バレンタイン翌日、今日は父の命日です。
1999年から22年経ちました。
折に触れて思い出せば良いと、生前に言っていた通り、すっかりお墓参りをサボって、時折思い出すだけになっています。
多摩霊園って広すぎるし遠いし。
晩年の6年間は、大小姉さんも一緒に暮らしていました。
大小姉さん達がお風呂を済ませると、どちらかが一階の父の部屋のドアの外で
「お風呂どうぞ〜」と声を掛けるのが習慣になっていました。
そうして、父がお風呂から上がると、今度は階段の下から2階に居るアタシに
「お風呂空いたよ〜」と呼びかけてくれていました。
非常に細かい人でしたし、廃業して気ままになって家に居たので、緊張を強いられる6年間ではありましたけれど、20数年経った今思い出すのは、そんな何気ない日常の事です。
描く絵、身に付ける服、その大半が渋い色で、特に緑を好んでいました。
自然の中にある色が一番周囲に優しいという理由だったと思います。
まだアタシが若かった頃、ブルーやピンク等、カラフルなアイシャドウが流行って使っていたら、
お化粧ってのは、顔の凹凸、つまり光と影を意識することで、色を塗りたくる事じゃないと言われた事がありました。
また始まったか、とその時は思いましたけれど、今は確かにその通りだと思えるようになりました。
服装は真逆だけどね。
余談ですが、父の世代は定年が55歳でした。
定年が60歳になったのって1998年、アタシが36の頃です。
つい最近って気がするのですけれど、今はもう70とか言ってますね。
長く働けるのは良い事なのかもしれないけれど、結局は年金支給年齢もどんどん先延ばしになって、暮らせないから働くって構図。
父も母も、きちんと年金を納めたけれど、殆ど受給出来なかった事もあり、アタシは早くに貰っちゃうぞ!と思っています。
父の年齢に追いつくまであと7年です。
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