2017年5月10日水曜日

ファッション迷い道 原点は原宿


 若かった当時、ファッション雑誌も読みましたが、掲載されているお店とかおしゃれスナップは、やっぱり原宿から青山辺りに集中していました。
当時は、浦和市(今の浦和区)が実家でしたので、原宿へ行くには、国鉄(今のJR)の
京浜東北線、赤羽線を乗り継いで、山手線へ。
そして池袋を通り越して、新宿を過ぎる頃から、なんとなく外の風景も乗り降りする人々の雰囲気もおしゃれっぽく感じたことを思い出します。
親世代は、買い物と言えばもっぱら百貨店でした。
地元にも洋服を売っているお店はありましたが、アタシのお洒落の原点は、
やっぱり原宿だったのです。
今は若者で溢れかえっている原宿。
当時は大人の街でした。
駅に降り立つとワクワクしました。
同潤会アパート、セントラルアパート等、成熟したファッションの都という感じ。
今でも根強いファンがいる 夢のように可愛いマドモアゼルノンノン、MILK,
そういうレースや小花が散りばまった洋服が並ぶ小さなショップもあり、入るのにも勇気がいるくらいに敷居が高かった。
何かが買えるだけの所持金は無くて、バイトで貯めた数千円だけしか入っていないお財布を持って、アタシは度々この街に通いました。
竹下通りのビルの地下にあるお店も廻りましたが、表参道の反対側の裏通りに、
フランス人のマダムがオーナーの 16区 というお店がありました。
マダムは多分60をとうに超えていて、狭い店の奥で編針を持ち、いつも何かを編んでいました。
16区の店内には、手編みの帽子とかチョッキとか、マフラーやセーターが色とりどりに並んでいて、その配色も並べ方も実に独特でアタシを魅了しました。
買えたのは、手編みのブローチくらいだったと記憶しています。
こんな風に、自分で造ったものを並べてお店が出来るという事にも憧れました。
店主のマダムとは何度かお話しして、今思えば、よく17か18の化粧もしていないような子供のアタシと話してくれたなぁと思います。
ファッションの好みやセンスは人それぞれだけれど、憧れるような大人が沢山いたという意味で、アタシの世代はとても恵まれていたと思います。
今は若い方々がおしゃれ上手になって、年配の人がそれを真似て若作りするという反対の現象だものね。
磨かれてゆくためには、手が届かないくらいに憧れるような素敵な存在が必要不可欠なのだと思います。
だから、今の若い世代が様々なファッションを楽しんでいたとしても、
それは流行に流されたり、雑誌や広告の影響で確固たるスタイルに到達するのが難しい時代だと痛感するわけです。
次回は、そんなアタシがなんて素敵なんだろうと思った 一般の女性の事でも書いてみようかなと思います。

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