あまりにも有名な、宮沢賢治の雨にもマケズ。
玄米を食べている人に限らず、この詩の
一日玄米四合…のくだりは、食べ過ぎじゃね?と疑問を抱く人がたーくさん居るんですね。
四合と言えば、確かに四人家族くらいのご飯の分量です。
しかし、これが書かれた時代は、食事の主役は玄米そのものでした。
そして、この詩は、最後を読むとわかりますが、 そういう人に私はなりたい!と言っています。
つまり、そういう人にはまだなっていなくて、希望なのです。
現実には、雨にもマケズが書かれた後に、若くして宮沢賢治は亡くなっています。
この詩は、岩手花巻の斉藤宗次郎という人がモデルになったと言われています。
クリスチャンになった事で、様々な迫害を受けながら、それでも花巻に住み続けて、懸命に生きたと言われて居ます。
クリスチャンになるきっかけとなった内村鑑三に呼ばれて、花巻を離れることになった日、迫害した人を含めて、たいへん沢山の人が、駅に見送りに来たそうです。
その中に、宮沢賢治が居たのです。
話は玄米四合に戻りますが、この四合の玄米は、おにぎりを六個~八個くらいかなと思います。
農作業などの肉体労働をしていたと考えると、一食に2~3個のおにぎりとお味噌、沢庵や少しの野菜は、質素過ぎるとアタシは感じます。
急に思い出しましたので、雨にもマケズ載せておきます。
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けない
丈夫な体を持ち
欲はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている
1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れず
よく見聞きし 分かり そして忘れない
野原の林の下のかげの
小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供がいれば
行って看病してやり
西に疲れた母がいれば
行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人がいれば
行って怖がらなくてもよいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい
宮沢賢治
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