暑さ過ぎ去り、彼岸入り。
六波羅蜜(ろくはらみつ)と言うが、何一つ出来ないどころか、送ってくれると連絡があったのを良いことに、お供えのお菓子も頂き物だ。
極楽浄土のあちらでも、そこら辺りのスーバーでいい加減に選ぶ駄菓子よりも、ヤドリギからの気持ちがこもったお菓子が供えられて、きっとご満悦に違いない。
先日行ったお寺さんで、本堂などを案内していただいたのだが、きれいに掃除をして、その整った状態を保つとはこういう事なのだと軽いショックを受けた。
塵ひとつ無く掃き清められていて、旧い窓ガラスも床も仏具も、何もかもが磨き込まれていた。
そうすると、そこの空気も静かにおさまっていて、乱れが感じられないのである。
無駄な物が何も無いから、景色も落ち着いて見えるし、話し声さえも澄んで聞こえる。
人が暮らす空間は、なかなかこのようには行かない雑多さがあるのは仕方ないにしても、まだまだ処分して、本当に必要な物を残すようにしなければと片付けを始めたら終らない。
そこで手を休めて考えた。どこかで見切りをつけなければ駄目なんだと気が付いたのである。
問題は、どこに見切りの線を引くかだ。
身辺をこざっぱりとさせたいのに、なかなか見切りがつけられない。
いつか使うかもしれないからととってある物、履きもしないハイヒール、着もしない服や小物、棄てるには惜しく感じる物など、数え上げたら切りがない。
彼岸の間に、自分の持ち物を七割位に減らそうと思う。
必要最低限に、少しの余裕がある辺りまで減らして、要らない物には見切りをつける。
買い足す物より、減らす物が増えるという事が、歳を重ねる事なのかもしれない。
増えて行くのは年齢だけで良いのである。
決めてはみたものの、やらない事には始まらない。
何処から手をつけたら良いものやらと、考えるだけで、一向に動き出せないまんま今日という日が暮れて行く。
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