2017年6月26日月曜日

母になること


 アタシは大きい姉さんを23歳で、小さい姉さんを26歳で出産した。
感動よりも、もっと重い 責任感を感じたのを覚えている。

生きてゆく過程では、楽しい事もあるが辛い事も沢山ある。
この子達も、そういう経験をするのだと思うと、とんでもない事をしでかしてしまったと、途方に暮れるような気持ちがあった。

命名の時もそうだった。
美波 という名前を候補に挙げていた。

父だったと思うが、「良い波ばかり押し寄せて来るとは限らないからな。」そう言われ、命名は一からの出直しとなった。

とにかく、しっかりと強く生きて欲しいと思ったので、その希望を込めることにした。

大きい姉さんには、 白いキャンバスに自分で人生の絵を描いて行け
小さい姉さんには  大海原に向かい荒波押し寄せても動ずること無くあれ

こんな気持ちを漢字1文字に込めた。

大きい姉さんがお腹にいた時に、親友Jちゃんのお父様が、そしてそれから数年は、
母、Tの父、Jちゃんのお母さま、父、 平均寿命には程遠い年齢での死別続きであった。

上の世代が居なくなったという事実は、アタシの中に、次は自分の番なのだという死生観を持たせてくれた。

命は有限で、それはいつ終焉を迎えるとも予測できないという事だ。

短命の家系なのかもしれないと知り、アタシは、とにかく大小姉さんが独り立ちするまでは生きなければと思うようになった。

20歳を目標にして、それまであと何年、今年も無事でした・・そしてまたあと何年、
そんな風に、大小姉さん達が20歳を迎えるまでの年月を数えていた。
逆算の子育てだ。

母になること
それはアタシにとって、今死ぬわけにはゆかないという気持ちの持続であった。

体調を崩せば、それが少しの風邪でも 親は無くても子は育つ という言葉が頭に浮かんだ。

子育てには女手が大きな役割を果たす。
アタシの周りの女手は、妹のタコヤキだけだったから、尚更20歳までが長く感じた。

そして現在に至っているというわけだ。

では、今はどういう心境か。

パズーである。 
自立は無い。
逆算が出来ない。

パズーが天寿を全うするまで、アタシは死ねない。生きねばならぬと思っている。
パズーは動物だが、命である。
それを育てているアタシは 母なのだ。

大きい姉さんが居るという安心もあるが、多忙を極める中で、
病気持ちのパズーと過ごすのはなかなか困難だ。

だから、やっぱりアタシは、まだ 生きねばならない。
死ぬわけにはいかないという気持ちから解放されていないという事になる。

解放されたのちにも生きていたら、アタシはいつ死んでも悔いなしと言う気持ちで、
好き勝手に自分を生きようと考えている。









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