2015年2月19日木曜日

鈴木先生の思い出

小学校は2年毎にクラス替えと担任が替わり、1年2年ととても怖い女性の先生だったので、アタシは3年生で初老(多分50代半ば)の男の先生になった時にはとても嬉しかった。鈴木先生はごま塩頭で太っちょで、穏やかで優しい先生だったんだけど、糖尿病を患っていて、教壇には必ず角砂糖と蓋がコップになる水差しが置かれていました。当時は、この角砂糖と水が鈴木先生の病気とどんな関係があるのか解らなかったけれど、既にお節介な性格が際立っていたアタシは、毎日水を取り替えて、角砂糖の在庫確認を怠らなかったんです。 ある日の休み時間、鈴木先生はアタシを呼んで「肩を揉んでくれ〜」と言いました。 アタシはその頃、父の肩揉み30分と、白髪抜き1本1円っていう小遣い稼ぎをしていたので、肩揉みはオチャノコサイサイ。
鈴木先生も、気持ちが良かったらしく、アタシは徐々に生徒から鈴木先生の付き人みたいな存在になっていきました。
しまいには、授業中も、教壇に座っている鈴木先生の後ろに立ち、肩を揉み、角砂糖を口に放り込み、水を飲ませたりと立ち働くようになったんです。
鈴木先生が黒板に何か書くときは、他の生徒の邪魔にならない位置に行き、先生が椅子に戻ると、アタシもまたサーッと後ろに戻り肩揉み。
母に、そんな役割を担っている事を報告したら、母は「あら〜良かったじゃない」と言いました。
そういう積み重ねが効を奏したのか、アタシは5年生のクラス替えでも鈴木先生のクラスになりました。
現代だったら有り得ないかもしれないけどね。誰も異議申し立てをする人は居なかったんです。
こんな事を書くと、まるでアタシが全く勉強をしなかったようにおもわれちゃうよね。事実、成績はいつも真ん中辺りを上がり下がりしていました。しかしです。
鈴木先生は、必ず日記の宿題を出す先生で、日記とは言っても、何を書いても良いということになっていて、提出しない生徒が大半でも、怒られたりはしませんでした。
アタシは、何を書いても良いってところと、提出すると必ず赤ペンで何かが書き添えられて返されるのが気に入って、作文や詩や日記のような物を書いて提出していました。
5年生になったころ、鈴木先生はアタシに言いました。「このあいだのナメクジって詩が良いから5年生代表で市に出すぞ」って。
ナメクジという詩の内容は、アタシの母方の祖父が晩酌の際に、よくイカの塩辛を食べていて(祖父だけに出されていました)、あれはどんな味がする食べ物なんだろうと思い聞いてみたら、祖父は「これはなぁ、ナメクジの漬けもんだ。不味いぞ」と答えて、アタシはとても驚いて、大人になっても塩辛を食べない…というような内容の詩だったんです。 そして ナメクジ は入選しました。
その後、鈴木先生は教師であり俳人でもある事がわかり、先生が俳句の本を出したと聞いて、アタシは本屋さんに探しに行きました。アタシは、鈴木先生が書いた本の中に、毎日肩揉みをする生徒の事が書かれているかもしれないと思ったんです。 俳句の本は難しくて理解不能でしたが、 中に一句、記憶に残っているものがあります。
それは、校庭に立つウラジロの大木が風に吹かれると、まるで可愛い子供たちが白い歯を見せて笑っているようだ といった内容の俳句です。
可愛い子供たちの中の一人がアタシなんだと思いました。
アタシは6年生進級を期に引っ越しをして転校しましたが、鈴木先生は「たくさん読んで沢山書けよ」と言ってくれました。
こんなふうに毎日ブログを更新出来るくらい書くのが苦にならないのは、鈴木先生のお陰だと感謝しています。 先生はその後、何校かを転勤して退職された後、数年して他界されたそうです。
最期に角砂糖を食べたかなと懐かしく思い出します。

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早く着き過ぎた

銀座で休憩中。 早く着き過ぎた。 しかし、なんでイッセイミヤケのバッグ、行列出来ているんだろう。