2016年10月22日土曜日
連載小説 天井の青
すき焼きの 松木屋さんの入り口に 秋に咲く朝顔 天井の青(ヘブンリーブルー)が満開になっていました。
毎年、こちらの天井の青が咲くと、アタシは思い出すことがあります。
1986年頃かな。バブルのせいで都心のアパートの家賃が高騰し、やむなく埼玉県のはずれの団地に移転しました。
都心まで1時間半かかるうえに、駅まではバスを使わなくてはならない場所でしたので、公団でも無抽選だったからです。
4階の部屋は新築で広めの3LDKだったので、それまでの6畳と3畳しかなかった木造アパートから比べたら天と地の差がありました。
だけど、マッチ箱のような団地が並び、整備された芝生が続き、ほぼ同じような家族構成の人しか住んでいない環境に馴染めませんでした。味気なさすぎて。
ここで小さい姉さんが生れました。
東京に戻りたいと思いながら日々を暮らしていました。
バブルで大儲けした人々も居るだろうが、住み慣れた街を離れなければならない人も居るんですよ・・というような短文を新聞社に送ったら、掲載されて3000円の図書券が送られてきました。
今のようにパソコンなどは無く、携帯もなく、まだ新聞を取っていました。
1階のポストまで朝刊を取りに行くのは 当時3歳になったばかりの大きい姉さんの係でした。
3歳と生まれたばかりの小さい姉さんの育児に追われる中、アタシは新聞の連載小説を読むのを楽しみにしていました。
それが 1988年から翌年まで連載されていた 天井の青(曽野綾子著) 犯罪小説だったのです。
このころに、連続幼女誘拐殺人事件があり、この団地は、犯罪警戒区域に入っていました。
Tと大きい姉さんが砂場で遊んでいたら 見回りの警官に声をかけられたそう。
警官は大きい姉さんに「この人は誰?」とTを指さして聞いたようで、
大きい姉さんは「お父さん」 と答え、警官は去ってゆきました。
その後2年ほどで移転をし、引っ越しを繰り返しながら東京に戻りました。
アタシは今の大きい姉さんの年齢でした。
そんなことをあれこれと思い出すわけです。
この団地のお隣に住んでいらした同年代のYさんは、命の恩人。
いずれ思い出に書きます。
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