道玄坂上のモスバーガーの並びに、解りやすいオブジェが飾られました。
調理師専門学校が出来たの。
細長くて小さなビルだけど、1階にこれがあると目印になるね。
白い鍋やスプーンが飾ってあるビルですって説明すれば、大抵は通り過ぎる事は無さそう。
2015年2月21日土曜日
2015年2月20日金曜日
春夏生地 セレクト
そろそろ春夏生地が出そろってきたので、コットン素材を中心にセレクト中。
やっぱりアレだね、秋冬に比べると断然色柄豊富。
今年はふんわりとした質感の綿ローンとか、ダブルガーゼ素材にも注目してるところなんです。
スカート、ワンピース、ブラウス、カットソー・・・・作りたい物いっぱい!
よう子ちゃんの思い出
よう子ちゃんは、アタシが10歳まで暮らしていた五月荘というアパートの左隣に住んでいました。同じ歳なのに、目がクリンとおっきくて背も高くて、少しお姉さんみたいな感じで、お父さんはキッチリ七三に分けた髪型に眼鏡の真面目そうな人で、お母さんは小柄だけど、いつも綺麗にお化粧をしていました。
母と名店センター(東横のれん街みたいな)へ佃煮を買いに行った時に、「ほら、ここがよう子ちゃんのママのスナックよ」と教えてもらって、アタシはスナックってのが何屋かは分からなかったけれど、中が見えそうで見えない紫色の硝子のドアと、そこに白い文字で書かれた エンジェル というお店の名前をよく記憶しています。
よう子ちゃんの部屋からは、度々お父さんとお母さんが喧嘩をする怒鳴り声が聞こえてきて、大抵はガラスが割れる音や何かが倒れるような音も聞こえたので、そんな日の翌日は、よう子ちゃんが無事かどうかが気になって仕方ありませんでした。(いつもニコニコ何事も無かった様子だったけどね)
よう子ちゃんとは外で遊ぶ事が多かったんだけれど、1度だけ部屋に入れてもらった事がありました。それは寒い年末で、うちと同じ二間の間取りの中は雑然としていて、見上げるほど立派な段飾りのお雛様があって驚きましたが、お人形はひっくり返ったり畳に落ちたりしていました。
そして、よう子ちゃんは秘密の鍵を持っていて、ごくたまに、アパートから5分くらいの所にある別のアパートへ連れて行ってくれたのです。そこは狭いお部屋が1つあって、その部屋の殆どが大きなベッドで占められていたので、アタシとよう子ちゃんは、そのベッドでトランポリンみたいに飛び跳ねる遊びをしてから、またそっとドアに鍵をかけて家に帰りました。
母にその部屋の事を話したら「ふ〜ん。あんたその部屋の事をよう子ちゃんのお父さんに言っちゃだめよ。」と言われました。(母は遊びに行く事はダメとは言わなくて、むしろ楽しそうでした。(つまり好奇心旺盛だったんだよね、今思えばさ)
ある日、小さなトラックがやって来て、よう子ちゃんの部屋から荷物を運び出し始めました。その翌日から、よう子ちゃんは居なくなってしまったのです。居なくなったのはよう子ちゃんとお母さんで、お父さんはそのまんま住んでいました。
よう子ちゃんは何処へ行っちゃったのか、母は知っていたようなんですが、詳しくは教えてもらえませんでした。 一人暮らしになったよう子ちゃんのお父さんは、たまたま顔を合わせるとアタシに三角のチーズをくれました。そして、「夜ご飯のおかずにタクアンを炒めるんだよ」とか、「「おじさんね、セーターを洗ったらこんなにちっちゃくなっちゃったんだよ」と言いながら、ホンマかいな!?ってなくらいに縮んだセーターを見せてくれました。 アタシは生まれて初めて、切ないって気持ちを味わったんです。
それから1年くらいしたら、七三分けのよう子ちゃんのお父さんには、新しい奥さんが来ました。子供心に、きっと喧嘩の声が聞こえなくなるなぁって思うくらいお似合いの奥さんでした。
よう子ちゃんは成績が良かったんです。後で、私立の有名な女子校に行ったと聞きました。
何となく、アタシはよう子ちゃんはお医者さんになったんじゃないかなと思っています。 そう思う理由は、よう子ちゃんの家庭教師交通事故事件というのがあったからなんです。
よう子ちゃんの家庭教師は若い女性でした。 週に何日か通ってきていました。その家庭教師の女性は、勉強が終わると、よう子ちゃんのお母さんの知り合いである男性が車で家まで送りとどけていたそうです。多分、スナックエンジェルの従業員。その時に交通事故にあい、フロントガラスの破片が顔や身体に刺さって重傷を負いました。その事をよう子ちゃんはとても悲しそうに話してくれました。退院後は家庭教師をやめて、イトーヨーカドーの屋上でソフトクリームを売る仕事をしていると聞きました。アタシはある日、イトーヨーカドーの屋上に行ってみたのです。パラソルが広がった一角にソフトクリーム屋さんがあって、アタシはバニラチョコを注文しました。 手渡してくれたのは確かによう子ちゃんの家庭教師をしていた女性で、顔に無数の傷が残っていました。だからアタシはそのソフトクリームの味も覚えていないどころか、帰りに大切にしていたピンクのがま口まで無くすほどショックを受けました。 よう子ちゃんは、やっぱりお医者さんになったんじゃ
ないかって思っているわけなんです。
母と名店センター(東横のれん街みたいな)へ佃煮を買いに行った時に、「ほら、ここがよう子ちゃんのママのスナックよ」と教えてもらって、アタシはスナックってのが何屋かは分からなかったけれど、中が見えそうで見えない紫色の硝子のドアと、そこに白い文字で書かれた エンジェル というお店の名前をよく記憶しています。
よう子ちゃんの部屋からは、度々お父さんとお母さんが喧嘩をする怒鳴り声が聞こえてきて、大抵はガラスが割れる音や何かが倒れるような音も聞こえたので、そんな日の翌日は、よう子ちゃんが無事かどうかが気になって仕方ありませんでした。(いつもニコニコ何事も無かった様子だったけどね)
よう子ちゃんとは外で遊ぶ事が多かったんだけれど、1度だけ部屋に入れてもらった事がありました。それは寒い年末で、うちと同じ二間の間取りの中は雑然としていて、見上げるほど立派な段飾りのお雛様があって驚きましたが、お人形はひっくり返ったり畳に落ちたりしていました。
そして、よう子ちゃんは秘密の鍵を持っていて、ごくたまに、アパートから5分くらいの所にある別のアパートへ連れて行ってくれたのです。そこは狭いお部屋が1つあって、その部屋の殆どが大きなベッドで占められていたので、アタシとよう子ちゃんは、そのベッドでトランポリンみたいに飛び跳ねる遊びをしてから、またそっとドアに鍵をかけて家に帰りました。
母にその部屋の事を話したら「ふ〜ん。あんたその部屋の事をよう子ちゃんのお父さんに言っちゃだめよ。」と言われました。(母は遊びに行く事はダメとは言わなくて、むしろ楽しそうでした。(つまり好奇心旺盛だったんだよね、今思えばさ)
ある日、小さなトラックがやって来て、よう子ちゃんの部屋から荷物を運び出し始めました。その翌日から、よう子ちゃんは居なくなってしまったのです。居なくなったのはよう子ちゃんとお母さんで、お父さんはそのまんま住んでいました。
よう子ちゃんは何処へ行っちゃったのか、母は知っていたようなんですが、詳しくは教えてもらえませんでした。 一人暮らしになったよう子ちゃんのお父さんは、たまたま顔を合わせるとアタシに三角のチーズをくれました。そして、「夜ご飯のおかずにタクアンを炒めるんだよ」とか、「「おじさんね、セーターを洗ったらこんなにちっちゃくなっちゃったんだよ」と言いながら、ホンマかいな!?ってなくらいに縮んだセーターを見せてくれました。 アタシは生まれて初めて、切ないって気持ちを味わったんです。
それから1年くらいしたら、七三分けのよう子ちゃんのお父さんには、新しい奥さんが来ました。子供心に、きっと喧嘩の声が聞こえなくなるなぁって思うくらいお似合いの奥さんでした。
よう子ちゃんは成績が良かったんです。後で、私立の有名な女子校に行ったと聞きました。
何となく、アタシはよう子ちゃんはお医者さんになったんじゃないかなと思っています。 そう思う理由は、よう子ちゃんの家庭教師交通事故事件というのがあったからなんです。
よう子ちゃんの家庭教師は若い女性でした。 週に何日か通ってきていました。その家庭教師の女性は、勉強が終わると、よう子ちゃんのお母さんの知り合いである男性が車で家まで送りとどけていたそうです。多分、スナックエンジェルの従業員。その時に交通事故にあい、フロントガラスの破片が顔や身体に刺さって重傷を負いました。その事をよう子ちゃんはとても悲しそうに話してくれました。退院後は家庭教師をやめて、イトーヨーカドーの屋上でソフトクリームを売る仕事をしていると聞きました。アタシはある日、イトーヨーカドーの屋上に行ってみたのです。パラソルが広がった一角にソフトクリーム屋さんがあって、アタシはバニラチョコを注文しました。 手渡してくれたのは確かによう子ちゃんの家庭教師をしていた女性で、顔に無数の傷が残っていました。だからアタシはそのソフトクリームの味も覚えていないどころか、帰りに大切にしていたピンクのがま口まで無くすほどショックを受けました。 よう子ちゃんは、やっぱりお医者さんになったんじゃ
ないかって思っているわけなんです。
2015年2月19日木曜日
むーめーじん7
朝散歩でまるい公園に着いたら先客が。
ヨチヨチ歩いていたので、まだパピーかなと眺めていたら
「何歳ですか?」と声をかけられました。
以前のアタシだったら、自分の年齢を答えていたところだけれど、最近はキッパリとパズーの年齢を言います。
「まだ若いんだ。うちはもう18歳のお爺さんなんですよ。トイプードルかな…と思って飼いはじめたんですが、耳が立ってるからね。多分他の犬種が混じってると思うんですよね。2年くらい前から甲状腺機能低下症とか心臓とかガタが来てるんですけど、案外と元気です。ホルモン剤高いですよね〜。 名前はタウルです。写真、タウルだけで良いですか?」
と言うわけで、飼い主さんも撮らせていただきました。18歳かぁ。長生きだよね。
飼い主さん、生活豊かそう。
ヨチヨチ歩いていたので、まだパピーかなと眺めていたら
「何歳ですか?」と声をかけられました。
以前のアタシだったら、自分の年齢を答えていたところだけれど、最近はキッパリとパズーの年齢を言います。
「まだ若いんだ。うちはもう18歳のお爺さんなんですよ。トイプードルかな…と思って飼いはじめたんですが、耳が立ってるからね。多分他の犬種が混じってると思うんですよね。2年くらい前から甲状腺機能低下症とか心臓とかガタが来てるんですけど、案外と元気です。ホルモン剤高いですよね〜。 名前はタウルです。写真、タウルだけで良いですか?」
と言うわけで、飼い主さんも撮らせていただきました。18歳かぁ。長生きだよね。
飼い主さん、生活豊かそう。
鈴木先生の思い出
小学校は2年毎にクラス替えと担任が替わり、1年2年ととても怖い女性の先生だったので、アタシは3年生で初老(多分50代半ば)の男の先生になった時にはとても嬉しかった。鈴木先生はごま塩頭で太っちょで、穏やかで優しい先生だったんだけど、糖尿病を患っていて、教壇には必ず角砂糖と蓋がコップになる水差しが置かれていました。当時は、この角砂糖と水が鈴木先生の病気とどんな関係があるのか解らなかったけれど、既にお節介な性格が際立っていたアタシは、毎日水を取り替えて、角砂糖の在庫確認を怠らなかったんです。 ある日の休み時間、鈴木先生はアタシを呼んで「肩を揉んでくれ〜」と言いました。 アタシはその頃、父の肩揉み30分と、白髪抜き1本1円っていう小遣い稼ぎをしていたので、肩揉みはオチャノコサイサイ。
鈴木先生も、気持ちが良かったらしく、アタシは徐々に生徒から鈴木先生の付き人みたいな存在になっていきました。
しまいには、授業中も、教壇に座っている鈴木先生の後ろに立ち、肩を揉み、角砂糖を口に放り込み、水を飲ませたりと立ち働くようになったんです。
鈴木先生が黒板に何か書くときは、他の生徒の邪魔にならない位置に行き、先生が椅子に戻ると、アタシもまたサーッと後ろに戻り肩揉み。
母に、そんな役割を担っている事を報告したら、母は「あら〜良かったじゃない」と言いました。
そういう積み重ねが効を奏したのか、アタシは5年生のクラス替えでも鈴木先生のクラスになりました。
現代だったら有り得ないかもしれないけどね。誰も異議申し立てをする人は居なかったんです。
こんな事を書くと、まるでアタシが全く勉強をしなかったようにおもわれちゃうよね。事実、成績はいつも真ん中辺りを上がり下がりしていました。しかしです。
鈴木先生は、必ず日記の宿題を出す先生で、日記とは言っても、何を書いても良いということになっていて、提出しない生徒が大半でも、怒られたりはしませんでした。
アタシは、何を書いても良いってところと、提出すると必ず赤ペンで何かが書き添えられて返されるのが気に入って、作文や詩や日記のような物を書いて提出していました。
5年生になったころ、鈴木先生はアタシに言いました。「このあいだのナメクジって詩が良いから5年生代表で市に出すぞ」って。
ナメクジという詩の内容は、アタシの母方の祖父が晩酌の際に、よくイカの塩辛を食べていて(祖父だけに出されていました)、あれはどんな味がする食べ物なんだろうと思い聞いてみたら、祖父は「これはなぁ、ナメクジの漬けもんだ。不味いぞ」と答えて、アタシはとても驚いて、大人になっても塩辛を食べない…というような内容の詩だったんです。 そして ナメクジ は入選しました。
その後、鈴木先生は教師であり俳人でもある事がわかり、先生が俳句の本を出したと聞いて、アタシは本屋さんに探しに行きました。アタシは、鈴木先生が書いた本の中に、毎日肩揉みをする生徒の事が書かれているかもしれないと思ったんです。 俳句の本は難しくて理解不能でしたが、 中に一句、記憶に残っているものがあります。
それは、校庭に立つウラジロの大木が風に吹かれると、まるで可愛い子供たちが白い歯を見せて笑っているようだ といった内容の俳句です。
可愛い子供たちの中の一人がアタシなんだと思いました。
アタシは6年生進級を期に引っ越しをして転校しましたが、鈴木先生は「たくさん読んで沢山書けよ」と言ってくれました。
こんなふうに毎日ブログを更新出来るくらい書くのが苦にならないのは、鈴木先生のお陰だと感謝しています。 先生はその後、何校かを転勤して退職された後、数年して他界されたそうです。
最期に角砂糖を食べたかなと懐かしく思い出します。
鈴木先生も、気持ちが良かったらしく、アタシは徐々に生徒から鈴木先生の付き人みたいな存在になっていきました。
しまいには、授業中も、教壇に座っている鈴木先生の後ろに立ち、肩を揉み、角砂糖を口に放り込み、水を飲ませたりと立ち働くようになったんです。
鈴木先生が黒板に何か書くときは、他の生徒の邪魔にならない位置に行き、先生が椅子に戻ると、アタシもまたサーッと後ろに戻り肩揉み。
母に、そんな役割を担っている事を報告したら、母は「あら〜良かったじゃない」と言いました。
そういう積み重ねが効を奏したのか、アタシは5年生のクラス替えでも鈴木先生のクラスになりました。
現代だったら有り得ないかもしれないけどね。誰も異議申し立てをする人は居なかったんです。
こんな事を書くと、まるでアタシが全く勉強をしなかったようにおもわれちゃうよね。事実、成績はいつも真ん中辺りを上がり下がりしていました。しかしです。
鈴木先生は、必ず日記の宿題を出す先生で、日記とは言っても、何を書いても良いということになっていて、提出しない生徒が大半でも、怒られたりはしませんでした。
アタシは、何を書いても良いってところと、提出すると必ず赤ペンで何かが書き添えられて返されるのが気に入って、作文や詩や日記のような物を書いて提出していました。
5年生になったころ、鈴木先生はアタシに言いました。「このあいだのナメクジって詩が良いから5年生代表で市に出すぞ」って。
ナメクジという詩の内容は、アタシの母方の祖父が晩酌の際に、よくイカの塩辛を食べていて(祖父だけに出されていました)、あれはどんな味がする食べ物なんだろうと思い聞いてみたら、祖父は「これはなぁ、ナメクジの漬けもんだ。不味いぞ」と答えて、アタシはとても驚いて、大人になっても塩辛を食べない…というような内容の詩だったんです。 そして ナメクジ は入選しました。
その後、鈴木先生は教師であり俳人でもある事がわかり、先生が俳句の本を出したと聞いて、アタシは本屋さんに探しに行きました。アタシは、鈴木先生が書いた本の中に、毎日肩揉みをする生徒の事が書かれているかもしれないと思ったんです。 俳句の本は難しくて理解不能でしたが、 中に一句、記憶に残っているものがあります。
それは、校庭に立つウラジロの大木が風に吹かれると、まるで可愛い子供たちが白い歯を見せて笑っているようだ といった内容の俳句です。
可愛い子供たちの中の一人がアタシなんだと思いました。
アタシは6年生進級を期に引っ越しをして転校しましたが、鈴木先生は「たくさん読んで沢山書けよ」と言ってくれました。
こんなふうに毎日ブログを更新出来るくらい書くのが苦にならないのは、鈴木先生のお陰だと感謝しています。 先生はその後、何校かを転勤して退職された後、数年して他界されたそうです。
最期に角砂糖を食べたかなと懐かしく思い出します。
2015年2月18日水曜日
ドレス製作とブライダルについて
問合せをいただいたので載せておきます。
ブライダルに限らず、あらゆる用途のフォーマルドレス製作は承っています。
一人で作っている事と、いわゆる 「お客様でしたらどんなドレスもお似合いになりますわ〜」 みたいな接客は出来ないので、今は顧客と、顧客のご紹介がある身近な方のみとさせていただいています。 ドレス製作では、今回アップしたドレスでもそうなのですが、ケミカルレースのモチーフをカットして手縫いで装飾していくというようなハンドメイド作業を得意としています。製作中に様々なアイデアが浮かんだり、デザイン変更もしますので、かなりアバウトです。 金額は、ご予算(予算さえ判らない方も多いです)の範囲で、追加料金が発生しないように心掛けています。 フルオーダーの他、リメイクも出来ます。付随するアクセサリー、ブーケ等も作ります。
要望がありましたら、挙式披露宴の相談からプロデュース、当日の介添人を承ります。これは会場の許可が下りた場合です。
まぁこんな感じですので、ざっくりカジュアルな対応に拒絶反応が無い方に向いているかと思います。
ブーケだけ、ドレスだけ、引き出物だけってのもオーケーですので、勇気のある方はお問い合わせ下さいませ。sobraniepinksアットマークホットメールドットコムまでね。
※画像は、小さい姉さんがお色直しで着る予定でしたが、マタニティー対応のドレスを着る事となり、幻となったドレスです。
ブライダルに限らず、あらゆる用途のフォーマルドレス製作は承っています。
一人で作っている事と、いわゆる 「お客様でしたらどんなドレスもお似合いになりますわ〜」 みたいな接客は出来ないので、今は顧客と、顧客のご紹介がある身近な方のみとさせていただいています。 ドレス製作では、今回アップしたドレスでもそうなのですが、ケミカルレースのモチーフをカットして手縫いで装飾していくというようなハンドメイド作業を得意としています。製作中に様々なアイデアが浮かんだり、デザイン変更もしますので、かなりアバウトです。 金額は、ご予算(予算さえ判らない方も多いです)の範囲で、追加料金が発生しないように心掛けています。 フルオーダーの他、リメイクも出来ます。付随するアクセサリー、ブーケ等も作ります。
要望がありましたら、挙式披露宴の相談からプロデュース、当日の介添人を承ります。これは会場の許可が下りた場合です。
まぁこんな感じですので、ざっくりカジュアルな対応に拒絶反応が無い方に向いているかと思います。
ブーケだけ、ドレスだけ、引き出物だけってのもオーケーですので、勇気のある方はお問い合わせ下さいませ。sobraniepinksアットマークホットメールドットコムまでね。
※画像は、小さい姉さんがお色直しで着る予定でしたが、マタニティー対応のドレスを着る事となり、幻となったドレスです。
細切り豚肉と白菜の塩炒め
今日は半月ぶりに仕事を休みました。
ブログをパソコンからメンテナンス出来るように修行していたのです。
早朝にドレス画像をアップしたせいか、アクセス数がうなぎ登りだったね。
かつてプロデュースしたブライダルの、新郎様がわご列席者だった方から、ドレス製作などについての問合せメールをいただいたりもしたので、その事は夜にでも解りやすく書きます。
今夜は細切り豚肉と白菜の塩炒めとさつま芋と油揚げのお味噌汁。 お腹空いたよ。
ブログをパソコンからメンテナンス出来るように修行していたのです。
早朝にドレス画像をアップしたせいか、アクセス数がうなぎ登りだったね。
かつてプロデュースしたブライダルの、新郎様がわご列席者だった方から、ドレス製作などについての問合せメールをいただいたりもしたので、その事は夜にでも解りやすく書きます。
今夜は細切り豚肉と白菜の塩炒めとさつま芋と油揚げのお味噌汁。 お腹空いたよ。
名前のあるドレス
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今日はお休み
秋祭りの囃子が聞こえる今日はお休み。 台風接近で雨が降り始めているので、早目に買い物に行って来ました。 何故か無くなってしまう木のスプーンを2種。そして合流した大姉さんが、亡くなった岸惠子さんの本を3冊買ってくれました。 読書好きですが、老眼が進んでからはあ...

















