アタシが幼稚園に入園したのは昭和41年4月です。その頃の幼稚園は2年制で、今みたいに年少組が無かったけれど、アタシは3月早生まれなので年中組の中でもとてもチビでした。 (幼少期の1年の差はかなりなもんです。)
年子の風来坊兄が既に通っていたし、幼馴染みのJちゃんも一緒だったし、当たり前のように通園が始まりましたが、今振り返ると、登園も帰りも親や先生の付き添いなど無くて、4才〜6才くらいの子供達が、ドングリ道や菜の花畑、はたまた他人さまのお宅の庭を通り抜けたりしながら通園していたのですから驚きです。幼稚園の制服は、私服の上にベージュのスモック、帽子はえんじ色で鞄は黄色。夏服は記憶にありません。
アタシが年中で、人生で初めて先生と呼ぶことになった人、それがモモコ先生です。
髪をフンワリと内巻きにして、毎日違う素敵なスカートやブラウスを着ていて、決して怒ったりせず、世の中にこんなに優しい人がいるなんて…モモコ先生がお母さんだったら良いのにと思うほどでした。(母はアタシを含め3人の子育てが大変で、よくヒスを起こしていました。大人になってから聞いたのですが、イライラが溜まった時にはお風呂場に行って、バスタオルを噛み千切って発散したそうです。歯が折れるくらいに。小さなアタシは、実際に母がお風呂場でタオルをくわえてキィーーッと叫んでいるのを目撃しています。アタシが出産した際には、イライラしたらタオルを噛めと教えられました。)アタシはモモコ先生が、アタシのことを一番可愛がって欲しいと思っていたので、幼い頭で色々な作戦を考える毎日でした。
幼稚園入園時に、グリーンのお道具箱が配られました。中には12色のクレヨンや折り紙、ハサミやチューブの糊などが入っていて、全てに名前を書くようになっていました。
そのクレヨンは、お絵描きをして小さくなって使えなくなると、その色だけ貰える事になっていました。顔の絵を描くと、ぎゅうぎゅうと肌色で塗りつぶし、髪の毛の黒もモッサリ描いて、アタシはクレヨンを早く減らす事に夢中でした。何故なら、新しいクレヨンを貰うのは自己申告制で、モモコ先生と一緒に、幼稚園の廊下を歩いて園長先生の部屋の前を通り抜け、画用紙やクレヨンが保管されたお部屋に行くのです。そして、「また沢山お絵描きをしてね。」と優しく真新しいクレヨンを渡されるのです。実は、モモコ先生を独占出来る時間はもう1つありました。それは お漏らし です。 トイレを我慢してお漏らししてしまうと、モモコ先生が着替え部屋に連れていってくれて、新しいパンツをはかせてくれて、お漏らししたパンツを持ち帰る為のビニール袋に入れてくれるわけです。
アタシは、このお漏らしでのモモコ先生独占率が、他の子供より多かったのです。ですけれど、お漏らし独占には恥ずかしさが伴うので、尚更クレヨンを減らす事に執着しました。そしてとうとう、半分位になったクレヨンを、幼稚園の窓から、裏手に建っていたお豆腐屋さんの庭に投げ捨てるというあるまじき行為にまで発展していったのでした。
ある日アタシは、新しく買ってもらった白いブラウスを着て登園しました。その木綿のブラウスのまるい衿には、カタツムリが刺繍されていました。幼稚園に着くやいなや、「モモコ先生〜。ほら、カタツムリのブラウス買ってもらったの。」と、見せに行きました。モモコ先生は、「かわいいね。幼稚園のお庭にもカタツムリいるから探してね」と言って、アタシのスカートの肩紐がずり落ちそうなのを直してくれました。その時、モモコ先生の指に、キラキラ光る指輪がはめられていることに気付きました。
アタシの父は貴金属装身具を造る仕事をしていました。 ですから、アタシは小さい時から、光る宝石や真珠、磨く前の金や、製作途中のブローチ等を見ていました。
アタシは母に、モモコ先生がユビヤ(指輪)をしてたよと話しました。母は、それはどんなユビヤだったかと聞いたので、アタシはモモコ先生のユビヤがどんなにキラキラしていたか話しました。
兄が小学1年生になり、アタシは年長さんになりました。
モモコ先生は幼稚園の先生を辞めて、それから1度も会う事はありませんでした。
モモコ先生はお嫁に行ったと聞かされました。そしてアタシのクレヨンへの執着も無くなりました。
アタシがファッションに関わる仕事を生業とするようになったのは、決して目指したからではありませんけれど、モモコ先生をはじめ、幼い時代に素敵だと思い憧れるような大人の女性が何人もいた事の影響が大きいと思います。 勉強嫌いで、キョロキョロと惹かれる物や人ばかり見ていましたから。
モモコ先生の名前は桃子だったはずだと、漢字を覚えるようになってから考えました。指にはめられていたのはダイヤモンドの婚約指輪だったのでしょう。この季節に、お花屋さんの店先に桃や色とりどりの花が並ぶと、12色のクレヨンと桃子先生の優しい笑顔を思い出すのです。
当時二十歳くらいだったでしょうから、今は古希を迎えられるご年齢かな。 桃子先生、お元気でいらっしゃいますか? アタシがクレヨンを捨てていたことをご存じだったのではありませんか?
まとわりついていたアタシは、案外と世話好きな大人になり、先生が着ていらしたような綺麗な生地の洋服を作る仕事をしています。
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