2018年3月18日日曜日

ある男の物語り 傾げた首が戻らない

それにしてもである。

自己愛性パーソナリティー障害が強く疑われるTであるが、本当にどう対応したものか…。

病であると判って、30年以上に渡って疑問に思っていた様々に合点がいったが、だからと言って、やはり言動の違和感は解消されないのである。

今夜はカレーだった。Tは大盛りを平らげた。
しばらくしたら、ガサゴソ音がして、続いてカリポリと聞こえてきたのは、お煎餅を食べる音だった。
大袋を抱えて食べている。
パズーが凝視していて、大きい姉さんの耳もダンボだ。
暫く様子を見ていたが、言わないのである。
「食べる?」この一言が出ない。

戴いた物は、いつも分け合って食べているのだが、Tの場合は、それが出来ない。
皆で食べようという気遣い、発想が無い。
カリポリ聞こえてくれば、誰だって食べたくなるし、共に暮らしていれば、「皆で食べようよ」と言うのが自然であり当たり前だ。

貰える物は貰って食べるが、自分が貰ってきた物は分けないのである。

だから、何かを分ければ「ありがとう」と喜んで居るのだが、こちらは分けてはもらえない訳だから、黙っているしかない。
貰ってもいないのに、ありがとうとは言えないからだ。

30キロのお米が届いたのだが、重くて運べないから、玄関に置いてある。
通常は運ぶのではないかと思うし、運んでくれればもちろんありがとうと言う。
しかし運ぶ様子は無いのである。
空き箱を捨てる決まりは守るが、お米が入った箱は空き箱ではない。
したがって、中身を出すまで空き箱にはならない。
つまり、Tにとっては、無関係の箱なのだ。

人の気持ちを慮る事が出来ず、相手の気持ちになって考える事が出来ず、共感も出来ない。
お煎餅を分けたら、皆も喜ぶだろうとは思いもしないのだと思う。

今はそれでも構わないが、大小姉さんが小さかった頃は大変だった。

新車を買うと、心は全て新車に集中するから、幼い二人が触る、ドアの閉め方が悪いと怒る。
4~5歳の子供には、静かにドアを閉めることなど無理である。
その事が判らない。
自分の愛車を乱暴に扱う敵という事になってしまう。

自分をほめてくれる人が好きなのも特徴的なのだが、一番多いのが声だ。
カラオケで歌を褒められると、歌手になりたいと思えてしまうし、褒めてくれた人が女性だったら、そのまま恋愛関係になれてしまうのである。

既婚者であるのに、誰にでも結婚を申し込んでしまう。
そうは簡単に行かない訳だから、大抵は別れることになる。
そうすると、相手の女性はひどく傷つくわけだが、別れた後は恋人では無いから、相手に与えてしまったダメージに対して悔いる事は無いのである。

自分の誕生日は覚えていて、誰かが何かを言ったりプレゼントをしてくれると感謝する。
通常は、その相手にお返しをするものだが、関心が無いから覚えていない。

この障害に向き合うのは骨が折れる。
日々の暮らしの中で、傾げた首が戻らない事が多々あるのである。
大きい姉さんと、どんまいどんまいと励ましあっている。

来月になると、債務の返済は20回目になる。
ただの一度も、無事に返済できているかを訊かれたことが無い。
債務整理をした時点で、この債務には関心が持てないに違いないのである。





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