「かーしーてぇ」と、唱うように孫のマコシンは言った。
折り紙遊びを一緒にしていた夏の午後、小鋏は1つを共有していた時だ。
急いで形を切り抜いて、アタシも「どーおーぞぉ」と、リズムをつけて、持ち手側をマコシンに向けて小鋏を差し出した。
すると、次の「ありがとう」にはメロディーが無く、替わりに満面の笑顔が返ってきた。
その笑顔を心に留めようとしたら、もう既に、マコシンは口をとんがらせて、折り紙に向かっていた。
そんな一時を思い出していたら、幼かった頃に、駄菓子屋の店先で「ちょーだーいなぁー」と、あの時のマコシンのように、唱うように駄菓子屋の主人に、欲しいあんず飴の小袋を差し出した自分が蘇ってきた。
10円だったか50円だったかは思い出せないが、その駄菓子を口に入れたいばかりに、少し離れた駄菓子屋までをどう歩いたか、そんな事も、秘密の抜け道にあった階段が、半分は苔むしていた事も、昇りきった所で、スカートの吊り肩ひもがずり落ちて直した事も、すっかり覚えていた。
同じ道を引き返す途中で、母の友人宅の木戸から当時高校生だったお姉さんが出てくるのが見えた。
お姉さんは、喉に白い包帯をぐるぐると巻いていて、きっと怪我をしたと判ったから、帰ってからすぐに母に伝えた。
その包帯は、傷を癒やす為ではなくて、喉を守る為に巻いているのだと、母は言った。
そのお姉さんは、市内で一番と言われていた第一高女の学生さんで、合唱部に籍を置いていた。
コンクールが近いと、練習も大変で、喉を守る必要があると聞いた。
何度か上げていただいたお宅のお姉さんの部屋には、黒くてツヤツヤとしたピアノが置かれていた。
それに触れてはいけない事は、ピアノが拒んでいたから判ったが、中央が膨らんだ回転式の丸椅子は、くるくると回すと高さが変わるのが面白くて、しばし夢中になった。
その様子を見たお姉さんは、背中の紐を引くと不思議な声で「こんにちはー」と喋る外国のお人形をアタシに貸し与えて、アタシが紐を引いている間に、回転椅子にカバーをかけて、奥に引っ込めてしまった。
母に手を引かれて帰る道すがら、あの丸椅子も、ピアノと同じくらいに触ってはいけないものだったのだと思い至って、何故か胸がドキドキした。
帰り着くと、母は扇風機のスイッチを入れて、台所へ行ってしまった。
青い羽がくるくる回って、扇風機は顔を左右にゆっくり振っていた。
網に指を入れたら千切れてしまうよと言われていたので、少し離れた所の座布団に座って風にあたりながら、アタシは、第一高女という学校に行く事はきっと無いだろうと、そんな事を思っていた。
その日は、スカートの吊り肩ひもは、アヒルの安全ピンでブラウスに留められていた。
母には母の知り合いが居て、アタシには自分の友達が居て、世の中には違う暮らしがひしめいていて、一人として同じ人は居ない。そして、触ってはいけない物が在り、自分の玩具で遊ぶのが一番安心だと、そんな事を考えた。
小さな頭が動き始め、人や物との関わり方を知る。それは、人間として記憶に残っている初めての夏である。
四歳であった。
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