2017年6月11日日曜日

嘘の質


 昔から、嘘つきは泥棒の始まり などと言って、子供が嘘つきにならないように親は教育する。
しかし、いざ社会に出てみたらどうだろうか。
全く嘘をつかずに生きている人など皆無なのだ。

友達が新しい洋服を着ていて どう?似合う?
正直似合わないと思っても、うんうん、似合うよ~。

面接試験だってそうだ。
他に第一志望の会社があっても、他の会社の面接で
「はい。貴社に採用させていただけた暁には、精一杯働いて貢献したいと思っております!」
これも、大きな括りで言えば 嘘である。

そう考えると、ついても良い嘘と、イケナイ嘘がある事に気づく。
人間関係をスムーズに平穏に保とうと思う場合、人は小さな嘘を重ねてゆかなければならない。
その事で、誰かが被害を被ることは無いからだ。
では、ついてはイケナイ嘘って何だろうか。
犯罪につながる嘘(詐欺のような)は別として、ついてはいけない嘘。

考えるに、これは、自分自身を貶める嘘なのではないかと思うのである。
守れない約束を平気でする。
出来ないことを出来るという。
自分を虚飾するための嘘。
こういった種類の嘘は、必ずや自分自身の良心、プライドから、人間として持つべき物を奪ってゆくのである。

NO と発言する事には大きな勇気がいる。
しかしだ。
出来ない事、守れそうも無い事、そう自分が思ったら、NOという勇気を持たなければならない。
NOと発言する事で、壊れるのではないかと思う何かは幻想だ。
むしろ、はっきりと意思表示する事は、その人の存在を確かなものにしてくれるばかりではなく、他者からの評価も上げてくれるはずだと思うのである。

嘘には質があるという事なのだ。

ライフ・イズ・ビューティフル イタリア映画
第二次世界大戦下において、ユダヤ人として収監された親子の物語だ。
収容所で、母親とも引き離され、不安におののく少年に対して、父は「これは戦争ごっこなんだ」と嘘をつく。「この戦争ごっこに勝てば、戦車に乗って家に帰れる。お母さんに会える」
少年はそれを信じて、最終的には生き延びるという結末だ。
嘘で我が子を救った父は銃殺されてしまう。

嘘はつかないに越したことは無い。
しかし、このように、大きな愛情がつかせる最上級の嘘もあるという事だ。

要は、自らの内側を見つめ、真摯に生きるしか人生を有意義なものとする方法はないという事なのである。
そして、そのためには多くの時間を要する。
半世紀以上を生きてきて、最近改めて思う事なのである。


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早く着き過ぎた

銀座で休憩中。 早く着き過ぎた。 しかし、なんでイッセイミヤケのバッグ、行列出来ているんだろう。