ここ10年くらいだろうか。
心が折れそう。
心が折れたという表現を使う人が増えた。
果たして、心とは折れるものだろうか。
現実には、挫折感の事なのだろうが、些細と思われる事で、すぐに心が折れたと口にする人は多い。
確かに、人の心は、何かのきっかけで打ちひしがれる事もある。
だが、頻繁に口にする人には特徴がある。
ちょっと気分が沈んだ場合でも、安易に使う事だ。
些細な事でも心が折れたと言う。
欲しい物が手に入らなかった、ネットで勝った物が想像と違った、友達の言葉が気に入らなかった・・
更には、ダイエットが思うように行かなかったり、恋人と喧嘩をしても、心が折れたとか折れそうだと言うのである。
本当に心がへし折れて、鬱のような病に発展する事もある訳だが、そういう場合は、抑うつの症状が先に出て、むしろ周囲が気付く。
ところが、頻繁に口にする人は、周りからは気付かないけれど、突然 心が折れたと言うのである。
思い通りに行かない、理想と違う、なかなか目標を達成できない、このような事は、誰しもが抱えている。
しかし、人間の心という物は、案外と強くしなやかで柔軟性がある。
踏ん張る力を持っているのである。
その力を最大限に発揮して、人は前へと進んでゆく。
心はとは、そんなにポキポキと度々折れるものでは無い。
周囲にそのような人が居たら、その人をよく観察して、かけるべき言葉を選ぶ必要がある。
あなたに言われた言葉で心が折れたなどと言われたら、こちらも嫌な気分になるからだ。
現在は、この言葉が定着したようだが、当初は一種の流行語だったのである。
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