2015年3月8日日曜日

カブちゃんの思い出

アタシが小学校に入学した時、校舎は木造2階建てで、サッシではなくガラス窓、机も椅子も木製でした。
1年2組、40人弱のクラスです。
買ってもらったランドセルは朱赤で、1年生は、交通安全の黄色いカバーをつける事になっていたので、アタシは、カバーで朱赤が見えなくなってしまうのを残念に思いました。 身体が小さかったからなのか、席は一番前の廊下側。そして、隣の席になったのがカブちゃんという男の子でした。
カブちゃんは、他の子とは違っていました。 小児麻痺で身体に障害があったのです。
歩くのも不自由だったし、話す言葉もはっきり解りませんでした。アタシは、正直なところ、カブちゃんが怖かったです。その当時、学校には特殊学級というクラスがありましたが、カブちゃんは特殊学級の子供達よりもずっと出来る事が少なかったから、他のクラスメートもあまりカブちゃんに近づこうとはしませんでした。自分の事でさえ精一杯の毎日で、どう接したら良いのかなんて考える余裕もありませんでした。
クラスは、席が近い6人が班を作っていて、掃除や給食など、班長さんと一緒に協力する決まりになっていました。
カブちゃんは、一人で体操着に着替える事も出来なくて、毎日の給食を取りに行ったりも出来ず、班の人が順番で手伝っていました。
ある日、カブちゃんは、給食のお盆をひっくり返してしまいました。 隣にいたアタシは、雑巾で机や床を拭いたり、カブちゃんの汚れた服を着替える手伝いをしなければなりませんでした。そんな毎日を過ごしながら、夏休みになり、そして2学期に入ると、アタシとカブちゃんの席は離れて班も別になりました。
暑さが過ぎ去った頃に運動会がありました。カブちゃんはフォークダンスにだけ参加しました。男女が輪を作り、音楽に合わせてダンスをしていると、手を繋ぐ男子が一人ずつずれていくのです。アタシはダンス入場の時にカブちゃんと手を繋ぐ事になりました。カブちゃんも身体が小さかったから。 カブちゃんの手をしっかり握れませんでしたが、指がとても冷たかったのを覚えています。
運動会が終わったある日、母は言いました。「今日学校が終わったら、カブちゃんちに遊びに行って来なさいよ。お母さんがおいでって言ってたからさ。」と。
カブちゃんのお家は、アタシのアパートから柳通りを越えて、いくつ目かの路地を曲がった裏道にありました。何段かの石段を昇ると、木の外扉があって、その奥に平屋のお家が建っていました。
カブちゃんは一人っ子でした。初めて会うカブちゃんのお母さんは、痩せて小柄だけれど、とても明るい感じの人でした。
食卓の椅子に座らせてもらい、向かい側にカブちゃんが座りました。テーブルにはオレンジジュースや果物やお菓子が並んでいました。
カブちゃんのお母さんは、「たくさん食べてね。」と言って、アタシにストローを渡してくれました。
それからカブちゃんのお母さんは、自分もジュースを飲みながら「運動会でお手て繋いでくれてありがとうね。この子は生まれてすぐに病気になってしまって、それが治らない病気だってお医者さんに言われたのよ。おばちゃんね、死んじゃうんじゃないかって思った事もあったんだけどさ、退院して学校にも入れたから嬉しいの…」
カブちゃんのお母さんはたくさん話をしました。そして、皆には解らないかもしれないけど、カブちゃんは嬉しかったり悲しかったり、色々な気持ちがあって、お家ではそれをゆっくりゆっくり話すんだと言っていました。 夕方近くになり、カブちゃんのお母さんは、テーブルに余っていたお菓子を紙にくるりと包んでアタシにくれました。それから、アタシを外玄関の所までおくってくれました。「遊びに来てくれてありがとうね。」 そう言って手を振ってくれました。緊張から解き放たれたアタシが振り返ると、お母さんの横でカブちゃんが顔をクシャクシャにして笑っていました。
2年生になった日に、カブちゃんは学校に来ませんでした。担任の安部先生が皆なに言いました。
「カブちゃんは、ちょっと遠い別の学校に行く事になりました。春休みにお母さんと学校に来て、クラスの皆にありがとうって伝えて下さいって言ってたよ。お手紙もらったから日直さんは壁に貼ってね。」
壁に貼られた紙には 大きさの違うひらがなで ありがとう と書かれていました。
アタシは半分ホッとして、後の半分はモヤモヤした気持ちがしたのを覚えています。
木造校舎は取り壊されて、生徒は中庭に建てられたプレハブに移りました。アタシは6年生になる年に転校して、それから地元の中学に進学しました。その間、カブちゃんの事を思い出す事はありませんでした。 そして高校受験に落ちまくり、ドン底の気持ちで滑り止めの私立女子高に入学したのが15歳。1年生で入ったクラスの隣には、カブちゃんと同じ小児麻痺の女の子が座っていました。
女の子の名前は思い出せませんが、登下校の時には、壁に手をついてゆっくりゆっくり歩いていました。どうしても追い越してしまう事になるのですが、すれ違う時に バイバイと言うと、顔をクシャクシャにして バイバイと返事をしてくれました。
身体や知的障害を持つ人との接し方は、実は今の歳になってもわかりません。ですが、大小姉さん達の母親になって、障害のある子供を持った親御さんは、どんなに大変でどれ程切ないかというような事を身に染みて感じるようになりました。 幸いにして、大小姉さん二人は健康に恵まれて生まれて来ましたしたが、それでも子育ては泣き笑いの連続でした。アタシは教育熱心な親にはなれず、むしろ、大小姉さん達にはいつも早く寝ろ早く寝ろと言って育てました。 とにかく元気であればそれが一番と思っています。
カブちゃんは多分、養護学校に転校したのだと思います。その為にはお家を引っ越したかもしれません。
小児麻痺は完治しないそうですが、カブちゃんだけではなくて、苦労を重ねて相当のお歳になっているはずのお母さんも、何処かで小さな幸せを見つけていたら良いなと思っています。

※小児麻痺は、ポリオワクチンの投与によって日本では根絶されたそうですが、世界の中ではまだ発症する国があって、根絶に向けた取り組みがされているそうです。
子供のようなパズーが、完治しないテンカンや甲状腺の病持ちなだけでヘコタレているアタシなんかでは、到底カブちゃんのお母さんみたいには出来なかったろうとも思っています。

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