ベルを鳴らせば音が鳴る。
当たり前の事である。
ベルは勝手に鳴ることは無いから、置いておくだけならば、全く音を発しない。
此処は、都会の中でも繁華街であり、無音になることが無い喧騒の街だ。
しかし、それなのに、時々、全く無音の中で過ごしていたのではないかと思える時がある。
普段から、テレビを見る習慣は無く、パソコンにはスピーカーさえ付けていない。
遠くで聞こえる街の喧騒は、どちらかというと好きな方なのだが、 室内では音楽も滅多に聴かない。
無音に感じるのは、針仕事などに集中している時で、音だけではなく、気持ちも静まっている。
夏にお寺さんに出向いた時に、静寂を経験した。
実際には都心の中で、なにがしかの音は聞こえていたのかもしれないが、あの時の静けさが忘れられずに居る。
その静寂は、確かに音だけではなくて、歴史を重ねた建物、塵ひとつなく掃除された清々しさ、そこから生まれる空気、住まう人の心の落着きから成り立っていたように思う。
副住職さんの動きや話す言葉はとてもゆっくりで丁寧で、自ずとこちらも同じようなペースになる。
交わす会話が、静寂を壊さないように、静かに静かに。
静寂が脳に与える効果は、ずいぶん前から研究されていて、ストレスを和げる効果があるとされるヒーリング音楽よりも、だった2分の静寂の方が有効だという研究結果が発表されている。
防音硝子を張り巡らさなくても、心の持ちようや集中力、動作などで、静寂は作れるのだと知った。
衣食住を調え、時に心のベルを置いて、黙って読書するなり、景色を眺めるなり、目を閉じるだけでも良い。
喧騒と静寂を、うまく暮らしに取り入れる事を意識するだけでも、現代人の脳の疲労は、かなり改善するだろうと思っている。
長年、パチンコ屋の騒音の中に居たTは、右の耳が特に悪くなっている。
静寂に耐えられないから、すぐにテレビをつけるのかもしれない。
静寂に身を置くには、それに耐えうる精神力も必要だという事なのである。
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