2015年8月1日土曜日

ヤマザキのおばさんの思い出

アタシが一人で出歩くようになったのは、幼稚園に通い出す頃からだったと思います。3月の早生まれですので、3才のおしまい頃には、徒歩数分の圏内を遊び回っていた事になります。
当時は、近所の商店街に乾物屋さんだとかお肉屋さん、八百屋さんなどが並んでいて、周辺の主婦は、買い物篭を持ってお使いをしていました。 食卓に並ぶ物は、切り干し大根やヒジキの煮物など、本当に質素でした。 冬は蒸かしたお芋とミカンが定番のおやつでした。夏場は、甘い麦茶か頂き物のカルピスが冷蔵庫に入っていました。薄い緑色の大きな缶があって、そこにはお煎餅かかりん糖等が入っていました。 冷蔵庫はワンドアの小振りな物で、ドアを開けると、一番上に製氷室がありました。冷凍庫付きの冷蔵庫に買い替えたのは、引っ越しをした11歳の時です。
駅とは反対方向の狭い道を数分歩いた所にお菓子屋さんがありました。 袋に入ったジャムパンやクリームパン、お煎餅などの他にも、ビスケットや麩菓子などが並んでいました。ヤマザキさんというお店です。 ヤマザキさんのお店の隣は駐車場になっていて、その奥に戸建てのお家がありました。ヤマザキさんのお家には、アタシと同じ歳の女の子が居ましたが、違う幼稚園に通っていたので、一緒に遊ぶことはありませんでした。 あの子はきっと毎日、お店にあるお菓子を食べさせてもらえるんだろうなぁと、アタシはとても羨ましく思っていました。ヤマザキさんのお店の入り口左側に、アイスクリームが入った冷凍ボックスが置いてありました。現在使われている冷凍ボックスと同じように、上にあるガラスを引いて、中から好きなアイスクリームを取るようになっていました。通園の行き帰りに、冷凍ボックスからアイスクリームを取り出している人を見かけると、アタシはたまに貰える棒付きアイス ホームランバーが食べたくなりました。 ホームラ
ンバーは、アイスを食べ終わると、棒にアタリかハズレの文字が書いてあって、アタリだったらもう1本の新しいホームランバーが貰えるのです。いつもハズレでしたが、美味しさとワクワクした気持ちを同時に味わえるから大好きでした。でも、体が小さかったアタシには、アイスクリームボックスの中を覗く事は出来ませんでした。自分であれこれと選びたかったし、他にどんなアイスクリームが入っているのかも自分の目で見てみたかったのに。
幼稚園の年長組に進級した頃、アタシは少し身長が伸びていました。そして、背伸びをすれば、アイスクリームボックスの中を覗く事が出来るようになっていました。園から帰っても、小学生になった兄はまだ帰宅していなくて、幼馴染みのJちゃんとも遊べない日には、アタシは一人でドングリがいっぱい拾えるドングリ道の方へ探険に出掛けて、藪の中をくぐり抜けたりして、それからヤマザキさんのお店に行くようになりました。背伸びをしてアイスクリームボックスの蓋を開けて、ホームランバーを1本取り出して、必ずキチンとガラスを閉めてから、もと来たドングリ道を歩きながら、ホームランバーを食べました。ハズレと書かれた棒は、竹藪の根元に埋めました。 そんなある日、いつものようにホームランバーを取り出して帰ろうとした時に、お店の中からヤマザキさんのおばさんが出て来ました。ヤマザキさんのおばさんは、白いエプロンを掛けていて、頭にはやはり白い三角巾を結んでいました。おばさんはアタシの前に屈んで、とても柔らかい声で言いました。「今日も
暑いね。アイスクリームが食べたくなるね。」 アタシはコクンと頷きました。「あのね、このアイスクリームはね、お店にある他のお菓子とおんなじでね、食べたい時には30円で買わなくちゃだめなの。わかる?」 アタシは頭の中が真っ白になりました。ヤマザキさんのおばさんは、ずっと柔らかい声でしたが、アタシは何を言われても頷くか首を横に振るばかりでした。 玩具のお札や小銭を使ってお店屋さんごっこをして遊んだりはしていましたが、その頃のアタシには、全ての物は買うときにお金と引き替えだというような認識が無かったのです。買う物もあれば、貰える物もあり、ヤマザキさんの店先のアイスクリームのように、自分で選んで持って行っても良い物もあると思っていました。 ヤマザキさんのおばさんは、「そのアイスクリームは、おばちゃんちに遊びに来てくれたから、おやつにあげるね。少しお家の中で遊んで行きなね」 アタシは、手を引かれて、初めてヤマザキさんのお家に入りました。靴を脱いで廊下を歩いた右側のお部屋に
、ピアノが置いてありました。そして、オカッパ頭の女の子が座っていました。アタシはその子とホームランバーを食べて、多分、何かの話をして、奥のお部屋も見せてもらったと記憶していますが、よく覚えていません。 その日から何度かお家に上げてもらいましたが、女の子の名前も覚えていないのです。 夏休みが終わりに近づいた頃の事です。 母がアタシに言いました。「お菓子屋さんのおばさん死んじゃったんだって。遊びに行った時どうだった?変じゃなかった?」
急死してしまったヤマザキさんのおばさんの事は、近所でも皆が驚き、顔色が悪かったとか、影が薄かった等の噂が流れたようでした。母はアタシに、何度も、おばさんの影があったかどうかを聞きましたので、アタシは影が無かったと答えました。 本当はそんな事は判りませんでしたけれど。
ホームランバーを、30円払わずに取り出して食べていた事について、アタシは母からも誰からも叱られる事はありませんでした。今にして思いますと、おばちゃんは、アタシが数度にわたってホームランバーを持って行った事を知っていたはずですが、その事を誰にも言わずにいてくれたのだと思います。おこづかいを貰える年齢になっても、アタシは、ヤマザキさんのお店に行くことはありませんでした。もうおばさんは居なかったから。おばさんが元気でお店で働いていたとしたら、おこづかいの中から30円を握りしめて、ちゃんとホームランバーを買いたかったと思います。影が無かったと答えた事に、小さな後悔が残っています。
お菓子屋さんの看板に、大きな字でヤマザキパンと書かれていましたので、アタシはヤマザキさんのおばちゃんと思っていましたが、おばちゃんの本名は判らないまんまです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

早く着き過ぎた

銀座で休憩中。 早く着き過ぎた。 しかし、なんでイッセイミヤケのバッグ、行列出来ているんだろう。