悩みの無い人間など居ないわけだが、七転八倒 悩み抜いている人にしてみれば、悩むなと言われても無理だろう。
もう苦しくて苦しくて、どうにも解決の糸口が見つからない。
大抵は、自分の事を思う存分悩めるという場合、自分の事だけを悩める環境にある。
結婚して家庭を持ったり子供が居れば、とにかく自分の事より、夫や妻、一番には子供が悩みの優先になるものだ。
そんな経験をすると、語弊があるかもしれないが、自分の事だけを悩める時期は、ある意味で幸せである。
ヤカンに水を入れて火にかければ、やがて沸騰してグラグラ煮える。
そのまま放っておいたら、湯は無くなり、空焚きのヤカンは焦げてしまう。
水を足しても、同じ事の繰り返しなのである。
自分の事だけを悩んでいる状態はこれに似ている。
グラグラと煮詰めない為には、火を消すしかないのである。
私は俺はどうすりゃいいの?誰か助けてなんとかしてよ、と言われても、自分の事だけ考えるの止めてみたら?と答えても、だって、他に悩まなければならない存在は居ないし、無理ムリむりですとなってしまう。
ならば我を忘れて他者の事を考える為に結婚でもすれば良いかというと、それは違う。
自分の苦しさから逃げる理由の結婚が上手く行く筈がないからだ。
相手を鬱陶しく感じるようになるだけだ。
晩婚、そして非婚の昨今、自分の事だけに意識が集中する時間は増える一方だ。
経験から思う事は、大切な命の為に、我を忘れて悩むうちに、自らの悩みがちっぽけだと思えてきて、知らぬ間に成長して自分の悩みから解き放たれる事が多い。
人間は、自分の事に集中し過ぎると、かえって煮詰まってしまうのである。
特に一人暮らしの場合は気が紛れないから、グラグラ煮えたぎる状態に陥りやすい。
火を止めて、加熱を止める方法を模索するしかないだろう。
引きこもらずに外に出る。
興味の対象が自分しかない状態から離れる。
容易くはないが、打つ手はある。
自分の事だけを悩んでいれば良かった時代が懐かしくて仕方がない。
羨ましいくらいだ。
私は俺はと言っているうちは、まだ大人になりきっていないのである。
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