2017年9月23日土曜日

パーソナルコンシェルジュという何でも屋

近頃は、猛烈に仕事をしていた時代の事をよく思い出す。

いったい何人の人々と出会ったろうか。
基本は一対一での接客で、予約制でも時間限定ではなかったから、午前に一人、午後に一人という具合いだった。
過去20年分の予約スケジュールが保管してある。
お一人の滞在時間は、短くて2時間、話が止まらないと、6時間以上なんていうのもざらで、瞬く間に時計の針が進んでしまうから、皆さんがそれをコーラルマジックと呼んでいた。

身内でもなく、友達でも仕事関係者でも無いから、何を喋っても、壊れる人間関係は無い。
気遣い無用で何でも話し、嫌ならばもう予約を入れなければ縁が切れる気軽さだった。
しかし、いらっしゃらなくなる方の数は少く、むしろ予約が増えて行った。何時間滞在しても無料で、雑然と並べてあった雑多な物を、皆さんが這いつくばったり背伸びしながら探し当てて、気に入ると買って下さるのが常だった。欲しいものがあるからいらっしゃる顧客もいて、そういう方々は先代からのお得意さんだったから、食べて行くにはそれで充分だった。

人は、思っている事を誰かに話すことで、少し気楽になったり安心したりするものなのかもしれない。

座り心地の良いソファーに腰掛けて、お喋りで笑い、また随分沢山の人が泣いた。

終電ギリギリなんて事も珍しくなかったのである。

和洋全般のファッションアドバイスから始まって、そのうちに枠を越えた相談や仕事が枝葉のように伸びてしまい、自分の事を 何でも屋 と呼ぶようになった。

撮影や小さい企業の仕事も舞い込むようになって、さすがに名刺の1つも無いことには困るようになってしまった。

名刺に何でも屋と書くわけにも行かず、どうしたもんだろうと考えていたら、バンクーバーのタコヤキちゃんが、個人のための相談役を パーソナルコンシェルジュと英訳してくれたものだから、それでパーソナルコンシェルジュとなったのである。
だから、ある1つの事のパーソナルコンシェルジュではなくて、中身は何でも屋のパーソナルコンシェルジュで、国内に同業者が居ない。

同じような仕事をしている人はいないものかと探したら、フランスに居た。
何度かメールのやり取りをした記憶がある。

パーソナルコンシェルジュとしての収入は、お金に換えられないものがあった。
つまり、来てくださる方々と一緒に、自分自身が成長の階段を昇らせていただいたのである。

特に、アドバイスに耳を傾け、聞くだけではなくて、一段でも昇るチャレンジ精神が旺盛な方ほど、あらゆる面で変化が大きかった。

黒やグレーしか着ない人に柄物を勧めてみると、何人かの方は躊躇い、けれど多くの人がチャレンジした。

このように、やってみようという気持ちがある人は、歩調は違っていても、必ず伸びて行く。
踏み出さなければ、何も変わらない。
階段を昇り始めた方々は、そのうちにアドバイスを自分なりに噛み砕いて、工夫を始める。
その姿を見て、また新たなテーマを投げ掛けると、更に伸びて行く。

こんな繰り返しで、何でも屋のこちらも、新たな事に気付いたりしながら、つまり一緒に階段を昇って来たのである。

今日は6年ぶりに連絡を下さった方があった。母娘二代のお客様だ。

これこれしかじかでと、接客一時休業の理由を説明したら、必要な物が色々あるようで、リストが送信されて来た。

リストの最後に、細かいところは全部お任せしますと書かれてあった。

任せていただけるうちが現役だと思いながら、何でも屋を続けているというわけた。

なりたくてなったわけではない職業だが、天職だと思っている。

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空いてるトップス

買い物帰りにカフェに寄ろうとしたら、どこも待ち人だらけ。 西武百貨店のトップスは、大抵空いてるし、安心の美味しさだね。 一瞬、季節限定のマロンケーキに心が動いたけれど、定番のチーズケーキにしました。 チーズケーキは酸味強めが好き。