つるんと赤く、椿の実がなっていた。
この実を見ると、八丈の椿油を思い出す。
子供の頃に、父がお土産に柘植の櫛を買ってきてくれた。
粗い目と細かい目とが削られていて、赤く塗られた持ち手には、可愛い柄が描かれていた。
柘植の櫛は、使い込む程に飴色になり、手入れには椿油を染み込ませた。
昔は、この八丈の椿油の小瓶が、何処の家庭の洗面台にも置いてあったように記憶している。
人の皮脂と成分が近く、食用にもなるようだが、使い道はやはり髪を鋤く時だった。
髪は女の命だと教わって、母はアタシの長い髪を、毎朝黒い細ゴムできりっと結ってくれた。
輪にしたゴムではなくて、紐状のゴムだった。
片側を歯でしっかりくわえて、束ねた髪に二周ほど巻き付けてから、ゴム紐を結ぶやり方で、そうしてもらうと、緩む事も無かったのである。
椿油と柘植の櫛は、そうして何年も使ったが、何かのきっかけで欠けてしまった。
その頃にはプラスチックの櫛やブラシが安く買えたけれど、味気なくつまらなかった。
櫛は苦死を連想させるから、人へのプレゼントにしてはいけない事も、そして、三十過ぎたら髪を切れとも教えられた。
年増女の枯れた肌に、艶やかな髪は似合わなくなるという理由だったと思う。
長いままならば、オスベラカシのようにしていないで、きちんと結っておくようにと、そんな事も言われた。
母は髪を長いままにしていたが、いつも首の後で束ねていて、六十になったら断髪にするんだと言いながら、その前に逝ってしまったのである。
そうして、アタシは、三十半ば頃に、髪をバッサリとショートにしてしまって、それからは伸ばす事をしなくなった。
それと同時に、椿油も櫛も要らなくなってしまった。
今は、毎朝念入りに、大きい姉さんが長い髪を鋤いて一束に結って出勤して行く。 パーマもかけなければ、カラーもやらない。
三十を過ぎても切るつもりは無さそうだ。艶やかな綺麗な髪質をしている。
髪は女の命と思っているかどうかは知らないが、椿油も持っているようだ。
結婚する気は毛頭無いようである。
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