2015年12月29日火曜日

カッチャンの思い出

生まれ育った五月荘アパートは、1階と2階を合わせて8世帯。一時は、そのうちの半数が子供のいる世帯でした。2階の階段から三つ目の部屋にカッチャンは住んでいました。幼馴染みのJちゃんちには弟がいて、うちは3人、カッチャンは一人っ子でした。総勢6人でよく遊んだもので、ガキ大将は兄でした。兄がコブラ1号と名付けた自転車で行動範囲を拡げるようになってから、アタシとJちゃんとカッチャンの3人で遊ぶ事が増えました。カッチャンはアタシ達より1つだけ年下で、髪が柔らかい茶色だったうえに天然パーマで色白だったので、キューピーにそっくり瓜二つでした。髪はカッチャンのお母さんも同じで、お父さんはどうなんだろうといつも知りたかったけれど、何故かカッチャンのお父さんには会った事がありませんでした。 カッチャンは男の子だったけれど、とてもおとなしくて何でも言うことをききました。 その頃、アタシは玩具のお医者さんセットを持っていました。プラスチックのトランク型ケースの中には、聴診器、注射器、絆創膏にガーゼな
ど一通りの物が入っていました。 アタシとJちゃんがお医者さんごっこをする時の患者さんは、必ずカッチャンでした。アタシがお医者さんでJちゃんは看護婦さんです。 診察室は、2階に昇る階段の真下になった空間で、そこは貯水タンクが設置されていましたが、金網で出来たドアはいつも開けっぱなしだったから出入り自由だったのです。 おままごとに使うゴザやタオルを敷き詰めると、そこは診察室に早変わりしました。 Jちゃんが「次の方お入りくださーい」と言うと、カッチャンは教えた通りにドアを開けて中に入って来ました。「どうしましたか?」とお医者さんになりきったアタシが聞くと、カッチャンは「」風邪をひいてお腹も痛いです」と言うような台詞を言いました。
そんなふうに、時折お医者さんごっこを楽しんでいたのに、暮れも押し迫った寒い冬に、カッチャンは小さなトラックに乗って引っ越して行きました。
手を振ったけれど、車の中のカッチャンは、チラリとアタシを見ただけでした。
カッチャンはお母さんと二人暮らしで、お父さんはいないと知りました。カッチャンのお母さんは、たまに立ち寄る食品街の中の佃煮屋さんで、白いエプロンを着て働いていました。引っ越してからも時々見掛けたけれど、母が「話しかけちゃダメだよ。カッチャンのお母さんは大変なんだから。」と言っていました。
アタシが、カッチャンもカッチャンのお母さんも、どんなに大変だったかを想像出来るようになったのは、大人になってからの事です。 キューピーさんは男の子だと思っているのは、カッチャンの思い出があるからです。

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