母を育てたお祖母ちゃんは、兄が産まれて直ぐの頃に死んでしまったと聞かされていました。御不浄(トイレ)で倒れていたそうです。その時、どれだけ驚いて悲しかったかを、母は時々話していました。(この時に亡くなったお祖母ちゃんも、実は養母だったということを後に知りました)
生きている命が亡くなるという出来事には悲しみが伴う事も漠然と解っていましたから、アタシは、同じ歳のしんちゃんが、お母さんが死んでしまった事でどれだけの涙を流して泣いているかを考えると、心臓がバクバクと音を立てて胸が苦しくなりました。夏休みが終わってから、しんちゃんが1学期と同じように学校に来られるんだろうかとか、悲しくて病気になったりはしないだろうかなどと、様々なことを考えました。
しんちゃんのお母さんは家事以外にも仕事をしていて忙しく、毎日夕方遅くに帰って来ていたそうです。亡くなった日も同じで、家族で夕飯を食べてからお風呂に入ったのですが、いつまでたってもお風呂から上がって来なかったので、しんちゃんがお風呂に見に行ったら倒れていたのだと聞きました。
その出来事があった後も、アタシは夏休みの間に何回か祖父母の家に行きましたが、ハシゴに登ってはいけないような気がしていました。悲しい事があったお宅を、眺めるのが好きだなどという理由で見てはいけないと思ったからです。
夏休みが終わりに近付いたある日、アタシは祖父に工作の宿題を手伝ってもらいに行きました。その日に祖父が「坊っちゃんちを見ないのか?」と言ったので、アタシはこれが最後という気持ちでハシゴを登りました。
芝生の庭にしんちゃんが居ました。しんちゃんは、長い棒の虫取り網を持って、ヒラヒラと舞う紋白蝶を追いかけていました。蝶々は網を避けて舞い翔び、しんちゃんに捕まる事はありませんでした。それでもしんちゃんは、蝶々を追っていました。 その一心不乱な姿が目に焼き付いて忘れる事が出来ません。 1年か2年経った頃、しんちゃんに新しいお母さんが出来た事を知りました。アタシは良かったとは思えませんでした。しんちゃんのお母さんは、死んでしまったお母さん一人だとも思った記憶があります。
幼かったしんちゃんがどれ程大きな別れの悲しみを経験したかという事をアタシが心底解ったのは、それから22年経って、母を亡くした時でした。
子供の頃の記憶には、楽しかった事よりも、驚きや悲しみ、恐怖を感じた思い出が多いような気がします。それは、遊んだり笑い転げたりする楽しい時間が、子供時代のアタシの当たり前の日常だったからなのだと思います。
アタシはずっと、あの晩夏の日、しんちゃんのお母さんが蝶々になって、しんちゃんと戯れ、我が子を励ましていたような気がしてなりませんでした。
40を過ぎた頃、俳句を趣味になさっている和裁士のAさんから、「蝶々は春の季語だけれど、死者の化身だとか、霊の象徴としても使われるんだよ」と教えていただき、改めてその想いを強くする事となったのです。
もしかしたらしんちゃんも、蝶々を見る度に、同じような事を思い出しながら今を生きているのではないかと感じています。

冷凍うどん

麺類を茹でるのが苦手。下手な茹で方するよりは、冷凍うどんの方がずっと美味しい。 付け汁は肉ネギでございます。

旅するドレス

発送準備完了。大きい姉さんの発案で、ドレス一式は真空パックに収まり、こんなに小さい箱に入っちゃった。無事に到着するかな。旅するドレス。

2015年3月21日土曜日

パエリア

急にパエリアが食べたくなって、明治屋のお総菜コーナーで買って来ちゃった。
何度か挑戦した事があるけれど、パエリア鍋も無いし、水加減も難しいしで、美味しく出来たためしなし。パエリアには、日本の粘り気のあるお米じゃない方が良いんだろうね。 2年だけ住んだ川越市に、スペイン亭っていう名店があって、スペインでのパエリアコンクールでも、幾度も世界1に輝いたと聞いてはいたのに、行かず仕舞い。 食べてみれば良かったなと今更思ってます。
今日のは可もなく不可もなくでした。

前立て

シャツカラーのワンピース製作開始。
前見頃を全開にしてしまえば簡単なんだけど、一晩考えた末に、難しい前立てを付ける事にしました。と言うのも、全開にすると、座った時にスカート部分のボタンが横に引っ張られて、下手すると足が見えてカッコ悪いから。 ボタンも取れやすいしね。
画像の三角の部分がとっても縫製しにくいんです。 上手くいったので本日これまで。

2015年3月20日金曜日

むーめーじん12

Bunkamura通りへの坂を下っていたら、お散歩か〜い?と声がして振り返りました。

「昨日は暖かかったけどさ、また寒くなるって言ってるねぇ。今ね、ひ孫が来るの待ってんだよ。85歳になっちゃったよ。神泉には60年以上住んでんの。これかい?去年の暮れにさ、息子がボロ市に連れてってくれてさ、100円で買ったんだよ。若い頃から好きなんだよ、明るいグリーンがさ。長袖のガウンだったんだけど動きにくいから切っちゃったの。軽くてあったかいよ〜。 アンタもワンちゃんも風邪引かないようにしなよ…」

ペパーミントグリーンのガウンは、キルティングがハンドメイドでシルクでした。若い頃からおしゃれ大好きだったそうですが、まだ洋服はあまり売って無かったから、手縫いでスカートなんかを作って着ていたんだって。息子さんの息子さんに息子さんが産まれたって言ってたよ。昭和5年生まれの85歳かぁ。 アタシが同じくらいに長生きしたら、娘(小さい姉さん)の娘(マコシンシン)が娘を産んだなんて事も起こりうるかもしれないわけだよね。人生ってスゴいね〜。

あれはなーに?

バケツ持って外遊び。 帰り道の向こう側ににいるあれはなーに?
マコシンシン「わんわん!」

とうとうしゃべり始めたかぁ。

58センチ丈

1センチだと代わり映えしないスカート丈は、だいたい2〜3センチ長くしたり短くしたりと調節します。
これは58センチ丈。膝の真ん中くらいで着られるときれいかなと思います。
色違いの冷めたブルーは、台形ラインのワンピースにする予定。 その前に自分のスプリングコートを仕立てたいんだけれど、まだ生地が見つからない。 レモンイエローを探してるところ。

水切り

1週間以上咲き続けているお花を水切り。
花器もグラスに変えてね。
ラナンキュラスの花弁は、きっと100枚以上あるんだろうと考えながら。

2015年3月19日木曜日

またですか?

またですか? そーなんですよ。忙しかったので、今日もちゃちゃっとチャーハン。
イタリアンパセリ乗せたから少しはマシに見える。

桜坂

雨が上がったので、桜坂の上の職人さんの所へ。

アタシ「パズー、少しだけ桜が咲いてるよ。」
パズー「パズー、真上は見えないんだ。」

キョロキョロと落ち着きの無いパズーは、既に腹ペコ。
桜坂が満開になるまであと数日かな。一気に咲きそうな気配。

雨音

「ほらね〜。やっぱ出来たじゃん。」とか独り言いいながらミシン踏んでいたら、お昼をとうに過ぎてた。 雨音が聞こえなかったら、夕方になってたかもしれない。
今日はここまで、仕上げは明日。

撤収

横浜中華街の、1つ前の駅でした。 撮影は無事に終了し、撤収後に東横線直通で帰宅。 眠いぞ! Tファミリーは、相変わらず仲良しでほのぼの。