2017年6月18日日曜日

学歴とメニュー作成能力


 教育関連のコラムのアクセスが多いので、少しづつ書きますよ。

あれは大きい姉さんがまだ乳母車←死語か??
つまりベビーカーに乗っていたころの話し。

昼寝の前に連れて行く公園で、同じようなお母さんたちと知り合いになった。
今で言う ママ友ってやつだ。
当時は ママ友 という言葉は無く、 やっと外へ連れ出せる事を、公園デビューと言っていたかと思う。

特に待ち合わせなどをすることも無かったが、公園に行くと自然に集まっていたので顔見知りになり、当然のことながらご近所の方ばかりなので交流が始まった。

実はアタシ、この交流が苦手だった。が、お誘いを断るのもワルイな・・と思い、お付き合いをしていた。

話題の主たるものは当然子育ての事。次に、それぞれの旦那様の事だったと思う。
「うちの主人は医者なの。大学病院の」
「わ~すごいね!」
「お宅は?」
「うちは商社のサラリーマン」
「へ~お給料良さそうだね」

アタシが聞かれる番になった。
お母さん同士が集まっているんだから、自分の自己紹介をしたかったが、なんでそこをすっ飛ばして夫の職業を暴露しなきゃならんの???と思いつつ、流れに逆らってはイケナイと思い答えた。

「うちはね、みかん売りのアルバイトよ。築地で仕入れたみかんを軽自動車に積んで売り歩くの」

お母さんたちの空気が固まった。
そうなのだ。Tは大きい姉さんが1歳半まで、定職に就かずバイトをしていたのである。
住まいもふる~いアパートで、六畳と三畳に台所(家賃は6万円) 今思うと高過ぎなのだが、バブルに入りかけていたのだ。

離乳食が終わって、1歳過ぎから幼児食になっていた。
食べる食べる、大きい姉さんは黙々と毎日三食完食していた。
しかし、他のお母さんは、食べないんだよね、うちの子・・ その悩みがとても深刻なようだった。

で、ある日、お医者さんの奥さんのマンションでお昼ご飯を食べる事となり、そこでアタシは、大きい姉さんがむしゃむしゃ食べていた 茹でシシャモと野菜チャーハンを持参したのである。焼いたシシャモは固いので、茹でて火を通しただけである。

これを、他の皆様のお子様方が、 食べる食べる!両手に持って食べる。 
塩気が抜けて、結構美味しいのだ。

その時である お医者様奥様から衝撃のひと言が発せられた。

「高卒でもメニュー考えられるんだね。・・・あ、ごめん、そういう意味じゃなくて・・」

  高卒と献立を考えるのはあんまり関係ないと思うよ~。結構料理が好きなだけ。

 みなさん、哺乳瓶からなんか吸い口みたいなのに移行して、それからなんとかストローで飲むことを覚えさせる事にも頑張っていた。

アタシは生来面倒くさがり屋なので、普通のコップにストローを半分の長さに切ったのをぶち込んでいた。

大姉は、飲み物をブクブクブクブクと泡立てては笑っていたが、何かの瞬間で飲み物がストローを通過して、大姉の口に入ったようだ。入れば飲み込むのは自然だ。
その日から、大姉はストローでリンゴジュースを飲めるようになったが、それも短期の事で、直接コップから飲み始めた。 半分はこぼれていたけどね。

教えなくても、実は自然にできるようになることは結構あるのである。
こぼれたら床を拭くまでのことだ。

母に電話をした
これこれこんなことがあってさ、高卒でもメニュー考えられるんだって言われちゃったよ。」

「ふ~ん。そう。変な人ね。ところでアンタ、公園に連れて行けば子育てしてると思ったら大間違いよ!判った?」

その後母は、大小姉さんに 焼きたての焼き鳥を買い与えて立ち食いさせたり、たまに訪ねてくると、 どっちがカラスの鳴き声をうまくできるかと
「カァ~ カァ~」比べをしたりしてくれた。(;''∀'')

焼きたて揚げたて、食べ物は出来立てが美味しい。
人間だって、翼は無いが カラスのように発声できる そのためには腹筋を使う。

このような実にユニークな事を教えてくれたのである。

 子供の人生にレールを敷く事なかれ、親が目標を与える事なかれ。
 目標なんてものは、時期が来れば自分で考えるのだ。それよりも、アタシはアタシを生きねばならぬ。

*母は 中卒です。

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