昨日に引き続き、Tがお弁当を戴いてきた。
今日は木場に行ったそうで、豪華なお弁当は老舗のなだ万。
かれこれ36年、今となっては昔の事、アタシは新宿駅の地下にあった京王モールというショッピング街でアルバイトをしていた。
通路に面したなだ万で、寿司弁当を売っていたのだ。
ちょうど俳優養成所に居た頃で、4時までの稽古終えた後、夕方5時から閉店の10時半までだった。
時給は600円だったから、1日3300円の報酬だった。
今で言うイートインの江戸前寿司カウンターが何席かあって、そちらには社員の板前さんが3人と女性一人。販売コーナーはアルバイト一人だった。
包装と販売とレジ打ちをこなし、店を閉めたらレジ上げをして、余ったお弁当は、地下2階だったか3階だったか、とにかく、新宿駅の地下はこんなに深いのか…と驚くような場所に、倉庫やゴミ捨て場があり、そこへ破棄しに行く。
全て終わってからバスに乗って、渋谷のアパートに戻るのは11時で、走って銭湯に行くのである。
銭湯は180円だったと記憶している。
なだ万には半年ほど働いていた。
レジ上げで、レシートの合計額と、午後の現金がピタリと合う筈なのだが、これが合う日の方が珍しく、必ずと言って良いほど違算が出る。
それも、何故か現金の方が多いのであった。
レシート等要らないと言う忙しないお客さんが多かったのは、駅の地下街であったからかもしれない。
お代を頂いて、お弁当を渡すと、アタシは、レジを打つのを忘れる事があった。
何しろ、行き交う人々は様々で、背広を着たサラリーマンが、毎日同じ背広で、そのうちどんどん薄汚れて、仕舞いにはトイレットペーパーをマフラー代りに新聞紙で寒さを凌ぐ浮浪者になってしまうのである。
新宿は、そういった人生の縮図が渦巻く街であったから、アタシは呆けた顔をして、人々を見ることに気を取られてばかり居た。
しかし、違算があるより無い方が早く帰れる。
破棄するお弁当も少ない方が尚更早く帰れる。
そうしてアタシは悪事を働くようになった。
破棄するお弁当を、ずた袋に詰め込み、違算で余った現金は、ジーパンのポケットに入れた。
違算は数百円だが、時には千円札が入る事もあって、それは時給の二時間分に相当する。
当時、南新宿の葡萄屋というスナックでバイトをしていたTは、京王線沿線に暮らしていて、ずた袋のお寿司を取りに来る。いくつか渡して、あとは自分で持ち帰るから、二人とも、晩御飯は毎日なだ万の寿司弁当を食べていた半年なのであった。
この悪事は、横領だろうか。 それとも窃盗であろうか。
何れにしても、悪事に変わりはない。
なだ万ではもっと働いていたかったが、クビになってしまった。
悪事がバレたからではない。
イケスカナイ男のバイトが入ってきて、言うこと為すことすべてが折り合わないのだ。
ダゴと言う名前を記憶しているくらいだから、今までの人生の中で、これほど嫌だと思った男は居ない。
ある日ダゴが、板前の店長におべっかを言っているのを聞いて、ますます嫌いになった。
おべっかとは、へつらいのご機嫌取りだ。
その数日後に、理由は忘れたが、ダゴと喧嘩になった。
ダゴはチンピラだったが、年は上だ。アタシはちびの18の小娘だ。勝ち目は無い。
だが、許せなかったのである。
アタシは、板場から出刃包丁を抜き取り、ダゴに向けた。
ダゴはショッピングモールを走って逃げた。
出刃片手に、逃げるダゴを追って、謝らせたのである。
だからクビになって、アタシは歌舞伎町の歓楽街で働くようになった。
悪事の方は、既に時効だか成立している筈だから、書いておく事にする。
その一年位後から、アタシはTと暮らすようになったが、お風呂もないアパートの2階に、やはりチンピラが住んでいて、何かにつけて文句を言われた。
Tは、すいませんでしたと書いたメモをボストに入れようと言った。
アタシは頷かなかった。迷惑など1つもかけて居ないどころか、迷惑を被っているのはこっちなのだ。
本当に悪いと思っていないのに、無闇に頭を下げるなんぞは女が廃るというもんだ。
そんなある日、チンピラは日本刀片手に凄んできたのである。
玄関の外で喚いている。
Tは居留守を使おうと言って、御不浄に隠れていた。
堪忍袋の緒が切れたアタシは、バーンとドアを蹴飛ばして外へ出た。
「アタシを誰だと思ってるんや~ど阿呆が。切るなら切ってみれや!」
アタシにはこういう一面がある。
ちなみに、夏目雅子さんが映画で なめたらいかんぜよ! と言ったのはこの2年後の事なのであった。
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