アタシガ初めて、母ではなくて、美容師さんに髪を切ってもらったのがいつかは記憶に無いのですが、まだ小学校の低学年だった当時、母は、美容院とは言わずに、かみーさん(髪結いさん)に行って来るわと言っていたような気がします。
そのかみーさんは、駅から続く商店街のおしまいの辺りにあって、入り口を入ったら、スリッパに履き替える事になっていました。自宅を兼ねている様子で、何席か並んだ椅子の後ろが引き戸になっていて、その奥に畳の部屋が見えました。
かみーさんは女性でした。 父兄会のような学校行事がある前日ですとか、何かある時に行くのがかみーさんでしたので、アタシは特別な場所だと認識していました。 母についていくと、頭にえんじ色の筒型の物をいっぱい巻き付けて、それから暫くの間は頭がスッポリと隠れてしまうほどの大きさの機械を被って上から温めて、それから筒型の物を外すと、母の髪はくるくるになっていました。サザエさんみたいに。
それは確か土曜日の事です。母は「いつも行くかみーさんまで一人で行けるでしょう?明日の朝8時に行きなさい。ちゃんと伝えてあるから。」と言いました。 アタシは翌日の朝、ブラウスやらカーディガンを重ね着させられて、一人でかみーさんに向かいました。 おそるおそるドアを開けると、いつものおばさんがニコニコと迎えてくれて、「今日はね、特別な日だから、おばちゃんがきれいに髪を結ってあげるからね。」と言って、いつも母が座る椅子に四角い台を乗せて、そこにアタシを座らせてくれました。
アタシは、あのえんじ色のを頭にいっぱい巻かれるのだと思っていましたが、そうではなくて、かみーさんのおばさんは、ストーブに乗せた棒のような物で、アタシの髪を何回にも分けて巻いていきました。(コテですね)少し焦げたような臭いがして、アタシは怖くなりましたが、髪はくるくるになりました。それから、かみーさんのおばさんは、先が尖った櫛を使って、更には、髪の毛の塊みたいなもの(かもじ)を丸めたりして、アタシの頭を、時代劇に出て来る昔の子供のように膨らませて行きました。その作業をやりながら、かみーさんは、「おばちゃんね、若い頃に住み込みでこの仕事を覚えたの。住み込みって解る?先生のお家に住んで、家事もお手伝いするの。皆をきれいにしてあげる仕事だから大好きなんだけどね、おばちゃんが一人前になって、このお店を出したらね、結婚したおじさんは働かない人になっちゃって、いつも2階で寝てるんだよ。」 というような内容の話をしてくれました。 その話は子供心にも結構面白かったと記憶して
います。
髪が時代劇になった頃に、母がやって来ました。 アタシは奥の部屋に連れて行かれました。かみーさんのおばさんは、畳に正座して、「これからおばちゃん、お着物をお着せするね。宜しくお願いします。」と言って、おでこが畳につくくらいに深くお辞儀をしたのです。アタシはとても驚きました。 母に、「宜しくお願いしますでしょ!!」と言われ、アタシも慌ててお辞儀をしました。
それからアタシは、何本もの紐や小道具を使って、着物を着せていただきました。水色の地に、小さな蝶々が舞っている着物に、主赤の帯でした。それがアタシの七五三、七歳のお祝いの日の出来事でした。
恥ずかしいような誇らしいような、不思議な気持ちでした。 慣れない草履を履いてアパートに戻りましたら、父がアタシを見て言いました。「馬子にも衣装だな。カラスがアホーアホーって笑ってら。」と。空のカラスを見上げながら、アタシはちょっと傷つきましたが、今思い返しますと、父らしい発言だったと感じます。 子供のアタシに、丁寧な挨拶をしてくださったかみーさんの事は一生忘れません。 今は、アタシがお着物をお着せする仕事もするようになったわけですが、 きちんと丁寧にお着付けして差し上げなければと毎回思います。それは、大人だけではなくて、小さなお子さんでも、晴れの日は大切にしてあげたいという気持ちからです。かみーさんのおばさんは、着物や帯だけではなくて、小物や髪飾り等も、とても丁寧に扱っていました。
アタシは、トイレに行きたいと言えなかった為に、水色の晴れ着は悲惨な結果となりましたが、大人になってから洗い張りをして、暫くは長襦袢として愛用していました。
大小姉さん達の晴れ着も、大切に保管しています。
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