物書きの中にも、随分と掛け事が好きな人が居るようだ。
今、運という随筆を読んでいるのだが、なかなか面白い。
菊池寛は、競馬好きだったようで、アタシは競馬が判らないのだが、馬券の買い方というのだろうか、それが箇条書きされていて、余程好きだったのだろうと想像できる。
随筆であるから、短文なのであるが、6ページに渡って、競馬で勝つ、つまり運を当てる買い方がずらーっと28も列記されている。
興味深かったのは、第28条だ。
馬券買いに於いて勝つこと甚だかたし。
ただ自己の無理せざる犠牲に於いて馬券を娯しむこと、これ競馬ファンの正道ならん。
競馬ファンの建てたる蔵なきばかりか(ニ、三年つづけて競馬場に出入りする人は、よっぽど資力のある人なり)と云わる、勝たん勝たんとして、無理なる金を賭するが如き、慎みてもなお慎むべし。
馬券買いは道楽也。
散財也、真に儲けんとせば正道の家業を励む如かず。
五木寛之も面白い。
教育ママが、メンコやベーゴマで遊ぶと、将来子供がギャンブル狂になると心配するが、それは違うと。
負けると悔しいから、子供は技を磨き、努力すれば技術を磨けるという事を学ぶという考えだ。
本当にギャンブル狂になる人は、どうも自分に自信が無く、出世にも縁が無い人に多いと言う。
同期入社の人が出世したりするのに、自分はそうは行かない。
そういう時に、馬や競艇、競輪、パチンコなどで勝つと、運が良かったから勝てたと思う。そうして、出世した人の事も、あいつは運が良かったから出世できたと考えるようになり、自分は、ただ運が悪かっただけだという思考になるのだと。
自分がダメだったのでは無い、運のせいだと思うと、慰めになる。
だから、運さえ良くなれば勝てると思い始めて、ギャンブル狂に陥ると言うのだ。
実社会の中で、本当の意味で勝った者は、ギャンブル狂にはならない。
世の中の仕組みの中で、敗北を意識し始めることが、ギャンブル狂への入り口だと、そのような事を書いている。
ギャンブル依存と検索しても、その関連の書物やサイトしかヒットしないだろう。
このような随筆の中で、ギャンブルの事が書かれているとは思わなかった。
読書はやはり面白い。
物書きが、運という題材で、賭け事について書いている様子を想うのもまた、興味深い事なのである。
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