人の記憶というものが、いつから語れるだけの象になるのか、アタシは脳の専門家ではないので判りませんが、思い出を綴っていて気付いたのは、2歳後半くらいからの記憶は、かなりはっきりとしているのではないかということです。
ブログでタコヤキと呼んでいる妹は、アタシと2歳9ヶ月違いなのですが、アタシは、母がタコヤキ出産の為に産院に入院している間の事や、退院してきた母が、助産婦さんと話ながら、木のたらいでタコヤキを沐浴させていた事をはっきり覚えているのです。(バナナを買って父と産院にお見舞いに行ったら、もっとマシなもん持って来いと母が怒ったり、退院後になかなか目を開かなかったタコヤキを、母と助産婦さんが心配して、このまま目が開かなかったらあんまさんにすれば良いさと話してた事など。)ドスンドスンおばさんは、アタシが覚えている中で、一番最初にアタシに恐怖という感情を与えた人です。2歳後半から3才くらいで出会いました。
ドスンドスンおばさんは、雨の日にだけやって来ました。真っ赤な傘をさして、玄関からではなく、狭い庭の向こうのガレージから歩いてきて、ブロック塀の真ん中辺りに一列飾り穴が開いていて、その穴から部屋の中をじっと覗くのです。それはいつも、年子の兄と留守番をしている時でした。住んでいたアパートは、坂の途中に建っていましたので、部屋は1階でしたが、庭から見下ろすガレージは半階くらい下に見えて、そこに大人が立つと、ちょうど塀の飾り穴に顔の位置がきます。そして、ドスンドスンおばさんがさしていた傘は、塀の上に浮かんで見えました。
たまたま通りかかった知り合いが、このガレージ側から声をかけてくる事も珍しくはありませんでしたし、祖父母でさえも、玄関をノックしても留守だったりすると、母が昼寝でもしていて気づかないのかもしれないと思い、このブロック塀から部屋を覗いていたようです。 留守にする時には、庭側の窓はきっちりと閉めていましたが、たまに窓を開けたまま、母は昼寝をしていました。
その日は雨で、アタシは幼稚園に通っていた兄が買ってもらったBブロックで遊んでいました。高くつなげて積み上げると、兄が怪獣の玩具で破壊するといった遊びです。 その時に、突然部屋が揺れました。窓ガラスもガタガタ音を立てて、箪笥の上に並べてあったこけし人形が倒れて落ちました。天井からは、円形で紐が下がっている蛍光灯がつけてありましたが、それもゆらゆら揺れました。兄とアタシはびっくりして、辺りを見回しました。 その時兄が「外に誰かいる!ほら!」と言ったのです。アタシは兄が指をさしたガレージの方を見ました。塀の上に真っ赤な傘が浮かんでいて、飾り穴から見ず知らずの女の人がじーっとこっちを見ていました。飾り穴は小さくて、目しか見えませんでしたが、その見ず知らずの女の人は、此方を凝視したまんま足を何度も踏み鳴らすのです。
兄が「窓を閉めろ!早く!」と言ったので、アタシは我にかえって必死に窓を閉めて、ねじ式の鍵を何度も回しました。 暫くしてそっと見てみると、その女の人は赤い傘をさしてガレージの出口の方に向かって歩いていなくなりました。部屋の揺れも収まりました。
大きな体をした人でした。 兄は「あの人が足を踏み鳴らしたから揺れたんだ」と言いました。アタシは、またあの人が戻って来るんじゃないかと恐怖に怯えました。
帰宅した母に話すと、斜め上を向いて考えていましたが、結局誰だったのかは不明でした。
暫くは忘れていたのですが、また雨の日の留守番がやって来ました。兄は「今日もドスンドスンおばさんが来るかもしれないから窓を閉めよう」と言いました。それをきっかけに、その女性の呼び名はドスンドスンおばさんになったのです。 恐怖を思い出したアタシは、きつくきつくねじ鍵を閉めました。
アタシは早く母が帰って来る事を願いながら、なるべく窓に近付かないようにしていました。 部屋の中で一番安全なのは押し入れの中かもしれないけれど、夜になって布団を出さなければ、押し入れに隠れる隙間も無いから、そうしたらトイレに逃げようなどと考えて、遊びに熱中出来ませんでした。
ふと窓の方に目を向けましたら、柳通りの方から赤い傘が近付いて来るのが見えて、アタシは「来たよー来たよー!ドスンドスンおばさんだよー」と叫んで、2畳あるかないかの狭い台所に走り逃げました。赤い傘は、また塀の上に止まって、ドスンドスンおばさんは穴から部屋の中を見て、何度も何度も足を踏み鳴らしました。
兄も「ドスンドスンおばさんだー」と言って、ふた間しかない部屋を走り回っていました。 雨の日の留守番では、それから何度もドスンドスンおばさんが現れては帰って行ったのです。
アタシはその頃からずっとオネショが止まず、兄が、晴れて恐怖の時間を過ごさなくても良い日にまで、「今度ドスンドスンおばさんが来たらやっつけよう」などと、恐怖を思い出させる事を言うので、雨音が聞こえる朝は憂鬱でした。
正体不明であったが故の恐怖でしたから、アタシは今まで生きて来たなかで、自分が何者なのかということを含めて、特に初めて会う人などには、不必要かもしれない情報まで開けっ広げに話す習慣がついています。
人が恐怖を覚えたり、警戒心を持ったりするのは、目に見えないとか、よく判らない…つまり、存在を信頼出来ない時だと思います。 ドスンドスンおばさんは、そういった意味で未知なる恐怖でした。もしもドスンドスンおばさんが、「おばさんはコレコレこういう者で、こんな理由であなた達を覗いているんだよ…足を踏み鳴らす理由はね…」と自己紹介でもしてくれていたとしたら、もしかしたら雨の日の留守番を楽しみにする事が出来たかもしれないわけです。
ドスンドスンおばさん、貴女はいったい何者だったのでしょう?アタシは今、10階という高い所に住んでいるので、もう来られませんね?足も踏み鳴らせません。ですけれど、もしももう1度いらっしゃる事がありましたら、アタシは歓迎します。ぜひとも名乗り合って交流しようではありませんか。
この思い出につきましては、地震でも起こった日に、幼いアタシが恐ろしくて、ドスンドスンおばさんという妄想の人物を記憶にすり替えたと思われても仕方がないのですが、アタシは本日、兄に電話をかけて確認しました。以下は兄との会話です。
アタシ「あのさ、アタシ今ね、子供の頃からの思い出を書いてるんだけどさ、ちょっと聞きたいんだけど ドスンドスンおばさん覚えてる?」
兄「おぅ、あの人でしょ?雨の日に来て部屋をガタガタ揺らした。覚えてるよ。雨戸まで閉めてもその隙間から覗くんだよね。雨戸ガタガタさせてさ…。俺はさ、ほら、ちょうどあの頃テレビで大魔神ってやってたじゃん。その冒頭のシーンとかぶってさ…泣いたよね〜」
記憶してました。3才歳上の兄いわく、実はタコヤキも居て大泣きしていたんだとの事です。窓ガラスだけじゃなくて、一緒に雨戸も閉めたそうです。
雨の日だった事も一致しています。書きながらふと思いました。ドスンドスンおばさんが母だった可能性はないだろうかと。 仮定として、考えられる理由は、面白かったからという事になってしまいますが、そうであってもそれほど驚かない、つまり、そういう事をやってもおかしくはない母でした。聞く術が無いのが残念です。
注※ 文中に、あんまさん と言う言葉を使っていますが、これは盲人に対する蔑称と受け取る向きもあり、あまり使わない方がよい言葉とされている事を承知のうえ、あえて使っています。庶民の間で使われていた普通の言葉として。
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