月に1回のペースで手羽飯。
どこが気に入ったのか、実は自分でもはっきりとは判らないのだが、手羽飯を食べていると、頭が空想の世界に飛んで行くのである。
どこの国の料理と決まっていないが、どこかの国で、それも庶民が食べているに違いないと思える味がする。
似たような物を、絶対に食べているに違いないのである。
安価な手羽元を柔らかくなるまで煮て、有り合わせの野菜を添えて、煮汁までスープにして食べる。
余すところ無く食べるという部分が、とても庶民的な感じがする。
おおよそ、ある一部分だけを食べるのは、庶民の食事では贅沢なことで、無理矢理ふくらましたフォアグラとか、取り出したキャビア等がそれにあたるだろうと思う。
玄米菜食は粗食が基本なのだが、食材の値段を考えると、庶民的とも言えない。
無添加や無農薬は、手間が掛からないだろうというのは見当違いで、むしろその逆になっている。
そう考えると、その日に一番安く手にはいった食材を、丸ごと食べてお腹を満たす事が、一番粗食と言える。
毎日違う物を食べられるだけで、それは大いに贅沢な事なのである。
そもそも、何故、毎日違う物を食べようとするのだろうか。
栄養の偏りを防いで、より健康にということだろう。
それが可能な時点で、食にも困るような世界のどこかの貧困に喘ぐ人々からかけ離れている。
明日、一口のパンが食べられないかもしれない人々が居て、明日は何を食べようかと選べる人が居て、この落差は埋まる事がない。
手羽飯を食べると、そんな事を考える。
全く何も考えずに、全てが当たり前になってしまうより、考えた方が良いに決まっている。
一人前200円そこそこで、明日が充分に生きられる。
ありがたく、ごちそうさまでした。
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