2018年7月16日月曜日

お孫ちゃん観察日記

             
             

 昨日は面白かった。
子供と言うのは、恐ろしいスピードで成長して、それは多分成人するまで変化の連続だと思う。
我が子の場合(つまり大小姉さん)、自分自身もまだまだ軟弱な未熟者であるから、冷静に観察するというよりも、目を三角にして親として頑張らなければならず、落ち着いて観察する心境にはなれないものだ。

それが お孫ちゃんとなると、流石に還暦に向かう(人によっては更に高齢)わけだから、もう、未熟者ではないし、ある程度落ち着いた観察の目を持つ余裕ができるという物だ。

一体、5歳くらいの子供の頭の中はどういう思考になって居るんだろうかと、昨日もじっくり向き合ってみた。

半日と言えども、おやつ、夕食を挟む留守番、それも日頃は滅多に顔を会わせる事が出来ない オバアチャマと過ごす時間は、マコシンにとっては長い時間に違いない。

その時間を有意義に楽しく過ごすために、マコシンは手紙を携えて来た。

いざ両親が行ってしまうと、僅かながらの諦めと緊張感が出てくるらしく、ちょこんと椅子に座っている。

パパに買ってもらった玩具で、風船を膨らませる遊びを始めたが、小一時間するともうおしまいにするという。
理由は、その玩具に付属している風船の種(小さなゴムの)を、このままのペースでふくらまし続けたら、自宅に帰ってからふくらますパーツが無くなってしまうというのだ。
全くその通りである。
使えば減り、いつかは無くなってしまうという事を知っているのである。

玩具をきちんとかたずけて、次にお絵かきをすることになった。
おしゃべりなマコシンシンは、この間も喋りっぱなしである。
保育園の事、パパとママの事、友達の事、話は尽きない。

そうしてその時、なんとドアが開き、大きい姉さんが帰って来た。
そう、昨年、おばけのロクロックビとオーバーラップして、恐怖の元となった大きい姉さんだ。

マコシンの背筋が伸び、顔がひきつり、それでも笑顔を保とうとする。
しかし、頭では分かっていても、やはり恐怖心は完全に払拭されていなかった。

大きい姉さんは、描いた後に水ペンでなぞると水彩画のようになるとっておきの筆記具と真っ新な紙を惜しげなくマコシンに貸し出した。

これは魅惑的な筆記具で、マコシンは見たことも無いこれらに、大いに興味をそそられて描き出した。
しかし、その様子をのぞき込み、色々と話しかける大きい姉さんのオーラに負けた。

大粒の涙をこぼし、ママ、ママと泣いたのである。
本当はママが恋しいわけでは無く、「こわいよ!やっぱりこわいよ~」なのである。

マコシンの代わりに言えば この人は案外と優しい人間であるが、どこかロクロックビの雰囲気を持った女の人で、警戒心を解いてはイケナイ人なのである。

なき止んで、少し慣れて、それからまた泣いた。合計2回、恐怖心が勝ったのだ。

ハローキティのタオルハンカチで涙をぬぐったかと思うと、そのタオルハンカチを椅子のひじ掛けに干すという行為に出た。
悲しくて泣いているのではないから、冷静な部分もあるのだ。
背もたれとひじ掛け、テーブルの一辺で、マコシンの身体は小さな四角いスペースに囲まれ、それはきっと、バリケードのように自分を守ってくれるように感じたことだろう。

そして、大きい姉さんは再び仕事に戻って行く事になった。

「マコちゃん、〇〇ちゃんはまたお仕事に行くから、行ってらっしゃーいと送り出してやってね!」

これを聞いたマコシンには、一瞬にして正気と、強さを取り戻し、恐怖心など吹っ飛んだ。
当たり前だ。
自分を怖がらせているのはこの人で、その当の本人がここから消えるのである。

マコシンはバリケードから抜け出し、玄関まで大きい姉さんを見送りに行った。
見送りと言うより 追い出しに近い。
もう 鬼は外~~~の心境なのだ。
心の中で、ロクロックビよ行ってくれ、一刻も早く仕事へと思っていたに違いない。

バイバーイ、バイバーイと送る声は、先程までとは比べ物にならないほど音量が上がっていた。

それからは、確かに鬼(大きい姉)が玄関から出て行ったことを確かめ、次に「○○ちゃんはいつ帰って来るの?」と訊いて来た。
「夜だよ。忙しくていつも夜遅くまで帰ってこないの」

オバアチャマは、今日はもう突然に鬼が来ることは無いのだと安心させた。(偉いでしょ)
その事を理解し確信したマコシンは、来た時の数倍の元気さになって、それからはずーーーっとハイテンションになった。
ハイテンションの状態で、いずれは保育園の男の子と結婚するつもりであるが、もっと大きくなったら、もっともっと好きな人は変わる可能性がある事、ケーキ屋さんになりたいと思ってはいるけれど、最近、他のお店屋さんになるのも悪くはないと思い始めている事、パパは帰りが遅いけれど、そのおかげで玩具を買ってくれるんだから、どんどんお仕事を頑張れば良いと思っていることなどを途切れることなく話してくれた。
ヤドリギのジージとバーバは野菜をたくさん作っているけれど、マコシンはやっぱりジージとバーバはお茶屋さんだと考えている事も。

では、完全に○○ちゃんの事を忘れ去ったのかと言いうと、それは違う。

〇〇ちゃんの仕事は何なのかと訊いて来た。
そして、働いてもらったお金で何を買うのかにも興味があるようだ。

さっき貸してくれた トクベツなペンのセット、出かける時にかけていた黒い眼鏡、そういう物を全部自分で買うのだと教えたら、いたく感心しているのである。

それからの時間は瞬く間に過ぎ、パズーと一緒に散歩に出たら、もうパパとママが迎えに来る時間になる。

二人は6時頃に帰ってくると言ったのだそうだ。

その時に、テレビでサザエさんが始まった。

マコシンシンはなかなか賢い女の子だ。
名古屋では、サザエさんは6時から始まるが、ここ東京ではどうなのかと訊いてくる。
こっちも6時だと答えると・・・
おかしいではないか、サザエさんが始まり、そして終わったのに、まだパパとママは帰ってこないではないかという。

約束の時間なんて多少前後する事があるなんてことはまだわからない。

パパとママが出席した結婚式で、予定よりもたくさん おめでとうを言う事になったんだと思うよと教えたら納得した。

ご飯を食べながらの話もまた興味深かった。

今日(昨日)マコシンシンが渋谷についてからパパとママを送り出すまで、オバアチャマはママに着物を着せる以外は、殆どずっと、パパと喋っていたというのである。
それは事実だったけれど、マコシンにしてみれば、パパと話すよりも、もっと最初からマコシンに集中して歓迎し、久しぶりに会ったマコシンとお喋りするのがスジ、もっと大げさに言うと仁義なのではないかと言うのである。

マコシンは、この小さな抗議に弁明の機会を与えてくれた。

たまーーーにしか会えない人とは、会えた時にいっぱい話しておかなければ、次にいつ会えるかわからないし、ままとマコシンとは、多分パパよりも少しだけ会う機会が多いからねと話したら お許しを貰えた。

それから、買ってもらった風船の玩具を、パパは9月のお誕生日の早めのプレゼントだと言ったそうで、そこに、カナダのタコちゃんから預かっていたぬいぐるみが加わった事で、本当の9月の誕生日のプレゼントが こんなに前倒しされてしまったら、肝心の9月にプレゼントをくれる人が激減する可能性を憂いている事も話していた。

大丈夫。オバアチャマは、そしてもしかしたら○○ちゃんも、9月の本当の誕生日を忘れはしないからと教えてやった。

すると、少し複雑な顔をしながら、それは直接では無く、例年のように送ってくるのだろうと言うのである。

そのつもりだと答えると、ホッとした顔をした。

プレゼントは沢山の方が良いけれど、もしも○○ちゃんが覚えてくれていた場合には、どうしても直接受け取るよりも送ってくれた方が都合が良いらしい。

子供と言う生き物は、どこまでも自己中心的で、我がことよりも人様の都合を考える子供が居たら薄気味が悪い。

ストレートな自己中心的な考え方が子供らしく、それが子供の可愛さの元なのである。







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早く着き過ぎた

銀座で休憩中。 早く着き過ぎた。 しかし、なんでイッセイミヤケのバッグ、行列出来ているんだろう。