借り癖、浪費癖が直らない。
後払いの出張手当6000円を、飲みとカラオケで使い果たして帰ってきた。
今月の飲み代は、もう毎月の小遣いをとっくに越えている。
それも、1000円、2000円と、人に借りて飲んで来る。
借りてまで飲むことをやめるように言っても馬耳東風だ。
どうしたものだろうかと対策を考えはするが、飲みに誘ってくる人は一人ではなく、それを突き止めるのは困難で、誘ってくれるな、お金を貸すなと伝える事が出来ないのである。
Tには、お金を借りる事の恥ずかしさが既に微塵も残っていない。
それだけではなくて、1000円の価値も判らなくなっているし、ギャンブルに使っていない事、万単位の借金ではない事が言い訳になっているのだ。
「人に借りてまで飲むの止めないと。借りたら返すって言ったって、返したら家計が回らなくなるんだよ。」
T「うんうん、もう止めるつもり」と笑う。
…つもり… 毎回これだ。そして、実はそんなつもりがない事は、見ていれば判る。
つもり…つもり…と言いながら、目はテレビに向いていて、口はお菓子を頬張っている。
頂き物のお菓子よと伝えても、誰からなのか、何故下さったのかには全く興味を示さない。
ヤドリギのオトウが、9月に忘れずに買いに走ってくれていることも、Sちゃんが、一所懸命に梱包してくれることも、それがTも食べられるように3人分送ってくれていることも、そのありがたみに感謝する心が無いのである。
だから当然ながら、日々の献立に苦心している事や、掃除や洗濯をこなしながら遣り繰りしているアタシにも関心は無い。
癖や習慣にも良し悪しがある。
Tの借り癖、浪費癖は、ギャンブルをするようになった過程でついた悪しきもので、ギャンブル依存症と同じで不治なのではないかと思えて仕方がない。
自覚をすれば改めようもあるだろうが、本人には相変わらず自覚が無い。
ひと言でも注意を促す人間がいるうちは、馬耳東風で済むだろうが、そのうちに誰も何も言わなくなる。
自省もしない。
感謝も出来ない。
お金だけではなくて、失った様々に気付くきっかけ無いままの日々が過ぎて行く。
この人は昔とは別人なのだと痛感せずにはいられない。
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