コンビニ、年中無休のスーバー以外の小売店、飲食店が、今日はすっかり閉じていた。
珈琲を買っておけば良かったと悔やんだが、シャッターが降りているのだから仕方がない。
殆んどのお店には、目につきやすい処に、休みの挨拶と期間が貼り紙されていた。
小さな店舗は、手書きの貼り紙が多く、数日の休みを知らせる書き方も様々だ。
一番多いのは、○日~○日まで夏期休業致します
といったタイプだ。
ゴジラが営む小さな珈琲豆のお店には、
夏休みを致します と書かれてあった。
もう1つ目に留まったのは
夏休みをいただきます
だ。
言葉と言うものもまた、その人の人柄を彷彿とさせる。
特にこのような休みの告知は、字数が少ない分、普段の会話以上に、人柄が凝縮されている。
夏休みを致します。夏休みをいただきます。
どうぞゆっくりお休みなさいましよと、貼り紙に言葉を掛けたくなるような気持ちになった。
家族と旅行したり、或いは家で寛いだり、帰省する場合や、帰省してくる身内を待つ場合もあるだろう。
夏の休みには、年末年始のような慌ただしさや改まった雰囲気は無く、かといって、純粋な休暇とも違う独特の雰囲気が感じられる。
日本の場合はお盆休みであるから、引き継がれてきた家々が持つ、風習の中に帰って行くような懐かしさがある。
帰省する実家が消滅しているアタシにとっても、夏の休みは何故か郷愁を持つ。
身を寄せる場所を失う事は淋しい事だ。
場所だけではなくて、両親も居ないのだから、これはもうどうする事も出来ない。
さて、我が家の夏休みはと言うと、Tは今帰宅してこの時間に食事中だ。
職場は連休中だ。
明日明後日くらいは休みを取るだろうか。
両親のお位牌くらいは保管していると思うのだが、見当たらない。
郷愁とは無縁のようである。
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