アンティークの市松人形が飾られていた。
着物も帯も正絹で、明治の頃の物だろうか。
元々が着せ替え人形だから、探したり作ったりすれば、着替えが出来る。
大きい姉さんが生れた時に、亡母の友人が、赤い着物の市松人形を贈ってくれた。
これを怖がって、大小姉さん共に、触ろうともしなかった。
怖く感じる人は多いようで、調べると色々な理由が書かれている。
あらためて見てみると、怖いと言うよりも、何故か物悲しさを感じるのである。
あどけない童女なのに、物悲しい。
贈られた子供の身代わりとなって、厄除けになるからなのか、生まれながらに重い運命を背負っているような雰囲気だ。
そうして、欧米のバービー人形だとか、リカちゃん人形のような明るさがないのである。
物悲しさの裏側に、一種の孤独を感じてしまうからかもしれない。
市松人形には、お母さんやお父さんの人形は無くて、殆どが童女だ。
実に丁寧に丹念に造られているのだが、売られて行き、誰かの災難の身代わりになる。
怖く物悲しき感じても、おいそれとは棄ててしまえない。
だから、随分と長い間、しまいこんでいたのだが、職場にしていた部屋を引き払った際に、家具と一緒に引き取ってもらった。
コレクターが居るそうだ。
孤独というものは、本人にとって辛い状態なのだが、その姿を見ている人にも、悲しみの感情を抱かせるのだと思う。
家族や友人知人に囲まれて、賑やかに暮らしでいれば、幸せそうに見えるものだ。
真に孤独な人がどのくらい居るのかは判らないが、物悲しさを感じさせるよりも、幸せそうに居る方が良いに決まっている。
人は一人では生きられないのである。
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