とにかく野菜を刻むところから始まる。
夕げの支度は、まな板をトントンしながら始まって、その音に押し出されるように献立が思い浮かぶ。
今日は、マンションの配水管高圧洗浄の日で、お昼過ぎまで台所に立てなかった。
中途半端な時間にトントン始めたら、浮かぶ筈の献立が浮かばない。
そのうちに野菜を刻み終わってしまったから、それと豚肉を鍋に放りこんで、トントンと豚汁になった。
キムチがあるからこれで良いと思いつつ、あまりの手抜きに、気が咎めて、キムチに卵を落として和えた。
こうすると、辛味がまろやかになって、更に刻み海苔を乗せれば、風味も増して美味しい。
誰だったか、エッセイに卵の事を書いていた。
戦時中の疎開先に、親戚の伯父さんが訪ねて来る。それでなくても食糧難のうえ、厄介になって居る身だから、茶菓子も無い。母親は、朝とれたばかりの生卵を二つ皿に乗せて伯父に出した。
伯父は、二個の卵を割って混ぜ、美味しそうにずるっと食べて立ち去るのである。
まだ子供だった著者は、その記憶と、母親の気持ちを忘れる事が出来ないと書いてあった。
二つの卵は、二人の子供の湯ばかり多い雑炊に入れる筈で、母親は食べなかったというのである。
間違えて、卵を2パック注文してしまった。
だから明日は、オムレツを焼こうかと思っている。
まだまだ日本は平穏だ。
卵さえ食べられない子供達が、世界にはたくさん居る。
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