COMME des GARÇONS(少年のように)
non・noだとかan・anのようなファッション雑誌をめくるのが楽しみになっていた10代後半。
アタシの目を釘付けにしたのが、黒、濃紺だけのダークな服が並んだページでした。
黒は喪服の色であり、紺は制服。
しかし、雑誌に掲載されている服達には、独特の世界観があって、また着ているモデルの無表情な顔にも強く惹かれましたね。
女の子はいつも愛想良くにこやかになーんて育てられたので、にこりともせずに黒や濃紺の服を纏った写真に衝撃を受けました。
今の時代は、年齢より若く見られたい、または、可愛く見られたいというのがあるようですが、当時のアタシ、そして若者は、早く大人になりたかったし、カッコヨクなりたかった。
だから、ギャルソン、ワイズなどの服たちは、ファッション業界人だけではなくて、一般にも支持されて行きました。親世代にしてみたら、全く理解出来なかった事でしょう。
白シャツで失敗したアタシは、いつかギャルソンの服を買うぞ‼と必死にアルバイトしました。当時の時給は500円程度だったかな。
ギャルソンの服は何万もしたのでオイソレとは買えなかったのです。
70年~から80年代にかけて、原宿や青山辺りでは、カラス族と呼ばれる黒い服を着た人が集まったのです。
雑誌に載せるストリートスナップを撮る為に、あちこちにカメラマンがいました。
呼び止めて撮るのではなく、載せたい人を撮っていました。
an・anのストリートスナップだったかな…結構辛口なコメント付きで一般人のファッションを載せていて、なんとアタシは掲載されました。
コメントは [黒のショールが魔女みたい。連れて歩きたい女の子じゃない] でした。
それから暫くして、アタシは初めてのDCブランド COMME des GARÇONS 青山本店で、濃紺のオールインワン(つなぎ)を買ったのです。高かった。でも何年も着ました。
ヨウジヤマモトのY'sを着こなすには、身長が足りませんでした。
この2つのDCブランドは、パリコレでも絶賛を浴びて世界に認められるようになりましたが、 ボディーコンシャスな服が流行り始めると、カラス族も激減したのです。
それでも根強いファンが居て、今でもたまに同世代の女性が黒づくめのファッションで歩いているのを見掛けます
。アタシは流行には興味が無く、その後は原宿の個人オーナーのセレクトショップをあちこち歩き廻るようになったのです。
実は最近になって、またギャルソンの服の面白さに少し気持ちが動くようになりました。ブランドとして生き残り、コンセプトを変えずに継続している事も素晴らしいと思っています。
ファッション迷い道、次は二十前後の頃を書きます。お楽しみに。
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