もう30年くらい前の師走の事。
当時の住まいから5分程の雑居ビルに、サラ金があった。
当時は、お金を借りるなら銀行で、誰でも郵便局の口座を1つは持っていた。
携帯電話も無かったと記憶している。
サラ金は近付くのも憚られるような場所で、いったいどのような事情の人が出入りするのだろうと思っていた。
年末の買い物を済ませた帰りに通りかかると、そこに、古びた巾着袋を握り締めた白髪の老女が立っていた。
防寒着も着ずに、毛玉だらけのセーター姿で、サラ金の看板を見上げていた。
その横顔は青白く、見てはいけない姿を見てしまったような気がして、私は足早に通り過ぎた。
年を越せるかどうかは、大切な事だった。
ささやかでも、新年のお節を準備して、雑煮用のお餅を買う。しめ飾りに鏡餅、師走は出費が嵩む。
それに、借りた物は年内に返すという気持ちを皆が持っていたし、年内に請けた仕事は年内に納める。
そんな時代だったのである。
その数年後から、世の中は猛スピードで変わっていった。
携帯電話普及、年中無休のコンビニ。
便利便利と広がって、人々は 憚る気持ちを失っていったような気がする。
道端に座り込んで食べる。喋りながら歩く。
憚る気持ちとは、周囲に対して差し障りが無いように、遠慮したり差し控えたりする気持ちの事だ。
何が悪い!文句があるかと、憚りの無い人がのし歩いている。
果たして、この状態で、真の おもてなし とやらが出来るのであろうか。
年末が近付くと、あの老女の姿が思い出されて苦しい気持ちになるのである。
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