Tを見ていて思う事がある。
テレビを見たいのか食事をしたいのか。
美味しいのか不味いのか。そもそも食べたいのか食べたくないのか判らない。
仕事に行きたいのか習慣だから行くのか。
遣り甲斐があるのか無いのか。
残業も、しなければならないのかダラダラ残っているのか判らない。
自転車が欲しいのか思いつきか。
本当はバイクが欲しいが諦めたのか。
買うための資金を貯めたいのか人任せか判らない。
何事に対しても、どっち付かずの印象だ。
覇気が無いと表現したら良いだろうか。
言動が曖昧で判りにくいのだ。
ギャンブルにしても同じことが言える。
なーんとなく遊んでいるうちに依存症になってしまった。だから本人には、深刻さが無い。
好きで始めたのか暇潰しだったか。
やめたいのか、行けないから行っていないのか。
これも判らない。
過去の女性関係も、当然妻帯者だった訳だから、通常は思い悩んで当然だ。
しかしこれも、何となく流されて始まるものだったから、好きなのかそうでは無かったのか判らないのである。
確か、飲み会でデュエットをしたら、酔った周囲が お似合いだと囃し立てて、そうかなと思ったから、そのまま帰りに二人で消えて、付合い始めてしまったとか、そんなきっかけが殆どだった。
記憶しているだけで6、7人だ。
強い意思をもって何かを始めた場合は、それに対する意気込みだけではなくて、取り組み方に真剣さが見えるものだ。工夫している様子や、苦心しているのも、身近にいれば判る。
なんとなく始めた事はどうだろうか。
小さなきっかけが、その人にとって良い習慣となる事もあろうが、なんとなくフェイドアウトするように終わるか、或いは、どっち付かずのまんま、ダラダラと行くような気がする。
物事を深く考えない性質は、時として楽観的で天真爛漫という長所にもなりうるが、それは若いうちのことだと思う。
ゴミは言わなければ棄てないし、お皿も洗ったり洗わなかったりで、その事についてどう思っているのかも判らない。
10時過ぎに帰宅して、今もテレビを見ながら食卓に座っている。
箸が動いていないから、たいして食べたくはないのかもしれない。
ここ数日は、小遣いを使わずに戻る日が続いているから、月末には貯金が出来るかもしれない。 しかし、それは、たまたま使わなかったのか、意思をもって使っていないのか、これまたどっち付かずで判らないのである。
何を考えているのかが判りにくい人は、周囲を不安にさせる。
自分の意見や考えを述べる事は、日本人が苦手とするところだ。
それは、和を保つことに重きを置くからだろう。
Tの場合は、和を保とうとしているのかどうか、それもどっち付かずで判らないのである。
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